黒ろくろ

円山なのめ

黒ろくろ

 宿から続く細い坂道を下ると、舗装された道路に出た。

 道路に並行して大きな川が流れている。

 川べりには白い波が立ち、川面よりだいぶ高い道の上まで、水音がとうとうと響いてくる。

 マキは大きく伸びをした。

 周囲の山々に初夏の緑が濃い。

 木々の葉を鳴らして吹く風はさわやかで、絶好の散歩日和だ。

 朝風呂でなく、宿の周囲の散策をすることにしてよかった。

 きのう夕飯を食べ過ぎたから、すこし運動しなくては。

 友人の緋里ひさとは二日酔いがひどくてまだ寝ている。

 もともとは、緋里が恋人と来るために予約していた温泉宿だった。趣味が温泉巡りという渋い趣味の男だったが、最近喧嘩して別れてしまったのだという。

「苦労して押さえた宿だから、キャンセルするのはくやしいのよね。マキ、付き合ってくれるでしょ?代金格安にしとくから」

 裕福な家に育ったためか、緋里は自分の都合や気まぐれで人を誘って悪びれない。

 マキは緋里と短大で親しくなり、社会人になってからも、緋里好みのカフェやらイベントやら小旅行やらによく一緒に出かけていた。

 ドタキャンした誰かの代わりを頼まれるのも今回が初めてではない。

 内心もやもやしていても、華のある彼女と縁が切れたら自分の暮らしが味気なくなりそうで、ついOKしてしまう。

 電車とバスを乗り継いでたどり着いた宿は築二百年の古民家だった。

 客は一日三組しか取らないという。外観は古色蒼然としていたが、室内設備はリノベーションされ快適で、主人とおかみも愛想がよかった。

 内湯はとろりとして白く、湯上がりには肌がなめらかに整った。

 夕食時には職人が来てうどんを打った。茄子と地鶏と茸を煮込んだつけ汁は、甘く濃い味がコシの強いうどんによく合う。籠に盛られた天ぷらは、ブドウの新芽にシオデなど、街育ちにはめずらしい山菜ばかりだった。

 下戸のマキは、付き合いていどにワインを飲んだ。

 緋里は天ぷらや川魚の刺身に旺盛な食欲を示しつつ、地酒の徳利をつぎつぎ空にしてマキを心配させた。案の定、夕飯後は風呂には行かずに布団に潜り込み、今朝にいたっている。

「別れた彼氏の話とか、夜じゅう聞かされずに済んでラッキーだったかも」

 マキは歩きながら声に出してつぶやいた。

 お気に入りの生成りのワンピースの裾が、ふわりと帆のように風をはらむ。

 緋里には悪いが、ひとりでの朝の散歩は楽しかった。

 きのうの湯の効果なのか足が軽く、動く歩道の上にいるように、するすると前に進んでいく。しばらくしてスマホで時間を確かめ、宿を出てから二十分以上経っていることに驚いた。

 出るとき緋里に声はかけたが、布団の中からは余裕のない呻き声しか聞こえなかった。念のためSNSで「ちょっとそのへん歩いてくるね」と送っておいたのを見てみると、まだ読まれていない。

「あ。しかも、このあたりって、携帯圏外になってる」

 歩きやすい一本道につられて、すこし足を伸ばし過ぎたかもしれない。

 心細くなってきびすを返そうとしたマキの目に、道路脇の案内板の字が飛び込んできた。


 灰原はいばら窯 陶器手作り体験 すぐそこ →


 案内板は平たい陶板でできていた。表面に透明な釉薬を塗っただけで、淡いベージュの素地きじの質感がそのまま出ている。素朴なのになぜか目を引く陶土だ。

 文字と「すぐそこ」の下の矢印マークには黒い色ガラスがはめ込まれていた。

 マキは矢印の示すほうを見た。

 細い螺旋階段が道路から下に続いている。

 宿の近くに窯場かまばがあると知ったら、緋里が来たがるかもしれない。父親の影響で陶磁器が好きだと言っていたから。二日酔いがおさまっていればの話だが。

「今日、営業しているのかな」

 スマホをあちこちに向けてネットに繋げてみようとしたが、表示は圏外のままで、電波をとらえることはできなかった。

 田舎のことだ。案内板だけ残して窯場は廃業していることも有り得る。

 マキはところどころ赤くサビの浮いた螺旋階段の上に立ち、下を見下ろした。

 平らな屋根のプレハブが数棟並んでいる。

 奥の一棟からは煙突がにゅうっと突き出し、手前の一棟には「灰原窯」と、案内板と同じ色味の陶板が掲げてある。

「直接のぞいてみよう」

 マキはちょっとした冒険気分になった。足元に気をつけながらゆっくりゆっくり螺旋階段を下り、それでも目が回りかけたところで下に着く。

 灰原窯はマキの持つ陶芸のイメージとはずいぶんかけ離れた窯場だった。プレハブの引き戸と窓にはすべて磨りガラスがはまり、中をうかがうことはできない。

 陶板を掲げた棟の引き戸には、茶色く変色してぱりぱりになった貼り紙があった。


  陶芸体験 一時間から 手捻りか轆轤ろくろ 選べます


 癖のある筆文字で、陶板にあった黒ガラスの文字に似ている。

 貼り紙の古臭さと情報量の少なさに、マキは苦笑いした。

 貼り紙の横にひっそり控えるように、窯場のSNSのアドレス、QRコードを印字したシールが貼ってある。

 さすがにこちらには、もうすこし詳しいことが書いてあるだろう。

 とりあえずQRコードを読み込んでおこうと、マキがスマホを取り出しかけたときだった。うしろから、低い男の声がした。

「お待ちしていました」

 驚いて飛びあがり、よろけたマキを、紺色の作務衣の腕が支える。

 すがしい、乾いた土の匂いがした。

「すいません。急に声かけちゃって。おれ、窯元の灰原です」

 窯元がハキハキと名乗った。

 まだ若く、マキと変わらない年齢に見える。

「こちらこそ、すみません。あ。わたし、別に予約とかしてなくて……」

 マキは、近くの宿に連れと泊まっていること、通りすがりに興味を持ったがスマホで予約情報などが調べられなかったので、直接立ち寄ったことを伝えた。

「それはありがとうございます。うちは飛び込みで来てもらって大丈夫ですよ。近くにお泊りですか」

「はい」

 マキは頷いて宿の名前を言った。

「ああ、あそこ。よく予約取れましたね」

 灰原は感心した様子を見せた。

「それは、友達が。でも、今日の夕方には帰る予定なんです。体験にかかる時間と料金、うかがってもいいですか?」

 男性と話すのは不得手なのに、言葉がよどみなく出るのがふしぎだった。

「はい、えっと、三時間くらいで、手びねり、ろくろ、どっちか好きな方法で、器を三個つくれますよ。お渡しは配送です。焼き上げと配送料込みで、一人六千円」

 言われた価格設定が高いのか安いのか、マキにはよくわからなかった。

 緋里に訊けば判断してくれるだろう。

「わかりました。じゃあ、宿に戻って、友達に話してみますね」

「戻る必要、ないです」

 灰原の強い口調に、マキはびくっとした。

「え?」

「おれ、あなたを待ってたんですから」

 相手が何を言い出したのか理解できず、マキは目をまたたいた。

「黒ろくろが出てきて教えてくれました。おれの、ずっと待ってた人が来た、って」

「黒ろくろ?……ずっと?」

 灰原はにっこりした。

「見てもらえれば、わかりますんで」

 こっち、こっち、とまるで幼い男の子のように、せわしく手招きして歩き始める。

 マキはふらふらとあとを追った。

 怪しい、と思ってはいるのだが、酔ったときのように頭の芯がぼーっとなって、前を行く灰原の背中について行かなくてはいけない、という気がしてくる。

 プレハブの裏手に出ると小高い丘のような山があり、その下に草のまばらな乾いた土地が広がっている。

 山の斜面には連房式の登り窯があった。

 てっぺんの丸い焼成室がいくつも連なった、趣のある窯だ。

 しかし上のトタン屋根は破れ、風雨にさらされた窯の煉瓦があちこち崩れて苔むしている。

「あの窯、もう使っていないんですね」

「祖父の代からガス窯使うようになったんで」

 灰原は振り返り、煙突のあるプレハブを目で指した。壁に沿って大きなプロパンガスのボンベが立ち並んでいる。

「薪も手に入れづらくなったし、建物の中なら天候に左右されないし。でも、がっかりしますかね?こんな田舎なのに、昔ながらの窯焼きをしてないのって」

「いえ、そんな……」

「ははは、まあ、そういうお客さん多いんですよ。だからおれもこんな格好して、せめて雰囲気は出せるかなって」

 作務衣の裾を引っ張っておどけながら、灰原はマキをじっと見つめる。   

「でも、どんな方法でつくっても、いい器は、いい器だから」

「そういえば上の案内板、そんなに派手じゃないのに目立ってた」

 灰原につられてマキも砕けた口調になった。

「あれと下の看板は、祖父が焼いたんだ。先代で、おれの師匠」

 灰原の目が誇らしそうに輝く。

「灰原さんのおうちは、代々窯元なの」

 灰原は頷いた。

「おれの親は継がずに逃げたから、祖父はおれの親代わりでもあった。灰原窯からは昔は何人も名工めいこうが出たって、酔うと、その話ばっかりだったな」

 家業から逃げたという親について訊くべきか、マキは迷ったすえ、やめた。

 誰の家にも事情はある。

「腕のいい職人の家系なのね」

「祖父は、腕だけじゃない、うちでしか採れない土のおかげだ、って言ってた。それを生むのが黒ろくろだ、って」

「土を生む?」

 マキは首を傾げた。

「ろくろって、土を器の形にするために使うものじゃ……」

「黒ろくろは違う」

 灰原が足を止めた。

「きのうから、ここにある。……これ、うちで使う土の採掘場」

 地面にはぽっかりと、巨大な蟻地獄が掘ったようなすり鉢状の穴が開いていた。周囲に散らばる乾いた土くれは、窯の案内板や看板の素地に似たベージュ色だ。

 灰原は穴のきわに立ち、底のほうを指さしてささやいた。

「見える?」

 マキは目をこらした。

 採掘場の底は真っ暗だ。一瞬、それほど深い穴なのかと思ったが、穴の壁は下まではっきり見えている。

 穴の底が暗いのではない。真っ暗に見えるなにかが、ある。

「あっ」

 マキは息を呑み、大きくあとじさった。

 それは、暗闇そのものだった。

 その場にあるべき色をすべて吸い込み、上から差し込む光まで吸い込んで、ぐるぐると自ら回転している。

 渦からは強い気流が伝わってきた。

 見ていると目玉が引っ張られ、眼窩から飛び出してしまいそうなのに、目が離せない。マキは顔を覆い、もう一歩後ろに下がった。それ以上は下がれなかった。背後に灰原が立っていた。

「灰原さん。あ、あれは……なに?」

 マキは震えながらつぶやいた。

「黒ろくろ。見えたんだな、やっぱり」

 灰原がマキの両肩をつかんだ。

「痛い!」

 肩に喰い込む指の力に、マキは恐怖も忘れて思わず声を上げた。

「黒ろくろは、祖父の代には出なかった」

 灰原はマキに構わず、上ずった声でしゃべり出す。

「あれが見えるのは代々の窯元と、引き寄せられた者だけ。その者を黒ろくろにかけるのが窯元のつとめ。つとめを果たせば窯は栄える。祖父はそう言って、ずっと待ってた。窯元として認められずに、借金抱えて死ぬまで、ずっと。だからおれも」

 灰原はひざまずくとマキの下半身を抱え、軽々と宙に持ち上げた。はずみでマキの足から靴が片方ぽろりと脱げた。

「待ってたんだ。あなたを。本当に」

 マキは真っ逆さまに投げ落とされた。採掘場の底へ。黒ろくろの中へ。

 悲鳴を上げたのは、ほんの短い間だった。黒い渦に近づいたとたん、マキの頭と首とは、細く、長く、引き伸ばされたからだ。胴体、手足、マキが身につけていたものもすべて同じ運命をたどった。

 麺のように伸びながら、マキは渦の中心に飲み込まれた。

 その姿がすっかり消えたとき、黒ろくろも消えた。

 片方残ったマキの靴はころころと転がり落ち、採掘場の穴の底で静かに朝日を浴びていた。



 行方不明になったマキは、川で溺れて亡くなったものとみなされた。

 流域の岸辺で、マキのものと思われる女物の靴がひとつ発見されたからだ。

 遺体はいまだに見つからない。衝動的な自殺か、事故か、なにかの事件に巻き込まれたのかもわかっていない。

 宿の主人とおかみが警察に話したところでは、この川にはいたるところに淵があるので、昔から、溺れた者が見つかりにくいのだという。

「あのお客さん、お気の毒に」

「そういえばおれの小さいころは、外でひとりで遊んでると、ろくろっ首にさらわれちまうぞ、なんて親に脅されたもんだ。あれは、川に気をつけろ、って意味だったんだろうな」

 二人は神妙な面持ちで頷き合った。

 灰原窯を含む近隣施設には一通り捜査の手が入ったが、どこからも、犯罪に結びつくようなものは出て来なかった。

「土のおかげです」

 新作の鶴首花瓶が公募展で入賞したとき、灰原は授賞式でそう語った。

「最近、いい土が使えるようになりまして」

 緋里は毎年、マキの消えた日になると、靴の見つかった川岸近くに花を供えに訪れた。何回目かの訪問で灰原と知り合い、親しくなった。

 緋里の父親は灰原と彼の焼く器を気に入って、懇意のデパートで作品の展示即売会をやろうと言っている。

 灰原窯の採掘場から出る陶土は、扱いやすく、自分の好きな形にできると、陶芸体験に来る客からも好評だ。

                                   了

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