第一関門 迷宮障壁

 玲太郎が走り出すと、周囲の景色が一変する。それは正に誰もが想像するような純日本の墓場の風景。どこを見渡しても墓石や卒塔婆そとばが並び、その上をまるで景観けいかんを彩るかのように人魂が飛んでいた。


『さぁ競技が始まり、河井選手は第一関門のステージ“The 墓地ぼち”へと足を踏み入れました‼ 辺りにはどこまでも続く墓石‼ この中の一つに、河井選手の名前が刻まれないことを願うばかりです‼』

『それより私は、日本の墓場をモチーフにしたステージ名にTheとか付けちゃう製作者のセンスが気になるところですね♪』

『ここでステージ走行中ルールの捕捉説明をさせていただきます‼ 選手が挑戦者を追いかけることができるのは、挑戦者が足を踏み入れてから五秒後‼ 人間には五秒のアドバンテージがある訳ですが、解説のナッチエルさん、河井選手はどう攻略すると思われますか?』

『ま、人間の身体能力フィジカルで百三十メートルもの距離を五秒で走破することはまず不可能です。そして五秒のアドバンテージなど、人外の存在にとっては有って無いようなもの。よって参加者の人間に求められるのはペース配分と、適切なタイミングでアイテムを切るセンスですね☆』

『予想に反してまともな解説、ありがとうございます‼』

『ハハッ♪ お前、吊るされてぇのか?』

『……ん、んんッ‼ さ、さぁここで河井選手がステージに足を踏み入れてから五秒が経過‼ スタートラインに姿を現すのは、一体誰なんだッ⁉』


 解説者がそう宣言したものの、誰一人としてスタートラインに姿を現すものはいなかった。


『おぉっと、どうしたことだぁ……? 選手が姿を現しません‼ これは何かのアクシデントかぁ⁉』

『いや、よく見てください‼ スタートラインの壁際、何かがいます‼』


 ゴリゴリと音を立て、スタート付近の壁からなにかが剥離はくりするかのように、それは姿を現した。それを言葉で表現するならば、まさに“壁”。そうとしか言いようの無い物体に備え付けられた短小な手足と、大理石をあしらったかのような二つの瞳。それはただ自分より遥か前を走る玲太郎の背中を見据え――。


「ぬ……ぬ……ぬりか、べぇ……」


 たどたどしく、そう言葉を発する。


『ぬ、ぬりかべだぁッ‼ 古来より日本で語り継がれる妖怪、ぬりかべ参戦ッ‼ 速度を求められるこの競技に、これは全く予想外の参戦者だぁッ‼』

『……なるほど、そういうことですか』

『ナッチエルさん、これは一体どういうことなのでしょうか⁉』

『はい。一見して重鈍なぬりかべですが、彼がこの試合に選ばれたというならば、求められているのはその能力でしょう』

『能力……それは、まさか⁉』

『そうです。彼は、人間の行く手を阻む壁を生み出すことができる……』


 ゆったりとした動作で、ぬりかべはその短い腕を玲太郎の方へかざすと――。


「ぬ……ぬ……ぬり――“絶対迷宮障壁ウォールオブラビリンス”」


 その前方に、幾つもの壁が出現した。壁は重なるようにして道を構成し、やがてそれはステージ全てを覆い尽くす迷宮へと姿を変える。


『なんとぉ⁉ ぬりかべ選手、前方に壁を作るどころか、幾多もの壁で巨大な迷宮を構築してしまったぁ⁉ これはぬりかべ一族の中でも高等技術とされる、多重創造障壁たじゅうそうぞうしょうへきの応用技だぁ‼』

『そんなことよりも、日本の妖怪である彼が技名に洋風のルビを振っているのはどういうことでしょう? しかもメッチャ流暢りゅうちょうに発音していましたし』

『えぇー、只今選手プロフィールを確認しましたところ、彼はぬりかべ族期待のホープだということですが、今年百四十歳の若手選手とのことですので……』

『あぁー……、はい、誰にでもそういう時期って、ありますよね♪』

『し、しかしこの迷宮、あまりにも複雑すぎるぅ‼ 現在私は解説席から見下ろす形となっておりますが、その迷宮の複雑さたるやとても全貌を把握することができず、全く攻略できる気がしません‼ さぁ河井選手、第一関門からこの難関、果たして突破することができるのかぁ⁉』

『んー、ていうか河井選手、もうゴールしちゃいますね』

『……はい?』

『ほら、もう迷宮の外を走っていますもん』


 生み出された迷宮の先、そこには走る玲太郎の姿があった。


『……な、なんということだぁ‼ ぬりかべ選手、術の発動があと一歩届かなーいッ‼ そして河井選手、術の効果範囲外を悠々と走り、今ゴールッ‼』


 呆然とする表情。垂れ下がる腕。喪失感を露わにしたぬりかべは――。


「……嘘やん……」


 ただそう、言葉を発することしかできなかった。

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