第二関門 亜音速

 第二関門スタート地点にて待機するアタシの横を、今回の犠牲者たる人間が走って横切った。アタシと人間とで視線が交差すると、この一瞬の合間で人間は何かを悟ったかにように速度を上げる。


『おぉっと河井選手、第一関門を突破したばかりだというのに、第二関門参戦者の姿を視認するや否や、ペースを落とすどころか一気に速度を上げ始めたぞぉ‼ 挑戦者の佇まいから、何か察するものでもあったのかぁ⁉』

『いや察するも何も、見た目でヤバイのが伝わってきますからね。誰なんですか、アレ? 妖怪、それとも悪魔?』

『第二関門を守りますのは、現代妖怪のゆう、百キロババア選手です‼ 第二関門からこの人選、大会運営サイドの決して人間を生きては帰さないという意図が伝わってきますね‼』

『……っていうかアレ、本当にババアですか? あの筋肉、少年チャ〇ピオンで連載されている格闘漫画みたいな構造になってますよ? あと靴のロゴにMiz〇noって書いていますが、これ、権利関係とか色々大丈夫なんですか?』

『ここは現世ではなく幽世なので大丈夫です‼』

『……さいですか』


 この場に現れたアタシの正体が割れると、どよめきつつ、会場の歓声は拡大して行く。


 百キロ、百キロババアかい。懐かしいね、その呼び名は。が、今のアタシにそんなものを期待しているなら、そいつは酷くガッカリさせちまうことになるだろうね。何せあの人間は苦痛や恐怖を感じることもなく、この勝負は一瞬でカタが着いちまうだろうから。


 ゆっくりとクラウチングスタートの構えを取りながら、アタシは感傷にでも浸るように、ここに至るまでの過去を思い浮かべる――。



 ***



 我こそは最速なりや。そう粋がっている若造共を後ろから追い抜いては、井の中の蛙であることを知らしめてやる。それこそがアタシの存在意義レゾンデートル。幾人もの人間に車、果てはバイクまで、アタシはそれらを道すがらに追い越しては、人間どもの表情を驚愕きょうがくに歪めてやった。


 何もかも置き去りにしてきた。アタシの前を行くものなんて、何一つありはしないと、そう確信していた。


 だが次第に人類は、アタシの方を置き去りにし始めた。人間のめまぐるしい進化に、当時のアタシは付いて行けなかった――。


 十に一つの敗北は五に一つ、三に一つ、果ては二回に一度勝てるかどうかというところにまで、アタシは落ちぶれた。


 “仕方が無い”、“諦めろ”。誰もがそんな言葉をアタシに投げかける傍ら、存在意義を失った同胞たちから消えていった。


 冗談じゃない。私は絶対に消えてたまるか――。


 それからのアタシは、狂ったように人を模倣した。霊薬サプリを常飲し、走法を学び、裸足の足には機能性の高い靴を履いた。


 きっとそんなアタシの姿は愚かで、まるで生き恥を晒しているかのように映ったのだろう。当初同情の声を掛けていた同胞たちの声は侮蔑ぶべつ罵倒ばとうへと変わり、いつしかアタシは完全に孤立していった。


 だったらなんだってんだい。恥が怖くて、妖怪なんて酔狂なことをやってられるもんかね。


 幾年いくとせもの月日が流れた頃、気付けばアタシは、今の境地にあった。かつてアタシが追い付けなかった存在を、遥か後方へと置き去りにした。


 860km/h。それが、アタシの手に入れた速度の世界。鍛錬によって獲得した理の到達点。


 なんだい、それじゃあ名前詐欺じゃないかって? なら、そうさね……せっかくだから、こう呼んでもらおうか。


 亜音速サブソニックババア、と――。



 ***



『さぁッ‼ 間もなくアドバンテージの五秒が経過ッ‼ しかし手元に入ってきた資料によりますと、百キロババア選手の初速は……な、な、なんとッ‼ 時速八百六十キロ⁉』

『戦闘機さえ置き去りにしかねない速度……これじゃあ河井選手のアドバンテージなんて……』

『そ、そう言っている間に、姿勢を深くした百キロババア選手……、否ッ‼ 亜音速ババア選手、今――』


 地面を蹴って、加速する。


 ガァンという衝撃音と共に、靴を通して、足の裏から蹴った床が抉れる感触が伝わってきた。


 まったく、脆い床だよ。だから言ったのにさ。会場は競技場風ではなく、F1サーキット仕様にしろって。

 

 数万倍に圧縮された思考とは裏腹に、アタシの両の脚は即座に人間の背中が見える位置にまで運び、〇・〇〇一秒後にはとっくにケリが付いているだろう。


 悪いね、あんたに一切恨みは無いが、これも勝負だ。なぁに、あんたみたいな良い面構えの人間なら、次の人生だって――。


 そう完全に勝利を確信していたアタシの視界は、目まぐるしく天と地を行き来していた。


 滑った――天井、床、天井、床――一体何に――足先指先、地面に掠って――。


 次の瞬間、宙空ちゅうくうを何百回転もしたアタシの体は幾度もタータンの床に叩きつけられ、その後、そのままの勢いで競技場の壁に激突してようやく静止した。



 ***



『あぁっとぉ‼ 亜音速ババア選手、河井選手にタッチする直前、スリップしてそのまま競技場の壁に激突ぅッ‼ これはどうしたことだ⁉ 足がもつれて転んでしまったのかぁ⁉』

『そうではありません。河井選手は自分の後方、亜音速ババア選手の進路上の何かを投擲とうてきしていましたから、それに滑ったのでしょうね』

『な、なるほどぉ……。それでは今のリプレイを見てみましょう‼』


 第二関門に足を踏み入れた刹那せつな、玲太郎は後ろを振り返ることなく、天高くに緑色の物体を放り投げる。それが床に落ちると、瞬きの後、その上を亜音速ババアが通過し、スリップした。


『どうやら玲太郎選手はアイテムを使用した模様‼ ズームして確認してみますと、これは……な、なんとぉ‼ 河井郎選手が投擲したのはなんと胡瓜きゅうりだぁ‼ 亜音速ババア選手、胡瓜に足を取られていたぁ‼』

『うーん……ですが、どうして胡瓜なんでしょう。足止めできるアイテムなんて他にいくらでもあるでしょうに』

『まるで見当もつきません……。おっと、ここで運営サイドから情報が入りました。……きょ、驚愕の事実です‼ 河井選手、自由に選べる五つのアイテムには、全て胡瓜を選択した模様‼ 試合前の河井選手のコメントによりますと、“河童かっぱと対峙することしか考えていない”と言い切った模様! これはつまり……ど、どういうことなんだぁ⁉』

『これは厳しいですねー。もう河井選手は、残りの試合を自らの力と四本の胡瓜でどうにかしなければいけない訳ですからねー。そもそもこの競技って、河童は参加するんですか?』

『前例が無い訳ではありません……。が、非常に稀なケースだったと記憶しております……』

『あぁ……出て来ると良いですね……河童……』

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