あたし、きれい?
ノーバディ
第1話
秋と呼ぶにはまだ早い九月最初の土曜日の夜。小学校と小さな公園、誰もいない工場に挟まれた細い路地は街灯もなく、雲の隙間から漏れてくる月明かりだけが微かに足元を照らしていた。
コツコツと響いているのは自分のヒールの音だけ。辺りには誰もいない。
誰か来ないかな? あたし一人でこんな所を何度も往復してるなんてバカみたいじゃない? はぁ。もう嫌になって来ちゃった。
何度目かの往復の後、あたしは久しぶりに背後に人の気配を感じた。来た‼︎
あたしは背後から来る者に追い付かせさせるためわざとゆっくり歩いた。
ターゲットとの距離が近づく。十メートル、五メートル、三メートル、ニ、一。奴があたしを追い抜いた。
中肉中背のその男は両手に大きな紙袋を持ち背中に背負ったリュックからは棒の様な物が数本が突き刺さっていた。(後でそれはアニメのポスターと分かった)
女の子の絵の入ったTシャツはヨレヨレのジーンズの中にしっかりとインされていた。宅八郎ってまだいたんだ。
どうしよう、あたしオタクとか絡んだ事ない。ちょっと心折れそう。ダメダメ、存在意義よ、アイデンティティだわ。やる事やらなきゃ!
「あの……」
あたしは意を決して奴に話しかけた。
奴は歩くスピードをあげやがった。
無視か!
仮にも年頃の女の子がわざわざ声をかけてやったんだぞ! 自慢じゃないがマスクさえ外さなきゃ夏目雅子や吉永小百合にだって負けてない自信がある。
「あのすいません」
「…………」
「すいません」
「…………」
「え〜とですね」
ダメだ、このままじゃ拉致が開かねぇ、強行手段にでるしかないな、こりゃ。
「あたしきれい?」
「ムリ!」
「はぁっ?」
ムリ? ムリってなに? え、今何が起こったの? あたしきれいかどうかを聞いたよね? ムリってなんなの?
あたしが数秒固まってる間に奴はどんどん先に進んでいった。
「うぉい! ちょっと待てやぁ!」
思わず変な声がでた。
「なに?」
その男が面倒くさそうに振り返った。
「そこで待ってなさいよ、あんたに人間としての道理って奴を教えてあげる」
「何なんだよ、俺急いでんだけど」
「あのねぇ、いい歳した男が女の子から声をかけられたら普通喜ぶもんでしょ! いや緊張して何にも言えないとか、百歩譲って怖がるとかなら許してあげる。ムリってなに?」
「いや、俺三次元とかムリだから。じゃ!」
「じゃ! じゃない! いろいろあって三十年ぶりに出てきたと思えばこの仕打ち、なんなのよ」
「知らんがな」
「だいたいね、こんな時間に女の子が一人で、しかもマスクなんてしてたら気になるでしょ、普通!」
「なんで?」
「だってマスクしてんだよ、まだ夏よ! インフルエンザの季節とかじゃないんだよ」
「ちょっと何言ってるか分かんない」
「まぁいいわ、でもさこんだけマスク美人がいたら気になるでしょ、中身」
「別に」
「気になれ!」
「めんどくさい奴に絡まれたな〜」
「うるさいわね、いいから質問に答えなさい」
「はいはい」
「あたし、きれい?」
「ん? まあきれいなんじゃないの? 三次元の中じゃ」
「本当に? 本当にきれいだと思う?」
「はいはい、きれいきれい」
「これでも?」
あたしはマスクを……。
居ないし!
「うぉい! 勝手に帰るな」
「いや話は終わったみたいだし」
「終わってねえわ! 寧ろこれからだわ!」
「あたし、きれい?」
「俺のヨメランキングなら三十位くらいかな?」
「それってどうなのよ!」
「ちなみに二十九位はウサミたん」
「うさぎ! せめて人間と比べて」
「ウサミたんはうさぎじゃないぞ! エルバッハからやってきた半獣人で十四歳の……」
「知らんわ! お願いだからちゃんと答えて。あたし、きれい?」
「きれいだよ」
やった! やっとここまで。
「これでも?」
あたしは満を辞してマスクを外した。
奴はあたしのこの耳まで裂けた口を呆然と眺めていた。
そうだ、ビビれ、喚け、恐れ慄け。
「こ、これ」
「どう? これでもあたしきれい?」
「い、いや。きれいじゃない」
「ふふふ、酷い事言うのね。さっきはきれいって言ってくれたのに」
内心狂喜していた。三十年ぶりのこの瞬間。
泣き叫び逃げ惑う人間を、足がもつれ、腰が抜け動けなくなった人間を持っていた鎌でズタズタに……はしないけどオシッコチビる位には驚かす事があたしの生きがい。あたしの存在意義。
「き、君は」
「あたしは?」
「君はなんてカワイイんだ」
「へ?」
「ね、ね、このキツネ耳つけて。で、この尻尾つけて! 思った通り、フォクシーみゃんそっくりだ。いや君はフォクシーみゃんだ、『コンコンみゃん』って言ってみて」
「え? え? なに?」
「いいから言って」
「コンコンみゃん」
「おお〜っ フォクみゃん降臨! 動画に撮るからもう一度」
「え、ヤダ、あたし帰る」
「ダメですぞ。フォクみゃんは拙者をここまで引き留めた責任があるでござる。さあ一緒に写真を撮るでござる」
「いやぁあああああああ」
あたしは必死で逃げ出した。
何なの一体。マスクをしてても驚かないし口が裂けてても驚かない。
これが三十年後の世界なの?
この世界じゃあたしはかわいいの?
あたしはきれいよね?
あたし、きれい?
ねえ?
あたし、きれい? ノーバディ @bamboo_4
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます