INNOCENT9

 ネイはフォンからのメッセージに気づいた翌日も、まだ何一つわからなかった。

 ただ普段通りの日にデバイスのアラームで目覚め、いつもかけている音楽を流してから身支度をし、前日の夕食の残りをサイドテーブルから取って齧った。

 作業場では現像の仕事が続いていた。麻袋はまだ積みあがっているが、ネイの作業スピードのおかげで予定より納期を縮められそうだった。向かいに座る同期は今日も眠そうにしていて、指はまるで人形のものであるかのようにのんびり動いている。背面の柱に渡るケーブルには、さらに大量の写真が隙間なく飾られて、風に吹かれていた。

 近場のゴミの山は漁りつくし、先日拾った赤いケーブルも結んで柱にくくりつけた。現像の作業を無心でこなす間、現像液の中に浮かび上がる写真の数枚に見覚えがあるような気がしたが、ネイは気を留めず、写真をつまむ指先に少し力を籠める程度で見つめてから、次のフィルムに取り掛かった。無数のフィルムを復元し、はっきりした写真に変えても、何一つ理解には及ばない。

 そして迫る夜に気づき、ネイは今日もいつも通りゲートをくぐる。


INNOCENT SUCCESS!


 その日も廃墟に行き、同じように昨日より少し成長している彼女と会って話をした。今日彼女は壊れたデバイスを手に持っていて、デバイスを見つけたが壊れているので直してほしいと言ってきた。眉を下げ、懇願の表情を浮かべてネイを見つめる表情は幼いが、ネイより確実にいくつも年上のようだった。ネイは快諾し、ヒビが入り、断線したケーブルが垂れ下がるデバイスを受け取る。


 ありがとう。


 彼女は目の端に皺を何本も作って嬉しそうに微笑むと、またシャシンをねだり、ネイはそれに応えた。それからすぐに手を振って、廃墟の裏に消えていった。








 首筋を流れる汗が、いつかの夕立の日のように、土の色を暗く変える。

 

 ネイはやっと廃墟にたどり着き、力尽きて瓦礫の影に倒れこんだ。息を整えるために深く息を吸うと、一緒に乾いた土の匂いが流れ込んできて盛大にむせた。

 先ほどまで無防備に浴びていた炎天下の日差しがまだ体内にこもっている。手には太いケーブルを持ち、そのもう片方はバスタブの淵に繋がれている。バスタブは車輪のついた板に乗り、中の水が日に照らされて光っていた。

 これからバスタブの水をこの畑に撒くのだ。

 最近デバイスにインストールしたばかりの散布システムを起動して、腕とバスタブに繋げたチューブから水を勢いよく噴射させた。先日まで咲いていた黄色の花は枯れ、すでに緑色の果実が土から覗いていた。視界の左半分に写る資料によれば、このまま日を開けず水を与え続けられれば、この果実は収穫して、中身は食べられるようになるそうだ。皮をむくと赤色をしているらしいが、ネイは見たことがない。緑色の見た目から想像できない赤色を、はやく確認してみたかった。

 ネイは意を決して立ち上がり、ケーブルを構えた。乾いた畑に几帳面なほどに四角く水を撒くと、廃墟に背中をもたせ掛け休憩した。土は耕されていたものの、植物は枯れかけていた。ネイは保存されていた過去の資料を読み、時間も労力もかけて土壌を健康に戻し、なんとかここまで植物を育てることに成功した。水を浴びたばかりの蔓や葉についた水滴に、それぞれ水色の空が映っている。

 今日も日課を終えられたことに満足感を覚え、空を見上げる。ここ連日変わらない太陽を直視してしまい、慌ててデバイスを遮光モードに切り替えた。

 何日晴れの日が続いただろう。おかげで雨が降れば必要ないはずの、水の浸されたバスタブを運ぶことにも慣れてしまった。この天気はまだ数日は続くらしい。デバイスの天気予報にあまりにも無機質に並ぶ太陽のマークに苦笑が漏れる。ネイは口角を上げたまま、目を閉じる。瞼の裏にオレンジ色がぼやけていた。夏だった。






ネイは目を閉じたまま、このままずっと雨が降らなければいいと思った。


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夏には君を食べよう @4lilkumix4

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