Quid pro quo

8-1

「やあ、リベカ。しばらく君の顔を見る必要はないと思っていたんだが」

「わたしもよ」

 彼女はまた自分で椅子を引いて座った。まるで私が礼儀を心得ていないというのをみせつけたいかのように。

「この人と同じものをくださる?」

 会計はべつにしてくれ、と私は言った。

「その様子だとうまくいかなかったみたいですけれど?」

「仮に成功したとしても、そちらが乾杯の代金をもってくれるとも思えないがね」

「あら、喜んで出すわ――あなたの分以外は」

 リベカはテーブルの上に頬杖をつき、両手を組んで手の甲に細い顎を載せた。

「正確にいうと、半分だけ成功したというところかな。お目当てのものを取ってくることはできなかったが、どこにあるかはわかった」

「どこ」

 魔女の琥珀色の眼が狼のように輝いた。

「それを教える前に、そちらの手の内もみせてほしいね。ただ働きは割に合わない」

 相手はしばらく黙っていた。

「そうねえ……ほんとうはカヴンにはからないといけないから、いいのか悪いのかわからないのだけれど。でも、最初はじめにわたしが代表だと言ったからいいでしょう。だとしても不完全履行だから、こちらも完全な反対給付というわけにはいかないわよ」

「ああ」

「あなたのご先祖を殺したのはドルイドよ」

 それこそ心臓に杭を打たれたかのようだった。

「……なんだって?」私はかろうじて言葉を発した。

「だから、ドルイドよ」魔女は運ばれてきた赤ワインを満足そうに口にした。「グランディエみたいな司祭でも、アグリッパみたいな魔術師でもないわ」

「まさか、ありえない、だって聖パトリックが……」

 五世紀にはすでにアイルランドではキリスト教化が始まっていたはずだ、それ以降にそんな力のあるドルイドがいたなどという話は……。

「とにかくそういうことになっているわ。この世の君はなにもかもご存知なの。次はあなたの番よ」窓口のシャッターが閉められた。

「……香部屋だ」

 魔女は舌打ちした。

「ありかがわかったからといって、そんなところまでずかずか入っていけるわけがないでしょう。どうにかならないの?」

 リベカの言葉はほとんど耳に入ってこなかった。とにかく、咀嚼する時間が必要だ……最後にものを口にしたのは五百年前だったが。

「言っただろう、少し時間がかかってもいいかと。私だってあそこに入れるわけではないんだ。まったくあの坊やときたらてんで……」

「まだ契約は有効よ」

「そいつは今どこにいるんだ」

「教えると思って?」

「知らないんだろう」

「わたしを挑発してもダメよ。するならもっとスマートにやらなくちゃ。はじめて見たときから、あなたはいい男だと思っていたし——〈ブルガリ〉、それとも〈ヴェルサーチ〉?」

「納骨堂で寝ているから防腐剤のにおいが移ったんだろう」

 魔女はカケスみたいなけたたましい笑い声をあげた。

「あなたのそういうところ、気に入ったわ。ねえ、ちょっと試してみないこと? わたしたち案外気が合うかもしれない、皮肉屋シニカルなところが」

 本気で誘っているのか、こちらにさらなるただ働きをさせようとしているのかすぐにははかりかねた。

 たとえ数百歳は年上だろうと、いつだって男は年下の女に翻弄されるものだ……。

 とはいえ私に少女趣味があったことはないし、目の前のスレンダーな美女はラファエル前派が好んで描いた“運命の女ファム・ファタル”そのものだ。あるいは死のミューズリャナン・シーか。たとえモーセのように紅海を割る力を持っていたとしても、脚をひらいた女にはかなわない。

 魔女と寝たと言ったら……マクファーソン神父のあの端整な顔がどんなふうにゆがむのか想像する。それともほかの罪と同様、ポーカーフェイスで、「父と子と聖霊の御名みなによってあなたの罪をゆるします」と言うかな? そのあと彼はまた私のために祈るのだろうか?

 私がすぐに返事をしなかったので、リベカは上目遣いにこちらを見上げた。

「もしかして怖気づいた?」

「いや、私の腰の炎が衰えていないかと考えていたところだ」

 美しい魔女はにんまりした。

「大丈夫よ、冷たいのには慣れているから」



 Fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神の慈悲なくばⅢ 〜La Maledetta〜 吉村杏 @a-yoshimura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ