第3話 特定変化《へんげ》規制種

 家に帰ると父のハヤテも既に帰宅しており、早くも一杯やっているようだった。食卓には夕食が並びつつあり、母のミヤは台所と居間の間をせわしなく行き来していた。

 「お帰り。試合はどうだった?」

 既に出来上がっているのか、上機嫌で尋ねる父に、競技の結果を伝える。それを聞くとハヤテは満足そうにうんうんと頷き、小さな磁器に口をつけて米の醸造酒をちびりと呑んだ。

 この国で酒というと、米から造った米腐酒を指すことが多い。もとは西方のアシハラ国から伝来し、定着したものらしい。週に二、三度の晩酌がハヤテのささやかな楽しみだった。

 タハトと同様オオハヤブサに変化する父も、学生時代は競技飛行で鳴らした口だった。しかし、職業飛行士になる夢は叶わず、現在は地元で公務員をしている。

 そのこともあってか、競技飛行で食べていくというタハトの目標を誰よりも応援してくれているのは彼であった。

 勧められるがまま酒を頂いている内に全ての料理が出そろい、ミヤも席に着いた。

 今日の献立は若鮎の塩焼きに茄子の煮浸し、苦瓜と人参の炒め物に根菜の汁物、その他季節の野菜を使った小鉢が二品ほどだ。

 当然のことながら、畜肉や鶏肉の類は並ばない。

 鳥獣に変化へんげするハスク共和国の国民は、内温動物を人間と同様大切に扱い、決して口にはしない。こうした生き物の生存権は憲法で明確に保障されている。

 ミヤも例に漏れず変化能へんげのうを有しており、彼女の変化体はヤマネだった。つまりタハトには、父ハヤテの変化能が受け継がれたことになる。

 基本的に、変化種と人型時の体形や性格などの間に関連は無いとされる。しかし、母の落ち着きのない挙動や真ん丸のつぶらな瞳は、見る者にどこか小動物らしさを感じさせた。

 ミヤはその可愛らしい目で一人息子を一瞥すると、炒め物を取り皿によそいながら口を開いた。

 「少し遅かったわね。表彰式やらを入れても、もう少し早いと思っていたわ」

 確かに、取材などが長引いたこともあるが、飛んで帰れば三十分は早く帰宅していただろう。

 「今日はコトと一緒にバスで帰ったんだ。あいつは母さんと同じで私用では殆ど変化しないからね」

 咀嚼していた塩焼きを飲み込んで答える。若鮎は骨まで柔らかく実に美味だ。

 「コトちゃんか!昔から可愛らしい子だったが、えらく別嬪に育ったもんだ。お前には勿体ない彼女だな」

 昔から、父は幼馴染三人をよく遊びにつれて行ってくれた。この時ばかりはコトもツグミに変化し、皆と一緒に飛行を楽しんだものだ。肉食の野鳥も、タハト、ハヤテ、リョウの三人がいれば襲ってくることはなかった。

 特規種であるリョウの変化についても、ハヤテは役所に提出する申請書を毎回書き、監督の責務を負ってくれた。

 「そんなのじゃないよ。あいつとはただの友達、妹みたいなものだから。今更そんな気にはなれないって」

 先ほど感じた胸の痛みを蒸し返さないよう、タハトはあえて陽気に返した。

 「そうよ。確かに器量は人並み以上だけれども、コトちゃんはよした方がいいかもしれないわ」

 タハトの発言に便乗するようにミヤが横から口をはさんだ。

 「この間なんて、またあの子と一緒にいる所を見たんだから。仲良くお茶なんかしちゃって…」

 あの子というのはリョウの事だ。

 母は、世に蔓延る“特定変化規制種とくていへんげきせいしゅ”、通称“特規種とっきしゅ”に対する差別意識について、何ら懐疑心を持とうとしない。

 加えて、昔、誤ってタハトに傷を負わせる事故を起こして以来、彼に対して敵対心にも近い感情を抱いているようだった。

 「まだそんな了見の狭いことを言っているのかい。母さんのその特規種差別、他所ではやめたほうがいいよ。お里が知れるから」

 つい、棘のある言い方をしてしまった。母としてはミヤを慕い、感謝の念を惜しまないタハトだが、この話題に関しては対立の立場を崩したことはなかった。

 親に対しこの言い草にさすがにまずかったか、ミヤは仄かに顔を紅潮させ、言い返そうとした。

 「まあまあ」

 しかし、ここでハヤテの仲裁が入った。

 「祖先のしたこととあの子は無関係だろ。それに、子供が遊んでいれば怪我くらいするさ。幸い大事には至らなかったことだし、過ぎたことをいつまでも根に持ったって仕様がないじゃないか。今となっては彼も優秀な学生だ。立派なものだよ」

 ミヤがこの件でリョウを非難する時、ハヤテは決まって息子の見方をしてくれる。それなりの学を修め、行政官として様々なものを見てきた父は、この国に根深く残る差別が原因で辛酸を舐めてきた人々の、苦しい現状をよく知っていた。

 父の理解があったからこそ、件の事故の後も、タハトはリョウとの付き合いを継続することができたのだった。

 ハヤテが取りなしてくれたものの、その後は母子ともに言葉を口にすることなく、この日の一家団欒は終了した。空気は悪かったが、やはり料理はどれも美味しかった。


 皆が寝静まった頃、タハトは真っ暗な自室で横になり、見えない天井をじっと見つめていた。大会で疲れているにも関わらず、なかなか眠ることができない。

 脳裏には、リョウの姿と、この日幾度か発せられた“特規種”という単語がちらついていた。

 特規種。かつては“神別種しんべつしゅ”と呼ばれ、長らくこの国に君臨してきた変化種たち。実在の鳥獣に変化する一般国民とは異なり、神々しい姿をし、神通力の如く凄まじい力を持つ者たち。

 彼らは四十年前の万種革命(ばんしゅかくめい)の際、王侯貴族の地位を追われた過去を持つ。加えて、財産も召し上げられて変化さえ法で規制されてしまったのだった。

 この時、国名もそれまでのハスク王国からハスク共和国に変更され、今日に至る。

 そして後に残ったのは、それまでの封建社会で抑圧されていた、多くの変化種からの恨みの眼差しであった。

 法的には、変化の規制以外他の国民と平等である。しかし、特規種の人々は四十年にわたり祖先の比を責められ、差別を受けてきたのだ。

 かつて神別種が行っていた政は、変化種と連動した階級制度の上に成り立っていた。これは確かに、国の近代化において弊害であったかもしれない。当時の情勢において、革命は必然であったと、タハト自身も思う。

 隣国のアシハラ国が西洋諸国の影響で近代化を進め、周辺国への影響力を強める中、万種革命があったからこそ、この国は追従して発展を遂げることができた。あの出来事がなければ、この国は世界の激動に完全に取り残されていたかもしれない。

 しかし、現在生きている人物にまで、当時の禍根の責任を負わせるに足る合理的な理屈が、果たしてあるだろうか。

 そして、リョウも幼い頃から度々不当な扱いを受けてきた、歴史の被害者であった。彼の変化種は特規種一つ、〈水龍〉なのだ。

 つらつらと考え事を続けていたタハトだったが、やはり疲れが溜まっていたようだ。次第に瞼が重くなり、いつの間にやら、深い眠りに落ちて行った。

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