第7話 出会い

 二羽は窪みから出て飛び立った。木々の頭上に出ると、体をS字にくねらせて空中を浮遊しているリョウの姿を、雨の向こう側に確認することができた。

 八羽のカラス達は、頭部以外を水の球にすっぽりと覆われた間抜けな姿で成す術なく宙に拘束されていた。切込み隊長も観念したように目を閉じ、今は神妙にお縄(水)を頂戴している。

 水龍との戦闘中に降雨に会うとは、気の毒としか言いようがない。


 合流後、リョウを連れて先ほどの木の根元に戻った。鳥類二人は雨を避けられる場所に収まり、リョウは木々の間でとぐろを巻く。鱗が水をはじくので、雨など気にならない様子だった。

 本音を言えば、能力で雨粒を操り、二人にかからないようにして欲しいところだが、それはやめたほうが良い。有事以外での特殊能力の使用は、原則禁止されているのだ。先程は、人命救助のために止む無く使用したに過ぎない。

 拘束されたカラス達は一列に並べられ、頭上に待機させられていた。仮に今変化を解いて水牢を破ったとしても、再度変化するまでの間に地面に叩きつけられることだろう。

 助けた小型猛禽類を見ると、水滴を滴らせながら不安そうな目で、命の恩人らしき二人を交互に見ていた。まだ完全に警戒を解いてはいないようだ。

 『ダンセイ・カ』

 『ソウダ』

 性別を確認するのは、理由があってのことだ。変化体信号法では、情報の伝達量に限界がある。そのためハスクの人々は、人気のないところであれば、全裸になる事に抵抗がない。勿論、相手が異性ならば話は別だが。

 タハトは身を震わせて羽毛に付着した水滴を極力落とし、変化を解いた。

 コノハズクも後に続いたが、人型に戻る前に右足の帯を嘴で器用に外した。小さな金具で固定された布製のベルトだった。そこには小さな文字が印字されていたが、見えたのは一瞬で、内容を判別するには至らなかった。

 変化解除の場所すらも申請書通りにしなければならないリョウは、水龍の姿のまま成り行きを見守っている。

 「まず、助けて頂いたことに感謝します。私はワカカと申します」

 男は開口一番に礼を述べ、名を名乗った。年の頃は四十前後だろうか。随分と体格の良い、いかにも働き盛りの男性だった。

 短く刈り込まれた胡麻塩の髪は針金のような剛毛で、目尻のシワが若さを若干損なわせている。

 何か格闘技でもやっているのか、年相応の皮下脂肪は蓄えているものの、その下に相当量の筋肉が隠れていることが見て取れる体つきだ。小さなコノハズクからは想像し難い姿だが、その落差が少し可笑しかった。

 「いえ、とんでもありません。御無事で何よりです。私はタハト、あちらは友人のリョウ、通りすがりの学生です」

 襲撃者たちに聞き取られないよう、名前の部分だけ声を落とした。ついでに終始、顔を向けないよう気を付ける。後々、厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだった。

 ワカカは首だけをリョウに向け、軽く会釈した。タハトは、まるで店の扉を抑えてくれた先客に対するかのようなあっさりとした態度に、少なからず驚かされた。

 特規種の人口は非常に少ない。身近にリョウのような変化種がいない人が多い中で、これほどまで慣れた対応をする人間も珍しい。

 ましてや、先刻まで何者かの襲撃を受け、水龍の力を目の当たりにしたのだ。この落ち着き様、彼も只者ではないようだった。

 『とりあえず、警察に通報しましょう。私が今からひとっ飛びして呼んできます。ワカカさんはここでお待ちください』

 大事はなさそうだが、体中に生傷が目立つ。雨の中動き回るのは得策ではない。

また、リョウは指定以外の経路を飛行できない。警察署に今すぐ行けるのは、この場でタハト一人だけだった。

 正直に言えば、このようなきな臭い事件など、早く警察に投げてしまいたいという気持ちもあった。

 ところが、ワカカは渋い顔を作り、タハトを引き留めた。

「いえ、私は大丈夫。このまま目的地に向かいます。何もお返しできずに申し訳ありませんが、雨が上がり次第お暇させていただきます」

 怪しすぎる。暴漢に集団で襲われ怪我まで負っているというのに、警察に通報しないなど普通ではない。この男の裏にも何か黒いものがあるに違いないと直感し、タハトの中で不信感が募った。

 しかし、あれだけの騒ぎだ。他にも目撃者がいるかもしれなかった。最悪、リョウが水龍の力を使った場面も見られているかもしれない。そうなった場合、釈明するためにこの男の助けが欲しい。

 「こちらとしては、一緒に来ていただけると助かるのですが…。連れの能力使用の件もありますし」

 ここは、ワカカの良心に賭けて正直に懇願した。裏はありそうだが、悪人であると決まった訳ではない。

 リョウも二、三度首を縦に振り、同意を示した。正当な理由のある能力使用ではあったが、規制の厳しい部分でもある。助け舟があるに越したことはない。

 ワカカは、「確かにそうですね」とつぶやき、少し考えている様子だった。ゴネるかと思われたが、流石に責任を感じているようで、苦い顔をしながらも折衷案を述べた。

 「ここだと、管轄はケイト市警ですよね。私の目的地はブカクですので、そちらの署に向かうというのはどうでしょうか」

 ブカクはハスク共和国北部の大都市で、軍港としても有名だ。ここからだと百キロはある。それにしても、意外な提案だった。余程急ぎの用でもあるのだろうか。

 しかし、警察への通報は最寄りの署に、というのが原則だ。所管外の署に報告するとなると、事件の現場を大幅に北へずらすことになってしまう。

 タハトは、警察に虚偽の申告をすることに抵抗を覚えた。

 数回問答を繰り返したが、ワカカは謝りながらもどうしてもこれ以上譲歩できないと譲らず、タハトはついに折れかけた。

 しかしその時、思わぬ勢力の介入で行き先問題に終止符が打たれた。


 初めに聞こえてきたのは、単気筒の小気味よい駆動音だった。複数台がこちらに近付いてきているようだ。

 接近するにつれ、動物の足音と呼吸音も確認できた。蹄の硬質な足音に、肉球を持つ動物特有の軽い足音が混じりあう。

 三人は考えるより先に身構えた。タハトとワカカはいつでも飛び立てるように変化し、身をかがめる。新たな追手かもしれない。

 目を凝らしていると、木々の間からちらちらと前照灯の明かりが垣間見え、その瞬間、黒い影が三つ、高速で飛来し、リョウの身体にぶつかった。

 鋭い金属音と共に火花が散り、飛来物は地面に落ちた。その正体は鉄製の小さな槍であった。矛先には返しがついており、先端が鈍く光を放っている。

 攻撃を防いだ鱗は軽く損傷しており、割れ目からは薄桃色の組織が垣間見えた。リョウの集中力が切れたからか、水牢が解け、カラス達は空の彼方に逃げ去ってしまった。

 しかし、今はそれどころではない。新たな脅威に対処する必要がある。

 槍を放ったのは、それぞれ二輪車に跨った三名の男たちだった。車両は山道用の車輪を装備している。一頭の牡鹿と狩猟犬も脇に控えていた。

 「だめだ、弾かれた。次は四号槍を装填しろ」

 先頭の男が指示を出した。手には弩が握られ、次弾を装填しようとしている。先程の槍よりも一回り太く長い。その腕に巻かれた腕章には見覚えがあった。

 「リョウ、攻撃するな!ケイト市警だ!」

 警察に手を出しては後々面倒だ。タハトは急いで変化を解き、攻撃態勢に入った友に向かって叫んだ。

 リョウは水弾を細長い流線型に成形し、切っ先を警察官たちに向けていた。最大限に速度を出し、攻撃力を高める形状だ。

 幸い、叫び声を聞いたことで両者の動きがぴたりと止まった。

 この機を逃すまいと、タハトは一糸纏わぬ姿で両者の間に駆け込み、両手を広げて警察官の前に立ちはだかった。

 不思議とこの姿は、その場にいた者たちの心を打った。丁度雨が止み、雲の切れ間から差した光に照らされた若者は、暗い森に降臨した天の使いのようだった。

 警察官たちの目は攻撃対象ではなく、目の前の無防備な若者に奪われた。中背だが均整の取れた体は引き締まった筋肉に包まれ、浅黒い肌は若々しく健康的で、見事に雨水を弾いている。

 そして、何よりも印象的だったのはその眼力だった。濡れた前髪は掻き上げられ、整った眉と力強い瞳が露になっていた。友を守り、自分の正義を貫く決意に燃え、武装した警察を臆することなく挑戦的に睨みつけている。

 成人して間もない若者のものとは思えない迫力を、この時のタハトは備えていた。

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