第6話 空中戦

 追憶に浸っている内に、眼下には森林に覆われた山々が広がっていた。ケイトの北に連なる、穏やかな山地である。

 季節は初夏。広葉樹が濃淡様々な葉を存分に広げ、太陽光の恵みを精いっぱい享受していた。

 景色を楽しみながら巡航飛行を続けていると、後方からカチカチと歯を鳴らす音が聞こえた。変化時に歯や嘴の打音、瞬きの拍子などで言葉を伝える“変化体へんげたい信号法”である。

 「クジ・ノ・ホウガク・ミロ」

 リョウの信号はそう伝えていた。

 言われるままに視線を移動すると、二、三百メートル先で八羽のカラスが何かを囲むように旋回し、時折急降下や急上昇を繰り返していた。獲物を襲っている様子だった。

 目を凝らすと、中心にいるのはどうやら小型の猛禽類らしい。小さなフクロウか、ミミズクのように見えた。必死に攻撃をかわしている。

 『ヒト・ダ』

 タハトは、あまりにも統率の取れたカラスの動きから、野生の群れではないことを判断し、リョウに返答した。

 『タスケル・カ』

 リョウが問いかけた。

 『アア』

 どのような理由があるにせよ、多対一の傷害行為を見過ごすわけにはいかない。仮に襲われている小型鳥が野生個体であったとしても、野生動物と人の見分けがつきにくいこの国において、狩猟行為は違法である。

 二人は何度か信号のやり取りを経て簡単な作戦を立てた後、上下二手に分かれた。

 タハトは高度を上げて太陽を背に、リョウは木々の間を地面すれすれの高さで、身を隠しながら群れに接近する。

 近づくにつれ、襲撃の対象がはっきりと見えてきた。小型の猛禽類というのは当たっており、コノハズクがカラスの猛攻を紙一重で凌いでいた。

 それでも、所々羽毛が剥がれ落ち、肉まで届いている傷も数か所あるようだった。一刻も早く助けなければ危うい。

 同時に、コノハズクが右足に巻き付けている青い帯が目に入った。詳細は知らないが、公務に従事する者や、行政機関から特別の許可を受けている者が身に着けるものによく似ている。

 つまり、この個体は人である可能性が高かった。

 太陽に身を隠しているため、カラスたちがこちらに気づく様子はまだない。しかしタハトは動かず、上空で待機していた。作戦では、そろそろリョウが行動を開始する頃合いだ。

 その時、群れを挟んでタハトの丁度反対側の森から、リョウが体を垂直に立て、カラスたちの眼前に姿を現した。

 リョウは大きく息を吸い、耳まで裂けんばかりに大口を開けた。少し反った円錐形の歯が数十本、びっしりと並んでいる。

 そして、暗い洞窟のような喉から、腹に響く咆哮が発せられた。大型船の汽笛と銅鑼、ヒグマの唸り声が入り混じったような、恐ろしい重低音だった。

 カラスたちは突然現れた脅威に面喰った様子で一瞬動きを止めたが、すぐさま迎撃の態勢に入った。やはり、ある程度訓練された部隊のようだ。

 隊長と思しき個体が、カチカチと信号を発して指示を飛ばした。カラス達はコノハズクのもとに二羽を残し、他がリョウに向けて突っ込んだ。

 タハトは、巨大な龍にも臆せず挑む彼らの姿に、不本意ながら感心してしまう。背後に何か、固い決意や覚悟があるのではないかとさえ思わせる動きだった。

 一方リョウの周りには、漬物石ほどの水の塊がふわふわと幾つも浮かんでいた。木々の間を通り抜ける際に、小川や地下水から集めてきたのだろう。

 その内の六つが予備動作なく唐突に放たれた。カラス達はこれを避けようと身を翻したが、リョウは巧みに軌道を修正し、五発を命中させた。

 水弾はカラスの身体にまとわりつき、動きを封じる。彼らは身動きすることも叶わず、空中に固定された。

 それでも一羽は水滴を躱し切り、皿のような龍の目を狙って爪を向けた。見事な身のこなしである。優秀な手練れなのだろう。

 それは、頭頂部の毛羽立ちが特徴的な若い個体だった。タハトは勝手に脳内で“切込み隊長”と呼ぶことにした。

 リョウは首を振ってこれを躱し、切込み隊長の背に向けて、今度は三つの水弾を同時に発射した。先程よりも明らかに速い。最初の六発は相手に怪我をさせないよう細心の注意を払っていたのだ。

 この後の攻防が気になるが、そろそろタハトも自分の仕事をしなければならない。敵の注目は完全にリョウに向いていた。標的の周囲も手薄だ。この好機を逃す手はない。

 タハトは、二羽のカラスが極力離れた機を狙い、急降下でコノハズクに近づいた。すぐに気付かれたが、こうなっては誰もこのオオハヤブサを止めることはできない。

 標的と接触する瞬間減速し、後肢でコノハズクの身体をふわりと掴む。実際に触れてみると、羽毛に覆われた胴体は見た目よりも華奢で、重さもほとんど感じられなかった。

 そのまま、タハトは敵を撒くため眼下に広がる木々の海に潜り込んだ。後ろを振り返りたい衝動に駆られたが、ぐっと堪え、木々の間を縫って低空飛行を続ける。

 趾(あしゆび)の中では、コノハズクが拘束から逃れようともぞもぞと動いていた。羽などを傷づけないよう優しく包んではいるが、彼乃至彼女からすれば、未知の相手であることに変わりない。

 タハトは、安心させるため、嘴で打音を発した。

 『アンシン・セヨ。ワタシ・ハ・ミカタ』

 変化体信号法では丁寧語などの細かい表現ができない上に、時間がかかる。込み入った会話はできない。それでも、コノハズクは一応のところ信頼してくれたようで、抵抗を止めた。

 四、五分は飛んだだろうか。現場からかなり離れた所まで来て初めて、タハトは後ろに目をやった。

 追手の姿はない。猛禽類の鋭い聴覚にも、カラスの羽音らしいものは聞こえなかった。

 その時、ぽつぽつと水が木々の葉を叩く音が聞こえ、すぐに本降りとなった。驟雨だろうが、逃げ手にとっては敵の視界や聴覚を遮る恵みの雨だ。

 しかし、いたずらに体を濡らすのも危険だ。丁度見つけた大木の根元に降り立ち、コノハズクを解放した。根の間には大きな窪みがあり、大人二人が腰を下ろせば身を隠すことができそうだった。

 暫くの間は二人して押し黙り、耳を澄ませていた。見つかった時にすぐさま逃げることができるよう、変化を解くことはしない。

 あの様子からして、普通の者たちでないことは確かだろう。統率の取れた動きや競技飛行選手並みの身のこなしだけでなく、初手で相手の目を狙う攻撃にも、素人ならざるものを感じた。一般人がただの喧嘩でそのような危険行為をするだろうか。

 緊張の中、耳を澄ます。いかに手練れといえども、あのリョウを出し抜いてここまで追ってくるとは考えにくい。しかし、訓練を受けた者であれば、仮に追いつかれた際、人型の対人戦で自分のような普通の学生が勝てるとは到底思えなかった。

 リョウの咆哮が再び聞こえてきたのは、身を隠してから幾ばくも経たないうちだった。先程の威圧的な吠え声ではなく、比較的高音の良く通るこの声は、二人で取り決めた安全を知らせる合図だった。

 『ツレ・ト・ゴウリュウ・スル』

 信号でコノハズクに伝え、タハトは翼を広げた。

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