第5話 事故

 タハトの場合、誰かと共に遊覧飛行をする際に本気を出すことは殆どない。大抵の者は彼の全力飛行についてくることができないからだ。追従できるのは、競技飛行で実績のある者くらいだった。

 しかし、リョウは昔から別格だった。いくらタハトが速度を上げようが、たとえ落差百メートルを超える急降下だろうが、隣を悠々と楽しげに飛ぶのだ。

 速度調整の必要がなく、心ゆくまでともに飛行を楽しめるのは、身近にいる者の中ではリョウだけであった。それ故、彼と共に飛ぶだけで、タハトにとっては有益な訓練となる。

 今日もここまで、それなりの時間配分で来ていたが、右前方に目をやると、今もリョウは悠々と心地よさげに体をうねらせている。

 タハトは後方から近寄り、その白い胴を軸にして螺旋を描きながら、友を抜き去りにかかった。尾、後肢、胴、前肢、首と順に通過し、最後は翼を縮め、象牙のような角の間を抜けて鼻先に躍り出た。

 先日の母との会話もあってか、角を見て、子供のころの出来事をふと思い出した。彼女がリョウを目の敵にするきっかけとなった事故である。

 かつてタハトは、この角で危うく命を落としかけたことがある。まだ中学に上がる前の事だった。


 その日、タハト、リョウ、コトの三人はハヤテに連れられ、街から南に数キロほど離れた場所で飛行訓練を行っていた。小学校に上がったばかり、羽が生え揃って間もないタハトとコトは、まだ思うように風をつかむことができず、週末はいつもハヤテの指導を受けていたのだ。

 一方龍は、鳥類と異なり、揚力を利用することなく飛ぶことができる。原理は未だに解明されていないが、通説では念動力ようなのものを駆使しているらしい。

 国民の性質上、この国は、獣医学や動物生態学の分野で西洋諸国を遥かに凌駕する。しかし、特規種に関しては標本の少なさもあり、分かっていないことが多かった。

 リョウは三人の中で最も早く飛行を修得していたため、二人の修練の間、好きに遊んでいることが多かった。その日も、練習中の動きを何度も反復する二人を尻目に、まるで舞を舞うかのように風と戯れていた。

 練習開始から数刻、日は傾きかけ、肌寒い夕方の風が風切り羽の間を通り抜けた。タハトは最後の降下練習に備え、天高く舞い上がった。

 視界が開け、様々なものが一遍に見えた。良い眺めだった。

 眼下には畑や草地が広がり、大きな川が北から南に蛇行しながらゆっくりと流れていた。その上を、ハヤテとコトが地上に近い高度で時計回りに旋回する。

 川沿いには、二本の人工的な線が引かれている。国道と鉄道だ。丁度、七両編成の電車が南に向けて走っていた。

 首都に向かう列車だろう。近年は国立鉄道全体で電化の機運が高まり、大都市を結ぶこの辺りの路線では、ここ数年で蒸気機関車を見なくなった。

 目に映るものの中で最も目を惹いたのは、やはりリョウだった。タハトと地面の丁度中間あたりで漂っている。夕日を浴びて白鱗が朱に染まっていた。

 この時、タハトの脳裏にいかにも子供らしい考えが浮かんだ。

 『後ろから急降下して、頭をかすめて驚かせてやろう』

 今思えば、当時の技量では危険すぎる挑戦だった。飛ぶことに対するある程度慣れがもたらす慢心があったのかもしれない。

 しかし、その時は根拠のない自信に支配され、己よりも優れた友に一泡吹かせてやることで頭がいっぱいだった。

 タハトは翼を両脇にぴたりと引き付け、重力と一体になった。リョウの頭が見る間に大きくなる。このまま右目のすぐ横を通り過ぎ、その直後に翼を広げ前方に躍り出ようという魂胆だ。

 リョウの頭まであと数メートル。減速の準備に入ったところで、後方から父の鋭い鳴き声が響いた。未熟な息子の危険行為に気づき、注意の声を上げたのだ。

 しかし、この声掛けが凶と出てしまう。

 声に反応したリョウが何事かと後方を振り返り、その拍子に固い角がタハトの翼をかすめた。驚いたタハトは体勢を崩し、錐揉み状態で減速しながらも墜落した。

 そこからは意識が昏倒して殆ど何も覚えていない。泣き叫ぶコトの声、自分の名を呼ぶ父とリョウの声が、うっすらと記憶に残っている。

 事の顛末を聞いたのは、病院に搬送されて意識を取り戻してからだった。幸い、落下した場所が川の浅瀬で致命傷は免れたらしい。

 それでも、足と鎖骨の骨折、全身の打ち身などにより、三週間は病院で安静ということになった。

 この時以来、ミヤを筆頭に周囲の大人のリョウに対する態度が変わった。子供たちにリョウとの交際を控えるよう言いつけ、自分たちも近所で彼を見かける度、ひそひそとこれ見よがしにある事ない事を噂した。

 ある日、リョウの母親サクが、息子を連れて病院にやってきた。見舞いと、侘び入れのためだ。

 しかしこの時、ミヤは手土産さえ受け取らず、病室の前で彼女らを門前払いした。サクが謝る声は弱々しく、精神的に憔悴しているように聞こえた。

 ハヤテは事故の責任を感じたらしく、ミヤ達のような態度はとらなかったが、その後リョウを遊びに連れていくことはなかった。

 その一月後、タハトが学校に復帰した時、リョウは独りぼっちだった。始業前、級友たちが思い思いに雑談する中、教室後方の窓際でぽつねんと一人空を眺めていたのだ。

 特規種ながら、利発で優しく、同世代では人気者だったことが嘘のようだった。

 タハトから声をかけた時、リョウは一瞬驚いた顔をしたが見せたが、目に涙を浮かべて病み上がりの友に精いっぱいの笑顔を向けた。

 その後、自分の力に恐れを覚えたリョウは、数か月にわたり変化を拒むようになった。親友二人への態度もどこかよそよそしく、タハトは友情が失われるのではないかと恐ろしく思ったものだ。

 それでも、二人が辛抱強く諭した甲斐もあり、仲良し三人組は以前の関係を無事取り戻したのだった。

 リョウにとって、タハトとコトは逆境に於いても失われなかった、たった二人の友であった。そして二人も、この強く、美しく、賢い親友を失いたくはなかった。周囲になんと言われようとも、この関係は守り通すと誓い合った仲であった。

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