第4話 水龍の変化

 街を北から見下ろす小高い丘に、大きな一本松が立っている。昔から、リョウと二人で集合する場所はここだと決まっていた。

 今日は、久方ぶりに遠出の約束を交わしている。平日ながら珍しく休みが重なったため、二人で飛ぼうということになったのだ。

 タハトは一番高い枝に留まり、眼下に広がる故郷に目を向けた。時刻は昼前、快晴の空から初夏の日差しが降り注ぎ、瓦や窓硝子がキラキラと輝いていた。

 タハト達が住む街ケイト市は、旧王朝時代の首都であり、今でも国内で三番目の人口を誇る。数百年前、アシハラ国の都を模して造られたと歴史の授業で聞いたことがあった。

 南以外を山に囲まれた盆地には数多くの寺院や歴史的建造物が現存しており、全国からの見物客が後を絶たない。道路は遷都当時の土地区画制度の下で直線的に敷かれ、碁盤の目のような構造がタハトのいる位置からよく見て取れた。

 街の中央少し東寄りには、アモ川が一直線に南北に走っている。まるで、街を東西に分断しているかのようだ。真北から街を望むタハトには、自分の足元から川が伸びているように見えた。

 その川のほとり、街の中心部に、数区画に跨る大きな公園がある。旧王朝の王宮殿跡地だ。一般的にはケイト御苑と呼ばれている。万種革命の際に建物の半数以上が消失してしまったため、現在は運動場や広場として利用されていた。

 街はずれの丘からでも、広場の正面に鎮座する巨大な壁画がよく見えた。そこには一人の男の姿が描かれており、人々を見守っている。ハスクの民に変化能を与えたとされる、“与神よしんヤウク”だ。

 長く伸びた髪を後頭部で束ねたその男は、ゆったりとした亜麻色の衣と袴を身に着け、足結で膝下を、手結で手首を引き締めている。腰には深紅の帯を締め、これが地味な色味の服によく映えていた。

 薄い顔立ちは若者のようにも見えるが、落ち着いた目つきや顎鬚の様は壮年の男らしくもある。質素な見た目だが、どこか神々しさも感じられる姿だった。

 地面に降り立つと、タハトは周囲を見渡して人気がないことを確認した上で、変化を解いた。街はずれとはいえ、いつ何時誰が来るかわからない。持ってきた包みを開け、いそいそと服を着る。

 暫くすると、麓の方からリョウが息を切らしながら走ってきた。十五分ほどの遅刻だ。

 「悪い悪い。思いのほか役所が混んでいたんだ。予定よりも申請に時間がかかってしまったよ」

 リョウは、汗を拭きながらにこやかに謝った。

 大抵の人間は、リョウに対して聡明で爽やかという第一印象を抱く。背は平均よりもやや低いくらいで痩せているが、手足が長く、姿勢が良い。丸顔で童顔だが、切れ長の目は理知的だ。

 しかし、清々しい見た目とは裏腹に、この男の中には学問への飽くなき探求心と燃えるような情熱が秘められていることを、タハトはよく知っていた。

 「世間は連休明けだからな。ご苦労さん」

 特規種が変化する際には、その都度、変化の開始及び解除の日時と場所、移動経路等を事前に報告する必要がある。今日もリョウは朝イチで窓口に並び、手続きを行ってきたのだ。

 加えて、申請書に記載した場所以外での変化は禁止されている。そのためリョウは、ここまでいつも徒歩で登ってきていた。

 タハトは、まだ少し頬を赤らめている友に向かって言葉をつづけた。

 「この間コトから聞いたよ。奨学金の申請通ったらしいな。おめでとう」

 祝いの言葉にリョウは微笑み、礼を言った。

 「これでひと段落ついたよ。今日は久々に思いきり飛ぼう」


 それぞれ持参した握り飯を平らげ、腹ごしらえが済むと、二人は服を木の根元に置き、風で飛ばないように石で抑えた。

 リョウの変化には場所が必要となるため、十歩ほど歩いて距離をあけ、各々変化の態勢に入る。

 前かがみになり、全身にグッと力を入れると、体の中で組織や器官が移動・変形するのを感じる。体はみるみる縮まり、眼前の手からは、羽毛がぞわぞわと音を立てて生えてくるのが見えた。

 数秒後には、完全にオオハヤブサへの変化が完了していた。

 すべてのものが違って見えた。人型であった時よりも、周囲の物がはるかに大きく、色彩はより鮮明に、鮮やかに映る。

 右の方を見ると、そこには美しい龍が四本の脚で立ち、こちらを見ていた。

 青みがかった白鱗に覆われた長い胴は、日の光を刃物のように反射し、一枚一枚が宝石のごとく輝く。

 シカのような耳の内側に生えるのは、乳白色のまっすぐな角。後頭部から尾の先まで背を沿うように走る浅葱色のたてがみは、風のままにさらさらと流れ、絹を彷彿とさせた。

 鼻先からは二本の太く長い髭が延び、まるで重力に逆らうが如く、水草のように宙にうねっていた。

人よりも遥かに小さな鳥に変化したタハトからは、その姿が途方もなく巨大で強靭なものに見えた。

 脚は四メートルほどある胴体の割に短いが、太くどっしりとしていて、大人の腕ほどもある四本の指には、固く鋭い爪が長く伸びている。リョウが軽く叩くだけで、人間など大けがを免れないだろう。

 何度も見てきた姿だが、つい魅入ってしまう。美しさに感動する心と、荘厳さに対する畏怖の念が渦巻き、心拍を加速させた。

 一瞬の後二人の目が合い、どちらが合図をするでもなく、同時に天高く舞い上がった。

 一本松がみるみる下方に遠ざかる。丘の上からでもはっきりと識別できた与神画もすぐに点となり、周囲に溶けこんで見分けがつかなくなった。十分に高度を上げたところで二人は旋回し、北の山々に進路を向けた。

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