第2話 バスの中で

 競技終了後、変化を解いて服を着、表彰を受け、取材に対応する。そこから解放されたのは、日も暮れかかった頃だった。

 会場を出た所で、聞き慣れた声に名を呼ばれた。同じ部の女子部員のコトだ。白いTシャツに黒のハーフパンツという軽装で壁にもたれかかっている。

 ぱっちりとした二重瞼の奥には、少年少女特有の輝きを失っていない瞳。これが非常に印象的だ。

 目が合うと、コトは壁からパッと身を離した。愛用の赤い鞄を背で揺らしながら、小走りに近づいてくる。コトが足を踏み出す度、短く切られた黒髪が跳ねた。肩紐をつかむ両腕はよく日に焼けているが、袖から見え隠れする白い肌がやけに眩しい。

 「猛禽の部、優勝おめでとう。地区大会とはいえ余裕だったね」

 コトも“ツバメ科等を除くスズメ目部門”の選手だが、今日の成績は十六位。次の大会に進むことはできない。

 それでも、悔しさを見せることなく(実際大して悔しくないのかもしれないが)ニコニコとしている。

 「いや、旋回のところは危なかったよ。最後が得意の急降下だったからよかったものの、それ以外の技術ももっと磨かなくては…」

 つい先を見据えて真面目に答えてしまったが、コトは茶化すように軽口をたたく。

 「は、やっぱり未来の職業飛行士は言うねぇ。こんな小さな大会の優勝じゃ満足できませんってか。私らみたいな地区大会止まりの選手とは違うね」

 自分でわかっているならもっと鍛錬に励めばいいものをとタハトは思うが、彼女の変化体(へんげたい)はツグミだ。速さを競うにあたって、恵まれているとは言い難い。競技に対する趣味程度の感覚も、彼女の中で折り合いをつけた結果なのかもしれなかった。

 「帰り付き合わせてごめんね。タハトなら飛んですぐなのに」

 幼馴染が返答に困っているのを察したのか、コトは話題を変えて言った。こうした気配りの出来るところも、彼女の数ある魅力の一つだ。

 タハトは大抵の場合、数十キロ以内の距離であれば変化体で移動を行う。着替えや財布程度の荷物ならば、バスや汽車を利用するよりも、そちらの方が断然早くて楽なのだ。

 全ての国民が何らかの獣や鳥に変化するハスク共和国では、至る所に公設私設問わず沢山の更衣室がある。変化体で移動を行う人々は人型に戻る際、これらを利用して衣服を身に着けるのだった。

 一方コトは、変化体が小型の鳥類であるために運動着程度の荷すらも運搬できない。加えて、そもそも野外では野生の肉食鳥などに襲われる危険もある。そのため競技の時以外、大型鳥類の付添いがない限り変化しないようにしていた。

 「気にするなよ。たまにはゆっくり帰るのも乙なものさ」

 これも本心と言えばだが、タハトの真意は他にあった。

 同じ部の女子と共にトコトコ歩き、遅々として進まないバスに揺られる。この間、二人は他愛もない会話を楽しむ。極めて青春らしいではないか!

 そんなことを思っていると、いつの間にかバス停に到着していた。程なくして二人が乗る車両が停車し、女性の車掌が扉を開けた。自宅の最寄りまでは、ここから一時間弱の道のりだ。


 車両中ほどの席に並んで座し、暫くは今日の競技会や風についての会話が続いたが、突然、黒い毛玉のような何かが二人の足元をサッと走り抜けたことで、会話は中断を余儀なくされた。

 毛玉は通路に出ると、最後部に座っている女性の元へ駆け寄り、その脚にじゃれ付いた。退屈した子供が猫に変化して走り回っていたようだ。

 母親らしき女性が申し訳なさそうな表情でこちらに会釈を向けた。子猫(子供)が脱ぎ捨てた服をいそいそと畳んでいる。

これに笑顔を返し、振り返ったところでコトが再び口を開いた。

 「そういえば、先週商店街でリョウに会ったよ」

 リョウは子供のころから二人と親交のある幼馴染だ。中学までは同じ学校に通っていたが、勉強の得意なリョウは公立の進学校に進み、今は地元の国立大学に通っている。詳しくは知らないが、応用化学を専攻していると聞いた覚えがある。

 「少しお茶して聞いたんだけど、前に申し込んだ市費の給付型奨学金に通ったみたい。これで工場勤務しなくても大学院に進学できるって喜んでたよ」

 報告する際、コトは嬉しそうに目を細めた。

 「そうか。あいつの顔は久しく見ていないが、それは良かった。オレも久しぶりに会いたいな」

 この知らせはタハトにとっても喜ばしいものだった。

 お互いに多忙なため、今となっては年に数回遊ぶ程度だが、タハトはリョウのことを一番の親友だと思っている。少し独善的なところのある男だが、それは頭が切れるが故のことであり、根本では人を思いやることの出来るやさしい奴だ。

 幼いころから変化体のことや家庭の問題で苦労してきたが、持ち前の勤勉さと要領の良さで国立大学に合格し、今では学部生の身でありながら、数本の論文を出すまでになっていた。

 リョウの通うケイト大学はハスク共和国が王国だった時代から存在する所謂〈旧王立大学〉の一つであり、国内では知らぬ者のない名門だ。幼い頃から近くで苦労を見てきただけに、コトからもたらされた親友の吉報に胸が熱くなった。

 それからはコトがリョウとの会話について話し、タハトはもっぱら聞き役に回って相槌を打った。彼女はタハトよりも頻繁にリョウと会っているようで、時たまこうして彼の近況を報告してくれる。

 身振り手振りを交えながら話す彼女はいつにも増して朗らかだ。タハトはそれをいつも嬉しいような少し寂しいような気持ちで聞いていた。

 暫くして、停留所への到着を告げる車掌の声が聞こえ、コトは話を止めて降りる支度を始めた。タハトが下りるバス停は次なので、今日はここで解散となる。

 席を立つ直前、先程までとは打って変わって真剣な顔で少し目を伏せ、コトがポツリと言った。

 「特規種とっきしゅなんて理不尽な制度のせいで、ずっと辛い思いをしてきたんだもの。リョウには成功してほしい…」

 「…そうだな」

 タハトは少し間をおいて答えた。リョウの苦労が報われる日を待ち望む気持ちは、タハトも同じである。

 リョウは掛替えのない友であり、コトに関してもそれは同様だ。しかし、リョウについて語る時のコトの目は好きになれなかった。

 バスから降りるコトの背を見ながら、タハトは僅かに感じた胸の痛みをそっと心の奥にしまい込んだ。

 そういえば、明日の休みに映画にでも誘おうかと考えていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。

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