第4話
両親には、少しだけダンロの家へ行って来ると言った。酒宴はまだ終わらず、大人たちは祖父の思い出話なんてもうとっくにしていなかった。
私たちはダンロの家の蔵に居た。薄暗い中を照らすのは、二人のスマートフォンの灯りだけ。あの日と同じように、ダンロは埃まみれの木箱を取り出した。鍵をガチャガチャと開いて中身を確かめる。
「うちのはまだマシュマロになってないね」
「弾があるなら、銃もどっかにあるの?」
「屋根裏部屋にあった。でも、多分使えない。こんなものがあるなんて、誰も覚えてなかったんじゃないの」
「だから弾がマシュマロにならないのかな」
「多分ね」
どうしてダンロは銃と弾を探し出したんだろう。どうしてこの箱を開けたんだろう。だけどそれは、聞かないでおくことにした。ついさっき、日本刀がマシュマロになった理由を最後までダンロが口にしなかったお礼のつもりだった。
木箱の鍵を閉めると、ダンロはこちらを向いた。
「ニッパ、マシュマロちょうだい」
「食べるの? さっき床の間に落ちたやつだよ」
「ニッパは食べたじゃん」
「三秒ルールだからいいの」
「それ、あんま関係なくない?」
ダンロはへらへら笑いながら、私の手元からマシュマロを一つ摘まみ上げた。それを何の躊躇いもなく口の中に放りこむから、私も残ったマシュマロを一緒に食べる。この蔵の中で食べても、マシュマロの味は変わらない。甘くて平べったい、無機質な味。
そしてダンロは、残った最後の一つを手に取った。自分の顔の前にそれを持ち上げると、ついさっき箱を閉ざしたばかりの鍵をマシュマロの中に押し込んだ。
「あっ」
声を上げたのは私だけだった。ダンロはただ、マシュマロに飲み込まれていく鍵をじっと見つめている。『殺意を飲み込むマシュマロ』。その名の通り、目の前でマシュマロの中に埋まって行く鍵は、やがて静かに消え果てた。
ダンロは指先でマシュマロの柔らかさを確かめる。中に何も入っていないのを確かめると、摘んでいた最後のマシュマロを食べてしまった。喉が小さく上下に揺れる。何も残さず、マシュマロはダンロに飲み込まれる。
「ニッパ、手伝って。腕がマシュマロになる前に」
ダンロは木箱を持って立ち上がる。私も、声に引き寄せられるようにダンロの背中を追いかけて、蔵を出て庭の隅へ向かって歩いた。空には夕焼けの気配が漂い、庭とも山ともつかない地べたに生える木々が、静かに風に揺れている。
私たちは二人で穴を掘った。蔵に置かれた古ぼけたシャベルを使って。袖を捲って露わになったダンロの腕には、いくつかの引っ掻き傷と噛み跡と、大きな手の影が浮かんでいた。私は何も言わなかった。
シャベルは最後まで持ち堪え、やがて木箱が入るくらいの穴が出来上がった。ダンロはそこへ木箱を置いて、上から土をかけて埋めてしまう。慣れた手付きで辺りを
「……ダンロ、お腹壊してない?」
「平気」
「そっか」
殺意を飲み込むマシュマロを飲み込んだ人間が、どうなるのかはわからない。でもきっと、他のマシュマロを食べて平然としている多くの人たちのように、私のように。ダンロの腹も、当たり前のように繰り返すだろう。ただの砂糖の塊を、無遠慮に溶かすその仕草を。
「何か変わると思う?」
ふいに隣で、ダンロが言った。何の話をしているのか私にはわからなかった。だけど、それでも。わかっていることは一つだけある。
「……変わらないよ」
「そっかあ」
「だから、ダンロも変わらない」
木箱が眠る土の上で、私たちは生まれて初めて手を繋いだ。土まみれで埃っぽいダンロの肌はやけに冷たい。だけどその手は、まだ人間のままだった。
#realmarshmallowbullet
このハッシュタグは、今も相変わらずSNSの上で踊っている。美味しそうなジンジャエールのアレンジメニュー、ティーンエイジャーのマシュマロパーティー、真っ白な戦場で撮られた写真、マシュマロになった体の治療法開発を訴えるデモ行進。
両親は、マシュマロになった日本刀を嘆きも憂いもしなかった。私がマシュマロを食べたことには、少しだけ驚いて。取ってつけたような体調を気遣う言葉の後に、大人のどちらかが言った。SNSに投稿するのはやめてね。
「マシュマロになるようなものを持っていたなんて、ご近所に知られたら大変でしょ。武器ならまだいいけど、ただでさえこの前……」
それが彼らの言い分だった。
お前の顔を見ていると、マシュマロになりそうだ。そんなことは思わなかったけど、私の手もいつか、マシュマロになる日が来るのかもしれない。そんなことが、ふと脳裏を過ぎった。
空き家になったかつてのダンロの家の前を通るたび、庭の片隅に埋めたあの木箱のことを思い出す。
私はもう、 #realmarshmallowbullet と書かれた投稿に“いいね”も何もしなくなった。ただその単語をミュートして、私の世界からリアル・マシュマロ・ブレットは消えてしまった。
やがて、いつか、そう遠くない未来。世界中の人々が、同じようにするだろう。まるで何も無かったかのような顔をして、リアル・マシュマロ・ブレットのことを忘れ、殺意でマシュマロに変わった腕を冷ややかな目で見つめ、皿の上に盛られたマシュマロを口の中へ放り込む。
いつか腹が底の方から痛み始めても、きっと私たちは、その理由に気付けない。
(終)
リアル・マシュマロ・ブレット 矢向 亜紀 @Aki_Yamukai
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