第3話

 リアル・マシュマロ・ブレットは人体にまで及ぶ。その投稿がSNSを席巻して以来、似たような投稿がそこら中から湧いて出た。明らかになっていなかっただけで、既に体に症状が出ていた人は多かったらしい。

 世界中の武器は次々と消えていく。残りわずかな兵力を求めた結果、博物館で埃をかぶっていた戦闘機でさえも叩き起こされ、次の瞬間巨大なマシュマロに変わってしまった。

 そこまでの暴挙に出られない市井の人は、やがて湧き立つ憎しみや殺意を己の体に託し始める。今まで、銃弾に、刃物に、薬に任せて来たあらゆる憎悪を。


 それはやがて、新たな惨事を多くの眼前に晒すきっかけにもなった。『真っ白な戦場』だ。

 朽ち果てた建物にべっとりと付いたマシュマロの跡。マシュマロだらけの顔で、じっとこちらを見ている子ども。体のどこかが真っ白になったまま倒れ込む人々の姿。大きなマシュマロの中で溶け消えた“誰か”だったもの。

 結局、争いは終わらなかった。それどころか、「いつか自分の体もマシュマロになるかもしれない」という不安が、多くの人を掻き立てた。


「お前の顔を見てると、マシュマロになりそうだ!」


 その慣用句はいつしか、「殺したいほどお前に対して腹が立っている」という意味に変わった。




 祖父が他界したのはこの頃だった。彼は長い間、海の近くにある高齢者介護施設に入居していて、一人で眠るように亡くなったそうだ。私はほとんど彼と会話をしたことがなかったから、悲しさも寂しさも感じず物言わぬ体を眺めていた。

 祖父は時代から取り残された人だったのか、最後の一人だったのか。葬式に顔を出すのは近所の住民たちばかりで、祖父と同じ年頃の参列客は見当たらない。


「ニッパ」

「ダンロ」


 ダンロは一人で葬式にやって来た。大人だらけの葬式の景色の中、線香の香りがうつった長袖の制服姿で、妙に神妙な顔をして。こんなご近所付き合いの極みみたいな行事に、子どもだけでやって来るのは珍しい。両親が来られずすみませんと、ダンロは香典を差し出しながら私の親に謝った。

 大広間では、大人たちが簡単な食事と酒を交わしながら、一応の祖父の弔いを続けている。私とダンロは自然と大広間を抜け出して、人の気配が消えた縁側に腰を下ろした。二人とも、手にはジンジャエールが入ったペットボトルを持っていた。リアル・マシュマロ・ブレットで発生したジンジャエールは、下手なミネラルウォーターより安く手に入る。


「おじいちゃん、何歳だったの?」

「九十近かったはず。でも、よくわからない。ちゃんと話したこともないからね」

「ふうん。じゃあ、顔もよく覚えてない?」


 そう聞かれた時、私は若かりし祖父の写真を思い出した。あれは確か、祖父の寝室だった部屋にあったはずだ。


「ね、おじいちゃんの写真見に行こう。ついでに、日本刀も見せてあげる」


 今度は私がダンロを導いて、自宅の奥にひっそりと構える祖父の寝室へ向かった。なぜか私たちは、廊下を忍び足で歩いた。遠くでは、大人たちの賑やかな酒宴の声が聞こえている。その分、寝室だったはずの畳の部屋の静けさが妙に肌にまとわりついた。

 そろりそろりと襖を開き、私は小さく声を上げた。いつもなら、日本刀は白鞘に入って刀掛けに置かれている。しかしそれがぼたりと床の間の上に落ちて、ぐったり横たわっていたからだ。

 私は急いで駆け寄った。人の出入りが多い日だから、誰かが刀に触ったのかもしれない。しかし妙な胸騒ぎがしていたし、それは実際当たっていた。

 白鞘を手にした瞬間、柄は息絶える。細い白鞘から真っ白なマシュマロがぼろぼろと生まれるように零れ落ち、床の間の静寂は形を変えた。


「……マシュマロになってる」

「ニッパ。もしかして、その刀……」


 ダンロはそれ以上何も言わなかった。私も、何も言わないで欲しいと思った。そして、返事の代わりにマシュマロを摘まみ上げ、表面を軽く吹いてから一口で食べた。

 甘く柔いマシュマロ。最後の主人を亡くした白銀。かつて宿した殺意を思い出した武器。


 見上げれば、壁には若かりし祖父が日本刀を構えて立つ写真が掲げられていた。着物姿の彼は、じっとこちらを見据えている。

 ああ、お前の顔を見ていると、マシュマロになりそうだ。

 もしも祖父が生きていたら。この刀に口があったなら。そんな言葉を吐きながら、刀は私に向けて振るわれたのだろうか。年老いた彼を忘れ行く、私たちすべてに向けて。

 隣で声がした。


「ニッパさあ、今からうち遊びに来ん?」

「いいよ」

「そのマシュマロ、持って来て」


 静かな祖父の部屋で、私は小さく頷いた。

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