第2話
さて。私が通う高校では、ある日こんな授業が行われた。
『リアル・マシュマロ・ブレットが続いたら、世界にどんな影響が出るか』
こんな田舎の学校で、そんな話をされてもなあ。冷めた気持ちで私は黒板を眺めていたが、意外と授業は盛り上がった。みんな、リアル・マシュマロ・ブレットについて堂々と話が出来る機会を待っていた。授業中にSNSを見てしまうほど、誰もがこの現象に魅了されていたのは事実だから。
私たちは班に分かれて意見を出し合い、授業の最後に発表した。黒板に書かれた生徒たちの考えは、多分、どこの高校生と比べても代り映えしないだろう。
・世界が平和になる
・戦争をしなくて済む
・子どもにあげるお菓子が増える
・お菓子の食べ過ぎで太る、虫歯になる
・兵器が残っていた場合、利権が偏る
・これから先も続くのか、終わりが来るのかわからない不安がある
・戦争ゲームのニーズが高まる
・兵器だったお菓子を食べた後、体に影響は?
・最初から食べ物だったマシュマロなどに対する風評被害
この授業で、大人が私たちに何を言いたかったのかはよくわからない。もしかしたら、授業をまとめた教員自身が、一番答えを求めていたのかもしれない。ただ、いつも仏頂面の教員は、眼鏡の奥の冷たい目付きをほんの少しだけ和らげると、黒板に書かれた文字をそっと撫でた。
「本当に、そうなればいいけれど」
教員が見つめていた文字は、“戦争をしなくて済む”だった。
この授業があった日の帰り道、同じクラスのダンロが声を掛けて来た。ダンロと私は小学校からの顔馴染みで、昔から何となく頭の良さが同じで、何となく同じ高校に行き、何となくつるんでいる。
「ニッパさあ、今日、うち遊びに来ん?」
「いいけど、なんで?」
「見せたいものがある」
ダンロが家で遊ぼうと言うなんて久しぶりだった。私たちみたいな田舎の高校生にとっての“遊ぶ”とは、家の中でやる探検ごっこではなく、駅前のカラオケかゲームセンターかファーストフード店に行くことだ。新作のマシュマロシェイクなんかを飲みながら、永遠のような時間を貪る遊び。
この辺りの家には珍しくもないが、ダンロの家には大きな蔵がある。私たちは長袖の制服姿で、荷物も持ったまま庭にある蔵へ入った。ダンロはスマートフォンの灯りを頼りに、しかし慣れた様子で埃を被った木箱の前に私を導いた。
「これ、見てよ」
「これ? ただの箱じゃん」
ダンロは小さな鍵を取り出して、鍵穴にガチャガチャ挿した。それがくるりと回って箱が口を開けるなり、私は思わず息を飲む。そこに並んでいたのは、黒く鈍く輝く殺意の宝石。
銃弾を見たのは、生まれて初めてのことだった。
「……なんでこんなものがあるの? なんでマシュマロになってないの?」
「じいちゃんが生きてた頃、猟銃使ってたから。マシュマロになってない理由はわかんないけど、古いからかな。ニッパんちの日本刀は?」
「今朝はまだ刀だった」
「きっと、ニッパんちの日本刀は自分が刀だってこと忘れてんだ。多分、綺麗な置き物だと思ってる」
「じゃあ、これは?」
ダンロは、古ぼけた箱の中で輝く銃弾に視線を落とした。少し考えてから口を開く。
「自分なんてものを、そもそも覚えてないんだろうね」
リアル・マシュマロ・ブレットが始まってから、多くの人がお菓子の写真をSNSに投稿した。しかし、まだお菓子になっていない“もの”の話題を出す人はほとんど居ない。居たところで、大きく注目されることはない。それどころか、個人が得意げにそんなものを晒したら、非難轟々の渦に巻き込まれてしまう。
「この銃弾もきっと、いつかマシュマロになる。でも、今はまだ人を殺せるんだ」
「……うちの日本刀と同じだね」
どうして、お菓子に変わっていない兵器や武器が非難されるのか。私とダンロは、薄暗い蔵の中で実感した。
この期に及んで、まだ人を傷付けるものを手放せないの?
リアル・マシュマロ・ブレットを終えたお菓子を食べる人たちは、そうやって兵器を非難した。殺傷能力のある“何か”を非難した。甘ったるい砂糖の味がする正義感と一緒になって。
ほんの少し前までは、まるで無関心を決め込んでいたであろうはずなのに。
ダンロの家の蔵で銃弾を見てから数日後。三つのニュースが世界中を駆け巡った。
一つ目のニュースは、ある国の研究者が発表した『殺意を飲み込むマシュマロ』についての論文。
マシュマロの中に殺傷能力の高いものを入れると、跡形もなく消えてしまう。その不思議な力は、リアル・マシュマロ・ブレットで発生したマシュマロやジンジャエール、綿菓子……どの菓子にも備わっていた。甘い甘いそれらの中へ入れてしまえば、名前を聞いたことのない毒薬も毒ガスも、そこに含まれた殺意と共に姿を消す。
論文には、こんな話題も含まれていた。
「マシュマロ化が発生しやすいのは、殺傷能力の高い兵器、製造された直後の兵器である。兵器に込められた“殺意”の大きさがマシュマロ化の原因とされるのはそのためだ。例えば、発掘調査で出土した錆びた刃物はマシュマロにならない。それ自体が殺傷能力を失い、長い時間をかけて殺意を忘却したからである。しかしそれを磨き上げ、人の殺意が加われば、同じ刃物であっても……」
この論文の話を聞いて、私はダンロの銃弾と自宅の日本刀に思いを馳せた。
二つの武器は、かつて確かに何かを殺めるために作られたものだった。しかしそれらは時を経て殺意を手放し、“忘れられた箱の中身”や“美しい置き物”に変化を遂げた。だからなかなかマシュマロに変わらない。
もしそこに、人の殺意が加われば? その身に宿す殺意を、銃弾が、日本刀が思い出したら?
こんな精神論めいた学説が世界中で薄っすら受け入れられているのは、なんだか妙な心地がした。
二つ目のニュースは、ヨーロッパ諸国がリアル・マシュマロ・ブレットで発生した甘味を燃料に走る車を開発したこと。その技術は多くの人々に受け入れられると同時に、『新たな利権争いの火種になる』という真っ当な懸念も巻き起こした。
結局のところ、かつて兵器を多く所有した地域が、再び富を得る仕組みが構築された訳だ。
そして三つ目のニュースは。
この手の話題はテレビよりもSNSの方が情報が早い。御多分に漏れず、私が初めてそれを知ったのもSNSの写真だった。
『俺に殴り掛かって来た男の腕だ。これも #realmarshmallowbullet なのか?』
どこかの国の言葉で書き添えられたコメントと一緒に投稿されていた写真の中、地べたに倒れ込む一人の男の右腕は、真っ白なマシュマロに変わっていた。
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