アクアテラリウム

彩瀬あいり

アクアテラリウム

 そうして人類は永遠の眠りについた。じつに千年前の出来事である。

 我々、機械生命体は人類の遺志を継ぎ、いつか再び生まれ出づる彼らのために、世界を掃除し、再生させなければならない。

 すべてのアンドロイドに刻まれている命題だ。




「貴方に課す任務は、惑星コーラルの停止」

「再生ではなく、停止ですか」

「彼の地はまだ生きている。ゆえに停止させなければならない」

 人類がせいを放棄した理由はさまざまだが、コーラルのそれは環境破壊だ。

 前時代の記録を閲覧したところ、隕石が落下したわけでも大きな地殻変動が起こったわけでもない。しいて言えば気候変動だろうか。ただひたすらに人類が増え続けた結果、生命活動に支障が出る状態になってしまった。機械にはわからないが、人間が生きるに適した環境構成要素は複雑である。

 初めての任務に黙考しているのは、ヒト型機械の中でも、かつての人類に近しいボディを持つタイプ。二十代半ばの成人男性の素体は、背丈やパワーバランスを考えると、単体での遠隔地任務にもっとも適した大きさとして定義されている。

「任にあたり、君には名が与えられる。マーク・スレイガー」

「承りました、マザー・ワン」

 すべての機械生命体の中枢機関であるマザーズの第一端末、マザー・ワンに命じられたマークは、単身用ポッドに搭乗し惑星コーラルへ向けて旅立った。



     ◇



 コーラルへの航行中、マークは自身の内蔵情報を再確認する。

 かつては五つあった大陸も多くが沈み、残存するのはひとつのみ。コーラルは次世代へ託す世界の対象とはならず、廃棄惑星として位置づけられている。

 優先順位の低さゆえ放置されていたそれが今になって現地調査となった理由は、近くを航行していた探査船が微弱な生命活動を拾ったからだ。

 植物や微生物とは違う反応。

 呼吸。

 まるで人類のような動きで、すべてのマザー端末に即時情報は送信される。もっとも近い位置にあるマザー・ワンが、確認にあたることになった。


 マークと名付けられたアンドロイドは、生体反応があった地域に着陸したのち船外へ出た。

 人類が繁栄を極めた地球に似た環境で、熱と光の元となる恒星の位置から考えると「昼」に該当。多くの生命が活動を活発にする時間帯で、探知されたなにかもおそらくは稼働していると考えられる。

 渡された小型端末のスイッチを入れて、マークは生体反応を探った。推定距離は歩行に適したものではないため、小型二輪車を使用して移動を開始する。文献で知る都市には高いビルディングが乱立していたものだが、ここはそうではないようだ。すでに倒壊している可能性もあるのだが、瓦礫の数が比例しない。

 舗装の剥がれた悪路をしばらく走り続けているうちに反応が強くなってきた。示す方向にはドーム型の施設がある。もっとも天井はすでに壊れており、陽の光に晒されているようだ。

 入口と思しき付近には石碑が建っており、文字が刻まれている。読み取ることはもうできないが、マザーズに蓄積された記録から生物学者の研究施設だったということはわかっている。生体反応とはつまり、実験動物の成れの果てだろう。

 マークは実験体の生態を観察、記録して持ち帰ることが推奨されている。人類が眠りについて千年が経ち、当時を知る個体は少なくなってしまった。

 生きた者――命ある者とは、どんなものなのか。

 人類を模したヒト型のアンドロイドは、新たな人類へ世界を繋ぐ存在として、それらに興味がある。

 マークの任務は重要だった。彼の身体には、たくさんの期待が込められている。初めての任務がこれほど重大であることが、マークは誇らしい。心臓部位が震えを発した。



 近くで見ると立派な建物だ。精神的に疲弊した末期人類が争った影響なのか、多くの惑星において住居は荒らされていたものだが、ここはただ古いだけ。この地域はコーラルでも辺境であり、交通の便も悪かったことから、ひとびとが押し寄せることがなかったせいかもしれない。

 壁に設置されたスイッチを押して、照明を点けた。光を蓄積してエネルギーに変換する技術は、機械社会でも受け継がれているものだ。これらを伝え残した人類に感謝する。

 館内のひび割れた廊下を歩いて奥へ進み、辿りついたのは広々とした空間。大小さまざまな机、並べられた書物は形を保ってはいるが、触れたが最後、塵となって消えてしまいそうな劣化具合だ。人間の生活を色濃く残した部屋だが、似つかわしくないものもあった。

 壁際に設置されている、二階部分にまで到達するような大型の水槽。幅も広く、この部屋をちょうど横半分に区切って共存させているような大きさ。視線の高さにまで土砂が盛られて木や草が植わっており、なだらかな斜面をくだった先は砂浜だ。湖面に浮かぶ島のようになっていて、巨大な水槽の下部分は水で満たされている。

 水面を揺らすのは、崩れた天井から吹き込む風だけではない。その内部で動く存在がゆらりゆらりと薄紅色の髪を浮かばせており、マークの目前にやってきて首を傾げる。

「あら、博士。とってもおひさしぶりかしら? 待ちくたびれてしまったわ」

 マークと同年齢と思しき顔つきの女性が、口からぷくりと泡を吐き出しながら、そう言った。


 人間?

 否、それに近しい姿をした者。

 驚きのあまり、エネルギーが切れたように動きを止めたマークに対し、水槽の中でたゆたう女性はのんびりと言葉を続ける。

「ごめんなさい、怒っているわけじゃないのよ。ただ、貴方はわたしに『待っていてくれ』と言ったわりに、ちっとも姿を現さないのだもの。少しぐらい腹を立てても――、あら、これは怒っていると言えるのかしら。どう思う?」

「わかりかねます」

「つれないひと。もう、いいわよ」

 わずかに棘のある声色を残して、女性は身をひるがえす。水中を泳ぎ、島の向こう側へ姿を消した。

 あとは、水槽の温度を保つための装置が稼働している音が響き渡り、生きた者の気配すらしない。

 ――あれは、なんだ。

 生物であることはわかったが、人間ではないだろう。

 水中で呼吸をし音を発することは、人間はおろかアンドロイドにだって不可能だ。そもそもマークたちはなんの装備もなしに水中で活動することはできない。ゆえに彼女は機械ではないとわかる。女性が向かった先を確認しようにも、巨大水槽は壁に密接するように据え付けられており、前面からしか覗くことができないようになっている。まるで絵画のようだ。

 マークは水槽に触れてみる。硬化樹脂を何枚も張り合わせた壁は分厚く、それでいて驚くほどクリアに見通せる。

 中を満たしているのは海水だ。この星の大陸はほぼ沈んでいる状況であり、配管を通して循環させたとしても尽きることなく供給は可能だろう。天井が抜けているため光が降り注ぎ、それをエネルギーとして機器は稼働し、水温などの一定の生命維持に必要な環境を保っていると推測する。

 一旦部屋を出て、情報がありそうな場所を探した。台所、風呂場、寝室など、生活するうえで必要なものは揃っていて、研究施設といえど住居を兼ねたものらしい。

 書斎で旧式の端末を見分する。コードは劣化していたので、右耳を外して自身の配線を繋ぐ。電源を確保すると、チリチリと音を立てながら起動。データをさらっていくと、あの部屋にいる生物についての文書を見つけた。

 かつての人類はじつにさまざまなものをペットとして愛玩していたが、動物と完全な意思疎通をおこなうことは難しい。

 だから一部の特権階級は禁忌に手を出した。人間と動物を掛け合わせて人為的な生物を作り出し、それらを愛でることを試みたのだ。

 家畜を掛け合わせて新たな種を作り出す実験はすでに実施されており、食用、労働力、あるいは愛玩用としても実用化されていた。動物実験にほぼ終わりを感じていた研究者たちは、この新たな実験に活力を見出したことは否めない。珍しい物を欲する権力者たちにより融資がおこなわれ、人造人間の製造は秘密裏に進められていった。

 キメラの中でも特に人気があったのは、魚との掛け合わせであったという。

 魚の尾を持つ女性。

 童話で有名な「人魚姫」である。


 大きな水槽を設置しその中で飼う人魚は神秘的で、皆が欲した。より美しさを求め、研究は進められた。だがキメラの製造は、高度に進んだ人類文明においてもやはり違法であり、多くが摘発される。

 意志を持ち、ひとと会話が可能なキメラ。それはもはや新しい人類ではないか。

 彼女らをペットのように扱うことを問題視する声が大きくなるなか、新たなキメラが誕生する。環境破壊が進み、人類の生存そのものが危ぶまれる時代において、希望の光となりうるもの。

 水資源が豊富で、人魚型キメラの製造において有名だった惑星コーラルに現れた存在。

 それは、人魚を造る過程で突然変異した、人間と珊瑚のキメラだった。



     ◇



「ウル」

「……なあに」

 研究員の記録をひもといて知った彼女の名を呼ぶと、相手は顔を覗かせた。部屋を出ているあいだに陸上に移動していたのか、大きな岩の裏側に隠れて、警戒しているのか近づいてこない。マークは意識的にパーツを動かして、笑顔の形を作って告げる。

「悪かった。時差ボケがひどくて、ぼんやりしていた」

「よかった。約束を忘れてしまったのかと思ったわ」

「約束?」

「いいこと、マーク・スレイガー博士。貴方が言ったのよ。いつか一緒に外の世界を歩こうって。そのために戦ってくるって」

 マザー・ワンから与えられたばかりの名を親しげに呼んだ彼女は、光の下で笑顔を見せる。薄紅色の髪が白く輝き、真珠のような光沢だが、彼女は珊瑚だ。

 構成元素をスキャンするとわかる。人間と同じように多くの水分と炭素をはじめとする原子が存在するが、表面近くを覆っている多くは石灰質。

 珊瑚姫さんごひめと呼称された娘の生態は、マークが見つけた端末に記録されていた。


 珊瑚は動物である。

 しかし動物でありながら、植物と同じく二酸化炭素を吸収して酸素を作り出すという。

 珊瑚のキメラはこの特性を保有し、ヒト型でありながら人類と逆の呼吸をおこなった。二酸化炭素の放出抑制が叫ばれるなか、この個体は人類に希望を与えたのだ。

 惑星再生プロジェクトが起ち上がり、キメラの増産がおこなわれた。

 だが、うまくいかない。珊瑚としての特性を持ちながら人間の姿で会話をする個体は少なく、彼女らの多くは人形ドールのように無の存在であったという。

 それでも無いよりはマシだということで製造は続き、珊瑚キメラは世界中に広がった。成長途中で死んでしまう個体が多く、子どもの姿をしたキメラばかりであったと文献には記されている。

 だが、コーラルのマーク・スレイガー博士が独自に造ったキメラは成長を遂げた。世にも珍しい、おとなの女性になった唯一の珊瑚キメラだ。

 引き渡し要求がくるが、スレイガー博士はこれらを拒否。事実、このキメラはコーラル以外の海水には適合せずに具合を悪くしたため、ここでの生育が許された。

 博士は彼女に『ウル』と名づけた。古い言葉で珊瑚を意味するものだった。

 さまざまな実験がおこなわれるなか、それは当然のように起こる。

 繁殖実験だ。

 人造人間にも生殖機能はある。他の動物型キメラでの実験では、人間とキメラの間で子を成すことはなかったようだが、人類の中には変わった思考を持つ者もいたらしく、快楽目的の性行相手にキメラを求めることもあったのだとか。

 ウルは成長に伴い美しい娘の姿に変化した。見守っていた人類は彼女との有性生殖を望み、スレイガー博士は拒絶した。

 珊瑚の繁殖としてクローンでの分裂を考えるほうが効率がよいと唱えても、美しく珍しい珊瑚キメラを己のものにしたいという支配欲にかられた男たちの要求は大きくなる一方だったのだ。

 スレイガー博士は、ウルを閉じ込めることにした。

 自分の生体情報でしか解錠できない仕掛けを施して、彼女を大きな水槽の中で生活させることにしたという。

 海と陸の両方を兼ねた箱庭。

 珊瑚姫のための、アクアテラリウムを作り上げて、博士は彼女に言い聞かせた。


 ここは君のための世界。何人なんぴとたりとも手を出すことはできない場所。

 分厚い壁越しでしか君と話をすることができなくなってすまない。

 いつかきっと、ここから出してあげる。

 だから、待っていてほしい。


 スレイガー博士は彼女に言い聞かせて、世界と戦った。

 彼が永遠の眠りについた理由は不明だ。病に侵されたのか、あるいは誰かに命を強制停止させられたのか。端末に残された彼の日記は、ウルのために大統領と面談するという記述を最後に止まっており、何があったのかはわからないのだ。

 この研究所に来て理解したことはふたつ。

 ウルと名付けられた珊瑚キメラが生存していること。そのキメラを造り保護していた博士の生体情報を乗せて作られたのが、自分であるということだ。

 アンドロイドは人類を模して作られる過程で、無作為に選ばれた人間の姿を借りている。汎用型は同じ顔をしているが、マークのような自立探査型の場合は個体差をつけることになっていた。無から有を作り出すことは難しく、残存する人類の顔をサルベージして使用していると聞いている。

 この体と顔は、惑星コーラルで珊瑚研究をしていたマーク・スレイガーという男性のものだったということだ。マザー・ワンに命じられるより前に、マークはすでにマークという存在だったということになる。なんとも不思議な感覚だった。

 ウルはこちらのことを、彼女自身が知るマーク・スレイガー博士だと認識しているようだ。彼女自身の時間軸はどうなっているのかわからないが、生育に成功した珊瑚キメラの寿命は人間のそれを凌駕するのだろう。スレイガー博士の記録にも、そんな記載があった。

 彼は己の身に危険が迫っていることを自覚していた。だから後世に託す文言を端末に残している。


 この文書を読んだ僕の意志を継ぐ者よ。

 箱庭で暮らす姫を、外の世界へいざなってほしい。

 僕の代わりに彼女の手を取り、青い空の下へ。



     ◇



 白々とした素足を海水に浸して、ウルは空を仰ぐ。

 頭上に広がる蒼天。海は空を映す鏡なのだという言葉は、どこで記憶したものだっただろう。マークの中にある言葉や知識は、起動するにあたってインプットされているものだが、姿の基礎となった人物がスレイガー博士であるならば、内蔵記憶すら彼のものなのだろうか。

「博士、今日のぶんの食事は取ったの? ダメよ、寝食をおそろかにすると病気になってしまうわ」

「わかってるよ、ウル」

 アンドロイドに食事の必要はない。予備の電源パックは所持しているし、施設内には充電用ソケットもある。多少の故障ならば自分でメンテナンス可能だし工具もある。活動停止の危険はかぎりなく低い。あるとすれば生体コアの自己破壊のみ。情報漏洩を防ぐための緊急処置だが、人類でいうところの自死を選ぶことは滅多にない。

 だが、そういう意味ではないのだということはわかる。

 ウルにとって自分は人間なのだ。食事をし、排泄をする存在だと定義して、こちらを案じている。

「ほら、行った行った」

 追い払うような仕草をするけれど、顔には笑みが浮かんでいる。拒絶の行動とは裏腹な言葉と態度は機械にはないもので、ウルは半分は人間なのだということを、マークは初めて理解したように思った。



    ◇



 博士は真面目な人間だったようだ。自身の行動記録をつけており、マークはそれに従って動くことにした。

 施設内のメンテナンス、周囲の散策。常にウルの傍にいるのではなく、一定期間は傍を離れている。それはウルを人間として定義しているからでもあり、彼女に自由時間を与える意味があるようだった。

 単独行動時間を使って、マークはマザー・ワンと連絡を試みた。

 生体反応の正体は、千年ものあいだ、命を保持していたキメラであったことを伝達すると、マザーズ全体で協議をすると返答があった。

 コーラルは廃棄惑星として定義されていたが、後々の人類のために生命の存在は貴重である。ましてウルは人造人間。人類なのだ。これを保持することは、最重要事項に思えた。

 返答を待つあいだ、ウルとの交流を深める。

 マークの中にあるスレイガー博士の思考をなぞり、彼を模した。ウルは初対面のはずのこちらに無警戒で、みずからの思いを語り、笑う。初めて接する人類の姿に、機械のマークは常に新しい知識を与えられた。

 日々、ウルの情報を蓄積していく。

 彼女の行動、姿、表情、言葉。幾度も反芻するせいか、既視感を覚えることも増えてきた。彼女の言動を推測することも可能となった。仮定ではなく確信。

 常に明るく朗らかなウルの声紋が狂っていると、身体に不調をきたしているのかと思えたし、構成物質のバランスが崩れていると、やはり身体の不調を案じた。

「博士は心配性よね」

「それは君も同じだ。君はいつも僕を気遣う」

「あら、それは当然だわ。貴方は私の家族だもの」

 同一ラインで製造された機体、シリアルナンバーの近い個体を、疑似的に家族ファミリーと呼称することはあるけれど、人類が言うところの『家族』は、おそらくそれとは違うだろう。

 造られた存在のウルは、創造主であるスレイガー博士を親と定義づけて慕っていた。そういうことかもしれない。

 ――だが、僕は彼女にとってのマーク・スレイガーではない。

 彼の姿を被せただけの機械ニセモノだ。

 それを考えるとき、身体の奥が軋むような感覚に襲われはじめたのはいつからだろう。

 マークがコーラルを訪れて、早くも一ケ月が経過していた。



     ◇



 その日、ウルは浜辺に横たわっていた。

 昼間の彼女はよくこうしている。

 珊瑚は褐虫藻かちゅうそうという藻類を内包していて、これが光合成をおこなうことで植物と同じく酸素を作り出しているという。つまりこの行為は、人類が生きる環境作りに欠かせないもので、珊瑚キメラが望まれた理由でもあるのだ。

 分厚い透明な壁の向こう側で、まるで眠っているように横たわる姿は美しい。

 キメラの中で人気があったのは童話に出てくる人魚姫だったというが、今のウルはさながら眠り姫だろうか。そういえば、童話に出てくる若き姫は眠りがちだ。毒入り果実を食べた姫も眠っていたように思う。

「いやね、寝顔を見られるだなんて恥ずかしいわ」

「だが、とても綺麗だ」

「あ、貴方がお世辞を言えるひとだなんて思わなかったわ」

 早口で言葉をつむぎ、ウルは顔を伏せた。白い頬が色づいていて、表面温度が上がっている。

 熱を発するのは人類にとって病気を意味するのではなかったか。機械であっても熱上昇はよくない傾向。すぐに冷やしたほうが賢明だ。

「気温を下げよう。体温を下げたほうがいい」

「貴方みたいなひとを朴念仁というのよ。さすが、博士の血筋ね。彼によく似ているわ」

「それは、どういう」

「ごめんなさい。わかっていたけど、気づかないふりをしていたの。貴方は私の知っている博士ではないのよね。彼の子ども、孫、それとも、もっと先なのかしら。あれからどれぐらいの年月が流れているの?」

 顔をあげ、透明な壁越しにこちらを見据えて、ウルは首を傾げて微笑んだ。

 その仕草は初めて相対したときを彷彿とさせ、マークは己の体内時間が狂ってしまったような感覚に襲われる。

「貴方の名前は?」

「マーク・スレイガー」

「博士と同じ。すごい偶然だわ。貴方はどうしてここへ来たの?」

「この星で生きている者がいるとわかったから。その調査のために訪れた。あなたの存在は報告済で、対応を待っているところです」

「きっと色々と調べられるのでしょうね」

「悪い意味ではないと思う。あなたは大変貴重な、その」

「実験動物ですものね」

 こちらが言い淀んだ言葉を口にして、ウルは笑う。いつも見せていた楽しそうなものではなく、痛みと哀しみを乗せた笑みは、マークに変調を与えた。

「あなたは人間だ。生きた人類。思考し、みずからの足で動いて行動できる人間」

 自分たち機械とは違う存在だ。

 その言葉だけは発することができずに黙したマークを見て、彼女はようやくいつもの声色を取り戻した。

「優しいひと。貴方は知らないかもしれないけれど、私を育ててくれた博士は、とっても優しいひとだったのよ、今の貴方によく似ているわ。彼は結婚なんてしないと言っていたけれど、良いひとに出会えたのね。姿を見せなくなって、どこかで死んでしまったのではないかと思っていたのだけれど、命を繋いでいたことがわかって嬉しい」

「あなたは博士のことを愛していたのですか」

「博士はわたしの唯一だった。それが人間同士の愛と呼ぶものなのか、完全な人間ではないわたしにはわからないわ。貴方はどう思う?」

「……わからない」

 人間ですらない自分に、そんなことがわかるわけもない。

 判明したことは、今ここにいるのがマクレガー博士ではなく自分であることに安堵していること。命がない機械だからこそ、ウルと永久の安らぎを共有できることに歓喜し、身体の奥が灼けそうになっていることだけだった。

「あなたの知る博士はいない。僕がその代わりになってあなたを護ります」

「貴方は代わりじゃないわ、マーク」

 そのときから、ウルは博士という呼びかけをしなくなった。

 マークはそのことが嬉しいと感じた。

 ずっとそう呼んで欲しかったのだと気づいた。

 改めて「はじめまして」の関係から構築し、時間を共有する。

 ウルは自身の住む空間をじつは窮屈に感じているのだと打ち明けたが、スレイガー博士の立場を尊重して受け入れたのだと吐露した。

 彼女を護るために作られた箱庭だが、彼女にとっての敵はもういない。人類は眠りについている。再び目覚めることを目的としていた眠りは、千年経過しても解かれていない。彼女は外で生きていける。

 マークは、マザーズからの返答を待っていた。ウルを母星に連れて戻るのであれば、その準備が必要だ。

 報告を入れてから二週間。マザー・ワンから下された命令は、予想に反するものだった。



「予定通り、惑星コーラルを停止せよ」

「では彼女は」

「ひとまずは十に解体。各マザーに送ったあとは、それぞれの場所にてさらに解体。人類再生プロジェクトを開始します」

「なんですか、それは」

「それが人類の欠片であるならば、培養し、新たな人類を造る。生物は海より出でるというのは本当のことでした。珊瑚というのは意外でしたが」

「培養……」

「珊瑚とはクローンで増えると文献にあり、ならばその個体を解体しても問題はない。むしろ効率的」

 抑揚のないマザー・ワンの音声が端末から単調に響く。

「マーク・スレイガー。調査員らを派遣します。彼らに解体した珊瑚キメラを譲渡したのち、帰還せよ」


 人類再生プロジェクト。

 初めて耳にした言葉を調べる。重大機密情報としてプロテクトがかかっていたが、マーク・スレイガー博士の頭脳を駆使すれば突破は容易で、マークはなぜ人類が永遠の眠りについたのかを知った。

 アンドロイドたちは、いつか目覚める人類のために世界を再生するのだという考えの基に行動しているが、ならばなぜ人類は「永遠の眠り」などと謳ったのだろう。覚醒するつもりがあれば、そんな単語を冠する必要はないはずなのに。


 人類は抗うことに疲れたのだ。

 だから終わりを受け入れた。

 抗ったのはむしろ機械のほうだった。

 彼らはマスターを求めた。

 ゆえに、もう一度人類を作り出すことを望んだ。


 それが人類再生プロジェクトである。




 妙に重い体を無理やり動かしてウルの元へ向かうと、彼女はぼんやりと空を見ていた。

 博士ではないことを明かしてからは、彼女と時間を共にすることが増えていたため、こうして遠くから見つめることはひさしぶりだ。だからこそようやく気づく。

 ウルの身体は以前よりもずっと白く、細くなっていた。シルエットはいびつで、髪の一部が鋭角的に欠けている。

 いたのではない。

 折れたのだ。


「……いつから」

「もともと終わりは近かったのよ。昔はね、髪がもっと赤かったの。嘘みたいだけど」

 右手で髪を掬うと、触れた先から崩れていく。

「珊瑚って、死ぬときは白くなるんですって。だからね、わたしは自分が遠くない未来に死ぬんだってわかってた。そんなときに貴方に会ったのよ、マーク」

 いつものように笑みを浮かべて、首を傾げる。

「貴方って機械だけどとっても感情豊かよね。長生きしてよかったわ。ロボットがこんなにも進化するなんて思わなかったもの」

「いつから――」

「どうかしら、なんとなく?」

 肩をすくめると、それだけでまた身体の形が変化した。

 彼女があまり動かなかった理由を理解する。自分と対話するために座っているのだと言っていたけれど、あれは嘘だった。

 動かないのではなく、動けなかった。動いてしまえば身体は崩れてしまう。それほどまでに脆くなっている。

「ねえ知ってる? 人魚姫は王子様に恋をして、声を代償に足を手に入れて外へ出た。その気持ち、よくわかる。わたしも直接、貴方に会いたいと思うもの」

「そんなことをしたら君は」

「泡になるどころか、サラサラの砂になりそうよね。貴重なサンプルを駄目にしてしまったとして、貴方が罰せられてしまう」

「罰などどうでもいい。僕は君の願いを叶えるだけだ」

 身体を切り刻むなんて残酷な選択肢は、最初から存在しない。

 彼女が多くの人類と同じように、永遠の眠りにつこうとしているのであればそれに殉じるし、外の世界へ行きたいというのであれば、願いを叶える。

 それがマーク・スレイガーより託された、マーク・スレイガーの意志。

 彼は自分で、自分は彼だ。

 広々とした館内で迷うことがないのも、彼女の言動に既視感を覚えるのも、自分がスレイガー博士だからだ。

 マーク・スレイガーは、大切なひとに会いにきた。

 約束を果たすために、機械の身体で生まれ直った。

 ウルを迎えに、コーラルへやってきた。

 彼女は、この出会いを偶然と言ったけれど、おそらく違う。

 ああ、そうだ。

 ヒトはこれを『運命』と呼ぶのだ。



 制御盤を開く。装置を作った博士の生体情報のみに反応するボタンをマークが押すと排水が開始され、槽内の液面が下がっていく。次のボタンを押すと、ガコンという重い音とともに硬化樹脂の一部が開いた。

 軽い足音を響かせながら、ウルが歩いてくる。

 そのたびに一部が崩れ、形を変えていく。

「マーク」

 管を通さずに聞いた彼女の声は、懐かしい音を奏でてマークの体に反響する。

「ウル、どこへ行きたい?」

「貴方とならば、どこへでも」

 箱庭から出た珊瑚姫に手を伸べて、マークは彼女の白く脆い人差し指に、そっと唇を寄せた。



 翌日、現地に到着した調査アンドロイドは、巨大なアクアテラリウムに寄りかかる一体のアンドロイドを発見する。

 再起動に必要な生体コアのみが消失した機体は、薄紅色の砂の中で静かに永遠の眠りについていた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アクアテラリウム 彩瀬あいり @ayase24

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ