雨の東屋より
木下ふぐすけ
第1話
間に合わなかった。が、間に合った。
はじめは一滴一滴数えられそうだった雨は、ものの三十秒で不可避の弾幕となった。
本降りになる前の帰宅は叶わなかったものの、ひどく濡れる前には折り畳み傘の展開に成功した。
急ぐ。一歩ごとに、水気がじわりと靴を抜ける。
ショートカットのため、公園に入る。
晴れていればたいてい数組の子供連れが来ているが、今日は人影がない。
この雨では、そうだろう。いつもはママさんたちが話している東屋も無人だ。
東屋。
足を止める。
今日の雨は強い。俺の折りたたみは携帯性重視で軽い分小さい。荷が重いか……?現に夏服とリュックは僅かずつ濡れつつあるし、さらに言えば湿りゆく靴の不快さは傘ではどうにもならない。
俺は東屋に入った。
携帯。雨雲レーダーは黄色。市内に大雨注意報発令。
三十分後には公園から家までが緑に落ち着く予報。
それを待ってみるか。
ふと、東屋の屋根を叩く雨音に混じる、水が跳ねる規則的な繰り返しに気づいた。
視線を上げる。
夏服の女子が一人、カバンを傘代わりに走ってきていた。
女子も東屋に入ってきた。
入ってから俺に気づいたようで、女子は気まずそうに俺の対辺に座り、胸に手を当てて息を整える。
遠目ではわからなかったが、この女子の来ている夏服はクラスの女子のものとは細部が異なる。
他校の生徒らしい。
中学生か高校生かは判別がつかない。背の高い中学生とも、背の低い高校生とも取れる身長だ。
雨の中を走ってきたからか、女子の顔は微かに上気し、肩まで伸びる黒髪を含め、全身がつややかに湿っていた。
濡れた半袖ブラウスは薄っすら透けて、ブラが見えてしまっている。
見てしまった罪悪感と気まずさを隠すように、俺は携帯に視線を落とした。
雨は依然、東屋を叩き続けている。
「…………。」
唐突に、女子が何かを言った。雨音にかき消され、内容まではわからない。
視線を上げる。
女子は、内容が通じていないことを察したらしい。
気まずそうに数秒視線を彷徨わせた後、女子は大胆にも俺の隣に移ってきた。
「雨、止みませんね」
わざわざ隣まで来て言うほどのことか?それ。
とはいえ、今のところ雨が弱まる気配がないのは確かだ。
「雨雲レーダーはあと二十分くらいしたら弱まるって言ってるけど、そんな感じはしないね」
「そう、ですか……」
女子は東屋の外に視線を向けた。
俺も外を見る。
雨足は、俺がこの東屋に逃げ込んだときよりもむしろ強まっている。
「あの!」
会話が途切れ、俺が再び気まずさを感じ始めた時、女子がまた唐突に話し始めた。
近くで見ると、なかなか利発そうな顔をしている。
「あ、えっと、その……」
「久城。久城衛璃。俺の名前」
俺に対する二人称を選びかねているようだったので、名乗って助け舟を出す。
「あ、私はユサ アマネって言います。えっと久城さんは、出水高校に通われていらっしゃるんですか?」
緊張しているのか、敬語が暴走している。が、その推測は正しい。とはいえ。
「そうだけど、なんで分かったの?」
「えと、久城さんのシャツの胸ポケットのところに、校章があるので」
自分の左胸を見る。確かについている。しかし、よく他校の校章を見てどこの校章か分かるな。俺は自分の通ってる学校のですら他と混ぜて出されたらわからない自信がある。
「それで、私、出水高校志望なので、少しお話をお聞きしたいなと」
雨はまだ、弱まりそうにない。
「いいよ。それで、志望ってことは、今は中学生?どこ中?」
「学院大付属中の、三年です」
学院大附属といえば、県内屈指のお嬢様校だ。幼稚園から高校まで学院大附属に通い、そのまま学院大に進学という人も珍しくないと聞くが、となれば当然の疑問が湧く。
「学院大附属って、確かそのまま附属高に上がれたよね?偏差値的にはほとんど変わんないのになんでわざわざ出水志望?」
俺の質問に、ユサさんはゆっくりと話し始めた。
「それは、その、親の方針で。私、幼稚園からずっと学院大附属なんですけど、学院大附属以外の世界も知ったほうがいいから、高校は附属以外のところにしなさいって。それで、色々調べて、出水がいいかなって考えてて……」
事情はわかった。とはいえ他の家の教育方針は、一介の男子高校生が口をだすことではないだろう。あまり首は突っ込まないでおく。
「なるほどね。それで、聞きたいことって?」
雨の東屋より 木下ふぐすけ @torafugu
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