狐と鬼の逃走劇

緑月文人

第1話

「逃がすか!待て!」

「そういわれて、実際に待つ奴なんかいないよ」


 後ろから聞こえる声に、飄然とした軽い声で返事をして俺は走り去る。


 俺の名は酒吞童子。

 妖怪が出る漫画やゲームが好きな人は知っているかもしれないが、かつて大江山に鬼たちの頭領として住んでいた。


 え?頼光四天王達に退治されたはずじゃなかったのかって?そうなんだけど、どこかの偉い漫画家さんの作品で、こういう言葉があっただろう?

『お化けは死なない』って。魂さえ残っていれば、時間をかければ、肉体も修復されるのさ。


 復活したから、また悪事を働く気なのかって?いやいや、悪事はさんざんやりつくしたし、その報いもきっちり受けた。また懲りもせずに同じことをやらかすほど、救いようのない馬鹿ではないつもりだよ。

 とはいえ、さすがに馬鹿正直に名前を明かしたら驚かれるし、畏れられる。人間にも、妖怪にも。


 なので、ほとんど名を明かさず地道に人助けやら、妖怪助けやらやってるんだが、人間――それも妖怪を殺せる連中――の中には『妖怪=悪』と決めつけて襲ってくる困った連中がたまにいる。

 そういう奴らと、あった場合は真っ先に逃げることにしている。向こうにこっちの話を聞く気がさらさらないのなら、話し合いで解決することも不可能だし。

 戦って殺すのは論外。そういうわけでその場から逃走したのだが、向こうも中々しつこく追いかけてくる。


「何をしておる」


 ふわりと空から降り立って、俺と並ぶように疾走しながら問いかけるのは、一人の男。

 流れるような黒髪とは対照的に、白い肌。黒い和装を纏う、細身だが引き締まった長身。鼻梁の通った面長の顔に切れ長の眼が目立つ、上品で線の細い顔立ちの青年――の姿をした鬼だ。癖のある赤毛と大柄な体躯、掘りの深い顔立ちの俺とは対照的だと言われる容姿。かつて鈴鹿山に住まう鬼神であった『大嶽丸』だ。

 俺は『旦那』って呼ぶことが多いけどね。


「面倒くさそうな人から、逃げてる」

 俺が答えると、大嶽丸の旦那は細い眉を顰める。

「殺した方が早いのではないか」

「ダメだってば」


 そう言うと、旦那はあきれたような吐息を漏らして、白い手で虚空をなでる。

 なでた空間が揺らめくと、一振りの刀剣が現れる。

 その刀剣の柄を握り、旦那は一振りする。

 あくまで、無造作で軽い一振り。だが、その一振りから衝撃波が生まれて、後ろの人間へ向かう。俺は眉をひそめて、自分の腕を振るう。

 生まれた衝撃波が、旦那の衝撃波と衝突し、多少は威力を減衰させつつも、後ろの人間へ向かう。


「がっ……! 」

 短い悲鳴が聞こえた後ろに視線を送ると、うずくまる人間の姿。

「ちょっと旦那……」

「死にはせんだろう、行くぞ」


 旦那が言った矢先に、うずくまる人間の後ろから、複数の足音が聞こえる。どうやら、面倒くさそうな人間は、他にもいるらしい。

「ちっ 」


 忌々しそうに舌打ちをした大嶽丸の旦那は、手にした刀剣を構えるが――


「あ……」

「あ……ああ」


 うずくまる人間の姿を見つけ、駆け寄ろうとした人間たちは、声にならぬ声を漏らしながら、ゆっくりと倒れ込む。


「おい、お前ら。どうし……」


 うずくまる人間が、声を上げるがそれも途中で途切れてしまい、ゆっくりと倒れ込み、意識を失う。

 甘い夢の中に引きずり込まれるような、どこか陶然とした表情を浮かべて。


「無事ですか、お二方」


 清水が流れるように涼やかな声と共に、ふわりと地面に降り立ったのは一人の麗人。

 しっとりとした光沢を纏いながら背中にまっすぐに流れる、月明りのような色合いの髪。白磁のような肌。華奢な体躯を包み込む黒いパンツスーツ。形の良い細面の中、切れ長の大きな眼の中に宿る硝子のように透明感のある瞳がこちらを見つめる。


「ああ、ありがとう。助かったよ、玉藻前」


 俺は笑顔で彼女に礼を言う。

 多分、彼女が幻術をかけるか何かしてくれたのだろう。

 かつて、その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛されるようになった娘がいた。

 天下一の美女とも、国一番の賢女とも謳われた、彼女の正体は白面金毛九尾の狐。


 ……言っとくけど、那須にある『割れた殺生石』は別に、彼女を封印した石じゃないからね。漫画の設定を鵜呑みにして、勘違いしてる人は多いみたいだけど。

 能の『殺生石』ていうお話とか調べたらわかると思うけど、普通に石から分離して、玄翁和尚に話しかけるシーンとかあるから。

 俺たち3人は気が合うのか、出会ってから何となく行動を共にするようになった。

 

「じゃあ、とっとと逃げようか」

「はい」

「……やはり、殺せば早いのではないか? 」

「ダメだってば、ほら行くよ」


 そんな会話を繰り広げつつ、俺たち――近代のエンターテインメントでよく悪役に設定される妖怪たちは、特に悪役らしい虐殺をやることもなく、その場をすたこら去った。

 ある時は、鬼の怪力で死なない程度にぶん殴って気絶させたり。

 またある時は、玉藻前の狐火で惑わして、同じ場所を何度もぐるぐる回るように仕向けたり。

 さらにある時は、うっかりやりすぎて、危うく殺してしまいそうな時もあった。

 その時は、河童のところに駆け込み、大量のキュウリと引き換えにもらった妙薬で人間たちの傷をどうにか治して、そそくさと逃げ去った。

 殺すより、殺さない方が難しいなんて言うけど、全くその通りだな――なんて思いながら、俺たちは今日もなんとか、逃げ切った。

 

 


 



 

 

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