猿夢猿婿百日紅

雲晴夏木

猿夢猿婿百日紅

 子供の時から、夢を見る。猿の嫁になる夢を。夢の中のあたしは、馬鹿なおっ父がした約束で、畜生に嫁いでく。

 白い毛並みの大きな猿だ。赤い面をさらに赤らめ、猿はあたしを担いで山へ行く。鼻先で感じる獣臭さに吐き気を催し、あたしはようやく目を覚ます。

 他人に話せば、夢は夢じゃと、鼻で笑うだろう。実際、姉二人は笑った。だけどあたしは笑えない。その馬鹿な夢、あたしがいくつの頃から見てると思う?

 正夢になられちゃたまらない。だからあたしは、おっ父をよく手伝った。村のことだって、幼い時分から何でも手伝った。

 それもすべては、顔を覚えてもらうため。働き者だと知ってもらい、嫁のもらい手に困らないためだ。

 だけど夢は変わらなかった。毎晩毎晩、あたしは猿に連れ去られる。

 自分を売り込むだけじゃいけないんだとわかった。吾が吾がと自分ばかり目立とうとする娘、欲しがる家なんかありゃしない。ちゃんと弁えたあたしは、自分を周りに売り込みながら、おっ母とくっちゃべりながらのんきに過ごす姉たちのことも売り込んだ。

 あいつらを売り込んでやるのは腹が立つ。だけど、しょうがない。あの二人が片付かなくちゃ、あたしの番は回ってこないだろうから。

 努力の種は芽を出して、立派な実を結んださ。のんきな姉たち二人とも、心優しい百姓と小さな幸せ掴んださ。

 ようやくあたしだと思ってた。人間に嫁げると思ってたのにだ、神様はひどいったらありゃしない。

 村を襲ったのはひどい日照り。畑どころか、飲む水すらもままならない。村に流れる川は大蛇みたいだったのに、すっかり干上がり、細い細い縄みたいになっちまって。


「こらぁ大蛇さまを拝まねば」


 そんなこと、よりによっておっ父が言い出した。村の男衆が「そうだそうだ」とうなずいちまって、トントン拍子に話は進み、村で唯一年頃で嫁入りしてないこのあたしが、川に放り込まれる次第になった。

 ふざけんじゃないよと喚いたけれど、よしておくれと泣いたけれど、誰も彼も口を揃えて村のため! あたしの気なんか知りゃしないで、あたしを放り込む日取りの相談してる。

 いつとわからぬその日に怯え暮らしてるうちに夢が変わった。眠るたび、今までと違う夢を見る。

 川に投げられ蛇に絡まれ溺れ死ぬ夢だ。冷たい鱗の感触が妙に生々しくて、本当に、本当に厭な夢だった。

 絡まれ溺れ苦しむあたしを、岸から見下ろす奴がいる。

 白い毛並みに赤ら顔。ああ、あいつだと、あたしにはわかった。あたしが死んでも嫁ぎたくない相手だと、わかっちまった。

 岸に立つ猿はあたしを見下ろして、生意気にも「どっちがいい」なんて訊きやがる。


「溺れ死ぬか俺に嫁ぐか。さてお前は、どっちを選ぶ?」


 水を飲みながら、あたしは迷わず叫んでやった。


「畜生なんかに嫁いでたまるか!」


 猿は「そうか」とうなずいて、金色の目であたしを見下ろした。猿に見下ろされたまま、猿を睨みつけたまま、あたしは水をしこたま飲んで、息もできずに溺れ死ぬ。そしてようやく、目を覚ます。

 三日三晩それが続いて、四度目の夜、あたしは蛇の尾を蹴飛ばしながら叫んだ。


「嫁になればいいんだろ。なるよ、なってやるから、助けてよ!」

「ようしきた」


 猿は黄色い歯を見せ、嬉々と笑った。


「約束したぞ。助けてやるから、嫁に来い」


 そう言われるとほぼ同時に、あたしは夢から覚めた。まだ鳥も起きない、夜明け前の暗い時間、あたしは心底ほっとして、一人静かに息を吐いた。

 なのにその朝、あたしは川に投げ込まれるのが今日だと知った。

 禰宜を先頭に、村の男衆がぞろぞろ歩く。あたしといえば、死に装束着せられて、簀巻きにされて、村一番の力持ちに俵のように運ばれていた。

 夢で約束したってのに、猿は助けに来やしない。とんだ嘘つきめと悪態をつきそうになって、ようやく自分の愚かさに気づく。

 夢は夢だろ。なのにあたしは、どうして猿が助けに来るなんて思ったのか。どうして猿があたしをもらいに来ると思ったのか。

 夢なんかさっさと忘れて、おっ母と姉たちに混ざってのんきに暮らしていればよかった。

 夢なんか信じないで、今日を待たずに逃げ出せばよかった。

 あたしはなんて馬鹿なんだろう。自分で自分をせせら笑い、腹をくくった。

「代わってやりたい」と泣く母に唾を吐き、「可哀想に」と哀れむ姉に罵声を浴びせ、拝むだけの村人たちに「お前ら全員死んじまえ」と叫んでやった。簀巻きにされてんだ、口だけで済ましてるのをありがたく思え。

 まあ、そんな態度でいたもんだから、川に着くなりあたしはさっさと放り込まれた。

 あんなに細くなってた川が、今日に限って水位が高い。禰宜がありがたや、と手を打ち鳴らす。


「大蛇さまが戻ってきなすった」


 ありがたがる村の奴らに、もう一回くらい唾を吐いてやりたくなった。そんなわけないだろ、大蛇さまなんかいるもんかって。

 川がやたら黒々してるのは、今はお天道さんが翳ってるせいさ。

 水底にぎらぎら光る赤い眼が見えるのは、百日紅の花びらが落ちたせいさ。

 赤い口開けた大蛇があたしを飲み込もうとしてるけど、それは、それは――。

 言い訳を考える前に、ざぶんと水を被った。口や鼻に、水が入る。息を吸おうとしても、入ってくるのは水だけ。けれど私は、不快感も苦しみもさほど長い時間感じなかった。


「助けてやるぞ、俺の嫁御」


 夢で聞いた声が、そう言ったからだ。

 気づけば水は真っ赤に染まっていて、気づけばあたしの縄は切れていた。息ができるのはありがたいが、金臭くって、獣臭くてかなわなかった。

 顔を顰めるあたしを担ぐのは、夢で見た、白い大きな猿だった。


「おれがずいぶん前から目をつけてたのに、横からかっ攫われちゃたまらん」


 そうぼやいた猿は、あたしをよいしょと担ぐと、一目散に山へ走った。

 白くて、大きくて、喋る猿。夢で見た通りだ。せめて天狗なら、獣臭くはなかったろうに。

 こいつに嫁入りなんていやだなぁと思っていたら、風に乗って微かに、禰宜の声が聞こえた。


「あれこそ、わしらが拝む山神さま――」


 振り返り、いったいどれだけ拝む相手がいるんだと言ってやりたかったのに、それは叶わなかった。あたしと猿は、あっという間に山に入ってしまった。

 こうしてあたしは、白くて大きな猿の嫁となった。

 約束だから従うものの、所詮獣と人間じゃあ、釣り合いなんて取れやしない。

 獣臭いのが気に入らない。

 赤ら顔が気に入らない。

 白い毛並みが気に入らない。

 目につく何もかもが気に入らなくて、次第にあたしは嫌気が差した。


「殺そう」


 あたしのためにと用意された穴蔵で、あたしはぽつり呟いた。山の神を気取る猿は、見回りといって山を駆け回ってる。残されたあたしは、寝床の掃除をしていた。

 食えそうなものを取ってくるのは、あいつの役割だ。昼間、ほとんどの時間をあいつは山で過ごす。その間あたしは、穴蔵の掃除くらいしかやることがない。

 あいつが寝るための葉っぱだの羽だのの山を整えてやりながら、あたしはもう一度「殺そう」と呟いた。さっきの思わず漏れた声とは違う、覚悟の一言だった。

 殺した後にどうするか。それは後から考えりゃいい。山を下りて村を捨てて、どこか遠くへ逃げりゃいい。

 さてそれじゃあ、どうやって殺してやろう?

 そうだ、あいつにもあたしと同じ思いをさせてやろう。木から落ちて、溺れ死ね。


「ねぇあんた」


 帰ってきた猿に、あたしは特別優しい声で呼びかける。


「今度出掛けるとき、あたしも連れてっとくれよ」

「嫁御の細い足じゃあ、山道を駆けるのは無理だろう」

「あんたが担いでくれりゃあいいじゃないか。何だって走らせようとするのさ」

「それもそうか。そうだな、おれが背負おう」


 いいぞとうなずいた猿の赤ら顔は、満面の笑みだった。ちくしょうめ、嬉しそうにしやがって。あたしの気なんて知らないで。

 早く明日になれと祈って、あたしはあいつと、さっさと寝床で眠り込んだ。

 そして翌朝。

 あいつはあたしを背負って、山を駆けていた。あたしは山内の景色を珍しがるふりをして、こいつを殺すにふさわしい場所を探した。

 どこで殺そう。

 どこで溺れさせよう。

 そう悩みながら、景色を見る。

 きれいな山だった。静かな山だった。時々、小鳥が親しげに飛んできてはあいつに何やら話しかけた。

 ああ、腹が立つ。どいつもこいつも、のんきそうに。

 苛立ちながら運ばれて、やってきたのはあの川のそば。百日紅の花が咲く、切り立つ崖の上だった。あたしは「これだ」と思いついた。


「ちょっとあんた」


 毛皮を引っ張り、まだ走ろうとする猿を止めさせる。


「あの花を取っとくれよ」


 あたしが指さす先を見て、猿は珍しく怪訝そうに顔を顰めた。


「何でまた、あんな花」

「きれいじゃないか。赤くって、いい色だよ。あんたの顔みたいだ」

「おお、そうか。おれの顔みたいか」


 でれでれと鼻の下を伸ばすな、気色悪い。

 そう言いたくなるのを堪えて、あたしは「そうさ」と微笑んだ。


「あんたはねぇ、知らないだろう。あんたの帰りを待つあたしがどれだけさびしいか」

「さみしかったのか、おれの嫁御は」

「そりゃあそうさ。だからね、あんたと一緒にいる気になるために、あの花を取っとくれよ」

「そうか、それなら取ってやろう」


 猿はあたしを下ろすと、つるつる滑りやすい幹に手をかけ、意外なほどするすると木を登っていった。これじゃあいけない、あっさり花を摘まれちゃ意味がない。適当な高さで花を取ろうとする猿に、あたしは慌てて声をかけた。


「違う、違う。もっと上の花だよ」

「なに、もっと上」

「ああ、違う違う。もっと、端の花だよ」

「なんと、もっと端か」


 じりじりと、猿が川の真上に近づいていく。

 猿の足場が、どんどん細く頼りなくなっていく。

 いい具合だ。そのまま落ちて死ね。溺れ死ね! あたしが自由になるために!


 ――ほんとにいいの?


 脳裏をふと過ったのは、自分の本音か、小鳥の声の空耳か。だがその声は、あたしの口を閉ざした。


 ――確かに見た目は猿だけど、だからって中身までまるきり猿じゃあないだろうに。


 うるさい、黙れ。猿は猿だ、猿畜生だ!


 ――木の上で寝られないあたしに、熊も近寄らない洞穴を用意してくれたねえ。


 だから何だ、あいつだって熊は怖いはずだろう。山の神っつったって、あいつは所詮猿なんだから。


 ――山の生き物みたいに毛皮がないもんだから、夜には寒さでぶるぶる震えるあたしを、仔猿みたいにあっためてくれたよねぇ。


 そんなもの、情けをかける理由になるもんか。


 ――一張羅が死に装束は気の毒だって、村から着物を盗んできちまったときは、腹が痛くなるほど笑ったっけ。


 だってしょうがないじゃないか。あれはあたしの姉さまの、その姑の一張羅だったんだもの。


 ――山を見回っては、山の幸、川の幸を、一緒に食べようっていつも運んでくれたね。


 それがあいつの仕事さ。あたしはそれを、あいつの拾ってきた粗末な道具で料理してやったじゃないか。


 ――あいつはあいつなりに、人間あたしに近いやり方で、あたしが苦労しないよう、心を砕いてくれたよねぇ。


 心なんか、あるもんか。あの畜生に、人間さまみたいな心が、あるもんか!

 ああ、ちくしょう、ちくしょう。自分自身と言い合いしてるうちに、あいつめ、花を摘んじまった。器用に枝から枝へ移って、幹を伝って、こっちに戻ってきちまった。


「見ろ、嫁御。ほら、見ろ!」


 あたしを呼んで、あいつは笑う。まったく、まったくもう!


「どうだ、嫁御。これがあれば、おれがいない間もさみしくないか」


 差し出された、赤い花。目の前のにやけた赤ら顔みたいな、殺すと決めたあたしの胸中みたいな、赤い花。

 あたしはこれを、受け取らなくちゃあいけない。だって、あたしはこいつを殺し損ねたんだもの。ついた嘘を、本当にしなきゃいけなくなった。


「ありがとう」


 呟くようにお礼を言って、猿の指から花を受け取る。


「いやいや、なぁに」


 にやけた顔がさらににやけて、まるでお日さんみたいに明るくなった。邪気の欠片もない顔を見て、あたしは泣きたくなるのを、鼻を鳴らして誤魔化した。

 ちくしょう、ちくしょう。

 照れるこいつを、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、愛しいって思っちまったじゃないかよぅ。

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