その夜、リタが飛び出して行ったのは

雪村悠佳

その夜、リタが飛び出して行ったのは

    1


「ユールの馬鹿!」


 叫び声を残して、足音が酒場の外に向かって走り去っていく。少し遅れて、乱暴に扉が閉じる音。


 食事や酒を楽しんでいた客たちの賑やかな声が、その音に驚いたかのように不意に止まって、それから視線が一斉にテーブルの一つに注がれる。口笛が一つ鳴って、どこからかコルクの栓がテーブルに飛んできた。

 その視線の先にいるのは2人の男性。1人は黒い髪を短く切った、長身で頑健そうな若い男性。もう1人は、さっき「ユール」と呼ばれた、茶色い髪が少し伸びた感じの、どこか幼さの残る感じの男性。――つまりは、ユール・シンベル、僕である。


「……俺、何か怒らせるようなことを言ったか?」


 きょとんとした感じで、シクソン・ミクトラン、つまりは向かいに座っている長身の男が言う。


「いや、明らかに馬鹿って言われたのは僕の方だろ?」

「でも、ユールも失礼なことは特に言ってないだろ」


 そう言いながら、テーブルの上を見回す。

 パスタが大皿に盛られていて、取り皿が3つ、あとはエール酒の入ったジョッキが3つ。取り皿にも食べかけのパスタが3つ。そのうち1つだけ、フォークが上を向いて皿の横に転がっている。


「パスタに唐辛子ソースかけ過ぎだとか」

「リタって結構辛い物好きじゃ無かった?」

「口内炎が出来てひどく染みて、ストレスが溜まってたとか」

「ないよ、それ」


 口内炎が出来ていたら他の食べ物も染みるだろう。

 とはいえ、何かでストレスが溜まっていた可能性は否定できないけど。


「そんなことよりユール、大事なことがある」

 真剣な顔をしてシクソンが言った。


「なに?」


「とにかく、追いかけよう」

 そう言いながら立ち上がる。


「だね」


 と言うのか真っ先にやるべきはそれだよなぁ。


 腰を上げながらちらっとテーブルの上の食事をちらっと見る。

「代金は払えよ!」

 酒場の主人が大声を上げた。



    2



 代金を払って(リタの分も立て替えだ)外に出ると、石畳の通りが左右に伸びている。


 夜まで開いている食事店や宿屋が多いせいか、通り沿いはガス灯がいくつも並んでいる。少し薄暗くなって来たけど、ガス灯が既に点っているのでそれほど暗い感じはしない。

 向こうの方に緑色の光が見えるのは、大通りと交差するところにある、確かこの街で唯一の信号機だ。暗くなると離れたところからでも意外にはっきりと見える。


 通りがかりの人に聞くと、リタが走り去った方角は簡単に分かった。その信号機の見える大通りの方向だ。


「宿屋に帰ったのかな」


 僕が呟くと、シクソンも頷いた。

「他に行くところもないだろうしな」

 宿屋は大通りを越えた向こうだ。

 取り敢えず走っても仕方が無いので、2人無言で通りを歩いて行く。


 ――リタと僕とシクソンが出会ったのは、遠くの街の情報屋でのことだった。


 冒険者だとか言うほどかっこいいものではない。


 未開の地を開拓する需要はまだまだあるが、既にこの国では都市周辺では魔獣とかはほとんど出なくなっているし、出たとしてもどちらかと言えば駆除は国の仕事だ。

 だけどまだ、他の街と行き来する旅は、安全なものとは言えない。ほとんど出ないとは言え魔獣もいる、泥棒とか盗賊もいる、何より往復する時間は短くはない。


 だから、街と街を行き来する旅人には一定の需要がある。

 同じメンバーで組む場合もあるし、たまたま同じ方向に向かう旅人同士が一緒に依頼を引き受けることも多い。ただし、安全や信頼の面から、2人以上で共同で受けるのが通例だ。


 駆け出しの旅人だった僕たちで引き受けたのは、荷物の運搬業務。

 移動距離が長いだけで、簡単な仕事だ。情報屋に保証金を払って、馬車に荷物を積んで、この街まで運んで――。

 で、先ほど無事配達も完了したところだ。宿に一泊して、あとは馬車を回送して、元の街に報告に戻るだけ。戻る時についでにこなせる案件が何かないか、明日探してみよう――というところだったんだけど。


「リタってあんなに感情的になる性格だっけ」


 ここまで旅をしてきた印象では、むしろわりあいにこにことして人当たりのいい印象だった。僕より一つ年下と言ってただろうか? ブロンドの少し伸ばした髪と、若干ほっそりした感じの頬、体もわりあいスレンダーな感じで小柄で。


 正直、こういう臨時パーティは快適な旅になるとは限らない。

 むしろ旅人というのは癖の強い連中が多くて、僕も全く合わずに事務的にただ無言で過ごした経験もある。


 だけど、リタとはすぐに打ち解けた。

 気がつけば互いの身の上話とかもしていた。三男で大きくなったら旅立たざるを得なかった僕のこと。洪水で村の田畑が台無しになったリタのこと。2人とも今は当てもなく旅をしていること。見て来た町のこと。川の流れのこと。ひどく苦い名産品のこと。


 何より思い出すのは、揺れる馬車の後ろに腰掛けて、リタがでたらめな歌を歌っていた時だ。

 馬に跨がったシクソンに唆されて、合唱するように声を合わせてリタを冷やかすと、照れ隠しのように逆ギレされた。言い合ってたら馬車がいきなり揺れて2人揃って落ちかけた。

 実はシクソンがわざと揺すったんだけど、思ったより大きく揺れて、あとで手を合わせて謝られた。

 その日の夕食はシクソンにおごらせた。


 あの時にリタが怒ったのは、冷やかした自分が原因だとはっきりしていたけど。

 今日は何が何だか分からない。


「何がリタを怒らせたんだろ」

 もう一度首を傾げる。


 ちょうど宿屋の看板が揺れていた。


「……宿屋にいると、いいんだけどな」

 シクソンが不安そうに言った。



    3



 お仲間の女の子ならもう帰ってきているよ、と宿屋の奥さんはあっさりと言った。


 拍子抜けしたような、ほっとしたような気持ちで。

 僕は2階に上がると、リタの部屋の扉をノックした。


「リタ、いる?」

「うん」


 あっさりと扉が開く。

 僕の顔をちらっと見ると、リタはそのままベッドに腰掛けた。

 ちょっと俯いて、目を合わせようとしない。


「何か、悪いこと言ったかな……」

「ううん。気にしないで。私がなんか色々変に考えちゃっただけ。ユールは何も悪くないよ」

「そう言われても気になるよ」


 数歩だけ部屋の中に入る。

 ちょっと迷ったように沈黙があって、それからリタが顔を上げる。


「さっきさ、シクソンが言ったじゃない、戻って情報屋に報告したらどうするかって」

「うん」

「で、ユールが言ったよね。……仕事は終わりだから、あとはまたお互いの旅が始まるね、って」


 そう言えばそんな話してたかな。エールを飲みながら。


 いつものことだった。


 旅人にはそれぞれの事情があるし、仕事というのはそういうものだ。旅費や生活費を稼いで、お金をもらって、また次の旅へと移っていく。1人になった宿屋で、ほんの少し寂しい気がするけど、解放されてほっとして、そしてまた荷物を背負って当てもなく次の町へ向かう。


「……私、急に寂しくなったんだ。一緒に旅して仲良くなっても、それまでなんだ、って。うん、分かってる、それが旅人ってものだよね」

「あ、いや」


 いけない、と思った。

 これはいけない、と自分の胸の奥で何かが叫んだ。


「ユールにとっても私ってその程度なんだよね」


「そ、そういうわけじゃないよ!」


 思わず声を上げて、そして。

 言ってはいけないと思ってることを、言ってしまう。


「出来たらこのまま一緒に旅したいけど、ほら、むしろ僕の方からそんなこと言えないじゃない!」


「え」

 リタは急に目を丸くして、僕の顔を見上げた。


「リタさえよければ、次も一緒に依頼を受けたいよ!」


「……私も」

 目を伏せて短く口にしてから、また僕の目を見た。

「良ければ、よろしく」


「……ごほん」


 シクソンがわざとらしく咳をした。

 一緒に2階に上がって来ていたことをそこで思い出す。


「あ」

「うん」


 リタが慌てたようにベッドから立ち上がった。

 そして2人揃って、何故か背筋を伸ばして俯く。


「あ、もちろんシクソンもよければ次も」

 すごい言い訳くさいなと思いながら、もごもごと呟いた。

「それは大歓迎なんだが」


 そう言って、わざとらしく天井を見た。


「恋人の痴話喧嘩はその辺でいいか?」


 一瞬顔を見合わせてから。


「……違うよ!」


 僕とリタの声は、あの日の馬車みたいに、きれいに合っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その夜、リタが飛び出して行ったのは 雪村悠佳 @yukimura_haruka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ