第2話 病める時も 健やかなる時も
睡眠薬を大量に飲んだ後、無意識に先生に電話をかけていたらしい。
亮くんに無理やり教えてもらったのに、一度もかけたことのない番号。
声が聞きたい。
たぶん、その想いに突き動かされてかけてしまったのだろう。
インターフォンを鳴らす音が遠くから聞こえる。
「鍵が開いてる。吉村、いるか? 勝手に入るぞ」
誰かが部屋に入ってきたけど、身体が動かない。
「吉村! しっかりしろ、吉村! 亮! 救急車呼んでくれ!」
(最後くらい名前で呼んで欲しいのに、ほんと気の利かない男。でも、好きな男に抱かれて死ぬなんて、最高)
「どうしたんだよ、おまえ。なんでこんな……」
(泣いてるの? わたしのために泣いてくれるなんて思わなかった)
「あんな電話してくるから、亮に車出してもらって飛んできたんだ。死ぬなよ、吉村。最後に好きって言いたかったって、なんだよ、それ! 俺だって、おまえのことは可愛かった。特別だったんだ。もっと早く気づいてたら助けてやれたのに」
(先生がわたしを抱きしめて泣きじゃくってる。夢みたい。そっか、告白してもよかったんだ。失敗したなあ。高校のとき好きって言えてたら、なにか変わってたのかな。まあ、もう遅いけど……)
そうしてわたしは意識を完全に失った。おそらく死んだのだと思う。
なのに、気がつくと高三の三者面談の前日に巻き戻っていた。
家に帰ると元気なお姉ちゃんがいたので、抱きついて泣きまくった。
心配するお姉ちゃんに「なんでもない」と繰り返しながら、心に誓った。
今度は絶対死なせない!
せっかく時間が巻き戻ったんだ。わたしのやることは決まっている。
お姉ちゃんを死なせないことと、先生に告白すること。
お姉ちゃんが死ぬのはまだまだ先だけど、もうすぐ今の事務所の契約が切れて、移籍の話がくるはずだ。それを妨害すればいい。移籍先の社長の横暴なやり方が、お姉ちゃんを苦しめたことはわかっている。それに、自殺する寸前に付き合っていた俳優。あいつの女癖の悪さも原因のひとつだろう。
いっそ亮くんと結婚させるのもいいかもしれない。あれだけお姉ちゃんにべた惚れなんだから、浮気なんてせずに大事にしてくれるだろう。
前にお姉ちゃんと付き合ったときは、「優しすぎて物足りない」と振られてたから、そのへんを治せばいけるんじゃないかな。ちょっと悪いくらいの男に改造してやろう。ふっふっふ。
わたしは今度の人生で女優を目指すのはやめた。
手堅く地道に生きていく。そして必ず、先生を手に入れてみせる。
まずは進路調査票を書き直し、明日の面談に備えなければ。
有名どころの方がいいかな。先生の評価も上がるだろうし。
国立大なら授業料も安いから……そうだ! 一緒に働けるかもしれないから教育学部にしておこっと。内助の功とはこういうことだよねー。先生喜ぶかなあ。
付き合い始めたら先生はないよね。名前で呼ばないと。
優弥さん、優弥くん、優弥……くぅ、どれもいい!
里帆の妄想は止まらない。
◇
「約束、守ってくださいね」
「なんのことだ?」
「え、教師が生徒に嘘つくんですか? まさか、そんなはずないですよね?」
「あ、いや、忘れてただけだ」
「良かったあ。じゃあ、卒業式のあとデートしてください。約束破っちゃ駄目ですよ」
わたしは椅子から立ち上がると、先生が止める隙を与えず、教室から出て行った。
それからは忙しかった。国立大学を受験するのに特化した予備校に入り、必死に勉強するかたわら、お姉ちゃんが移籍を考えている事務所を調べた。
(契約する前になんとか防がないと)
その甲斐あって、事務所にヌード写真を強制されたモデルや、スポンサーへの過剰な接待を断ったら、契約を切られたというモデルが見つかった。
彼女たちに会いに行き、姉を止めて欲しいと頼むと、自分たちが話をしてくれるという。わたしはお姉ちゃんに連絡をとってその場に来てもらい、あとは彼女たちに託した。
結果として、お姉ちゃんは怒り狂い、別の事務所に移籍した。小さいけど、良心的なところだ。これで、お姉ちゃんの死は回避できただろうか。
念のため、亮くんには会うたびに色々と忠告している。
うっとおしくなるようなことはしない。言わない。
仕事の邪魔はしない。だけど時々は会いたいと我儘を言う。
抱くときは、いつも優しく丁寧に。でも、それだけだと飽きられるから、たまに荒々しく男らしいところを見せつける。
「里帆ちゃん経験ないのに、妙に説得力あるのはなぜ」と、亮くんが怯えたように言う。
「うるさい。お姉ちゃんと付き合いたいなら、ちゃんと覚えててね」
「はい。わかりました!」
◇◆◇◆◇
3月。国立大学合格発表の日。
里帆は大学まで行き、掲示板で合格を確認した。すぐに姉に電話をしてから、高校に合格の報告をしに行く。
職員室に行くと、先生たちが「おめでとう」と声をかけてくれる。ネットを見て結果を知っているのだろう。
「ありがとうございます。あの、小川先生は……」
「さっきまでそこにいたんだけどね」
「タバコでも吸ってるんじゃないですか? 朝からずっと緊張してましたから」
「探しに行ってきます」
教室に行ってみると小川がいた。
「なに窓際でたそがれてんですか。早く戻らないと他の生徒が来ちゃいますよ」
「俺のクラスで今日発表があるのはおまえだけだよ」
「え、そうなの?」
(朝から心配してたのって、わたしのことだったんだ)
「合格おめでとう。良かったな」
「はい。ありがとうございます。これで心置きなくデートできますね」
「覚えてたかあ。だけど、卒業してからだぞ。それまで我慢しろよ」
「わかってますよ。そのかわり、デートのときは名前で呼びますからね、優弥さん」
「あー、わかったよ。そんときは好きなように呼べばいい」
「わたしのことは里帆って呼んでくださいね。ちなみに亮くんは二人だけのとき、里帆ちゃんて呼んでますよ」
「なんだと? けしからんやつだな!」
「先生は呼び捨てでいいから、焼かないでください」
「なっ、べつに焼いてるわけじゃ……それで、どこに行きたいんだ? その、デートのとき? いや、場所によっては車があった方がいいだろ。俺は持ってないから、亮にでも借りようかなと」
「先生も楽しみにしてくれてるんですね。良かった」
里帆に微笑まれて、小川が言葉に詰まる。
そんな自分にイライラして、開き直った。
「ああ、そうだよ。早くおまえが卒業して、先生と生徒って関係が終わるのが楽しみでしょうがない。駄目な教師だよな。今日だって、おまえと二人きりになりたかったから、わざわざ教室に移動して待ってたんだ」
「そ、そんな急激なデレ、ついていけない」
里帆が赤くなった顔を手で隠す。
「なんだ、おまえ。押されると駄目なタイプか?」
小川がにやにやしながら里帆の顔を覗き込み、耳元で囁く。
「かっわいい」
「にゃーっ!!!」
里帆が驚いて飛び上がる。
「あははは、猫じゃないんだから」
「くっそー、急に余裕かまして来ましたね」
「まあ、受験も終わったしな。ちょっと素の部分見せておいた方がいいだろ。もしかしたら、年上の教師に対する憧れで、俺を見る目にフィルターがかかってるかもしれないからな」
「つまり、素の優弥さんを見て、わたしの気持ちが冷めないか不安なんですね」
「そ、そんなことは言ってない!」
「なるほど。確かにこんな美少女に告白されて戸惑う気持ちもわかります。が、大丈夫です! 優弥さんを見る目にいっさいフィルターなどかかっていません! イライラするとタバコを吸う癖も、職員室にいるのが嫌でしょっちゅうフラフラしてるのも、お酒を飲むと泣き上戸になることも、全部知ってますから!」
「あ、やめて。メンタルが崩壊しそう」
小川は苦しそうに胸を抑えた。
「まだまだありますけど」
「もう結構です。わかりました」
「ふふん。わかってくれて良かったです。そういえば、朱音さんの件はどうなりましたか?」
「ああ。まず、朱音と話したんだ」
小川は机に浅く腰掛けた。
「俺に言いたいことがあるんじゃないか? おまえ、他に好きなやつができたんだろって言ったら、ごめんなさいって泣き出した。責めてるわけじゃないから、正直に話して欲しい。そう言ったら、萩ちゃんとこっそり会ってたことを打ち明けられた。最初はそんなつもりじゃなかったけど、寂しくて何度も会ってるうちに、好きになったんだと」
「ふん。そもそも恋人のいない寂しさが他の人で埋まるはずないのに」
里帆が自分のために怒っている。今の小川はそんなことが嬉しい。
「それで、次に萩ちゃんと話し合った。全部朱音から聞いた。本気なのかって言ったら、悪かったって、いきなり土下座されちゃってまいったよ。俺、悪役じゃないんだから。だから、言ったんだ」
「なんて?」
「俺にも他に気になる人がいるから、これで良かったんだって」
小川が里帆の目をじっと見つめると、耐え切れなくなった里帆の方がそっと視線を外した。
「あいつらの話はこれでおしまい。ただ、友人として付き合うのはもう無理かな」
「そりゃそうよ! 彼らは信頼を裏切ったんだから。優弥さんは誠実な人だから、あの人たちにはもったいない。わたしがもらうから大丈夫!」
小川の驚く顔を見て、里帆が慌てて打ち消す。
「あ、今のは深い意味じゃないの。もらうって言っても、婿に欲しいとかそういうことじゃ――」
「わかってるよ。ありがとう」
いつか、そういう日が来るかもな。
「え、今なんか言った?」
「いや、べつに」
卒業式の日、先生たちが珍しくスーツを着ているので、生徒たちが写真を撮ろうと群がっている。
遠くから見守る里帆に、亮が声をかけた。
「一緒に撮ってやろうか?」
「べつに。これからいくらでも撮れるし。亮くんこそ、保護者に挨拶してくれば? お姉ちゃん、帰っちゃうよ」
「え、そんな。俺のスーツ姿まだ見せてないのに」
バタバタと走り去っていく亮の後ろ姿を見て、
「こんな日にも落ち着きないやつだな」と小川が言う。
「あれ? 写真撮影会終わったんですか?」
「抜けてきた。ちょっとこっち来い」
「やだ。どこに連れてくつもり?」
「ちょっとひと気のない方へ。そんな期待してる目で見るな。おまえとはまだ撮ってなかったからな。ほら、スマホ寄越せ」
里帆がスマホを渡すと、小川が里帆の肩を抱いた。
「自撮りのシャッター、自分で押せよ」
「ちょっと待って。心の準備が」
里帆があたふたしながらシャッターを押す。
「よし、じゃあ解散! 卒業おめでとう」
「色々とお世話になりました。明日からもよろしくお願いしますね? 優弥さん」
いたずらっぽく笑う里帆に小川もにやりと笑う。
「ああ。よろしく頼むよ、里帆……うわぁ、思った以上に恥ずかしい」
「ちょっと! いいムードだったのに、なんですか!」
「ごめんごめん。じゃあ、またな」
「ええ、また」
◇
「あれからもう4年かあ。あっという間だったなあ」
「なに、ぼーっとしてんだ。段取り間違えんなよ」
「わたしはいつだって完璧よ」
「はいはい。それにしても、真梨香さん、まだ怒ってないか?」
「しょうがないよ。手塩に掛けた妹が、淫行教師の罠にかかったんだから」
「やめろ。それ、おまえんちに挨拶に行ったときに、真梨香さんに言われた言葉じゃねえか」
「ふふっ。凄かったよね。『大事な妹をおまえみたいな淫行教師にやれるかあ!』って。あんなに怒ると思わなかったよ」
「それだけ大事にされてんだな。実際、亮がとりなしてくれなかったらやばかったよ」
「そうだね。亮くんもやっと役に立ったよ」
「言い方!」
里帆の姉の真梨香と亮は、二年前に結婚した。
これも里帆様のおかげですと、亮には感謝されている。
「ここまで育てるのにどれだけ苦労したと思ってるの。もっと使い倒すわよ」
「うわあ、うちの嫁、鬼畜だな」
今日は優弥と里帆の結婚式だ。
今、二人はタキシードとウエディングドレスを着て、控室で話をしている。
「なんか、いつもと変わんないね」
「まあな。列席者も身内だけだし、思ったほど緊張しないな。ただ、思ってた以上に里帆が綺麗だからちょっと困ってる」
「なんで困るのよ」
「化粧が取れるからキスも出来ないだろ。拷問かよ。あー、つらい」
「バカね。ほら、ハグなら平気でしょ」
里帆が両手を広げると、優弥が里帆の腰に手をまわして抱きしめた。
「どう?」
「やばい。我慢できなくなる」
「野獣め。大人しく夜まで待ちなさい。忘れられない夜にしてあげる」
「それ、俺のセリフだろー。無駄に男前なんだから」
「ほら、そろそろ離れて。ドレスが汚れちゃう」
「そんなことになったら真梨香さんに殺されるな」
控室のドアがノックされ、係の人が顔を出す。
「お待たせしました。チャペルにご案内します」
里帆には両親がいないので、色々と考えた末に、二人でバージンロードを歩くことにした。
「足、間違えないでよ」
「そっちこそ、転ぶなよ」
赤い絨毯を敷いたバージンロードを祭壇に向かって歩いて行く。
高校や大学の友だち、優弥の同僚、互いの親族。
左手の一番奥に里帆の姉、真梨香がいた。その隣には亮が彼女を守るように立っている。
タイムスリップしてから5年。すべてが変わった。
真梨香は結婚してモデルをやめ、心身ともに健康だ。今、彼女のお腹のなかには、新しい命が宿っている。
里帆は隣に立つ優弥を見上げて思う。
わたしが死ぬ寸前に、あなたが駆けつけてくれなかったら、きっとここにはいなかった。人生をやり直せて本当に良かった。神様、ありがとう。
(まあ、わたしが頑張ったからだけどね!)
病める時も 健やかなる時も
富める時も 貧しき時も
妻として愛し 敬い 慈しむ事を誓いますか?
「はい。誓います!」
そのあとの手順はすべてすっ飛ばして、二人は熱い口づけをかわした。
Fin
タイムスリップして戻ってきたら、三者面談の前日でした ~大人の男女の軽くて重いおかしな会話~ 陽咲乃 @hiro10pi
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