タイムスリップして戻ってきたら、三者面談の前日でした ~大人の男女の軽くて重いおかしな会話~
陽咲乃
第1話 三者面談で先生を口説こう
これから国語教師の
「待たせたな、吉村。入っていいぞ」
小川が教室の中から顔を出す。
前の生徒たちが押せ押せになって、ずいぶん遅くなってしまった。
高校三年の夏休み前、大学受験に向けてとっくにスタートは切っている。面談にもより具体的な対策が求められる時期だ。
「悪かったな。そっちに掛けてくれ」
疲れた顔で小川が言う。
彼の前には、机をはさんで二つの椅子が並べられている。
「今日は吉村が最後だから、時間は気にしなくていいぞ。やっぱり、お姉さんは来られないのか?」
ちらりと廊下の方を見て、小川が言った。
「忙しい人ですから」
「売れっ子モデルだからなあ。しょうがない、また二者面談だな。前の希望と何か変わったところはあるか?」
「ええ、まあ」
「見せてみろ」
里帆の書いてきた進路希望調査票を手に取り、小川は驚く。
「はあ? ここにきて、おまえ……本気か? 第一志望から第三志望まですべて国立大学。しかも教育学部って」
「はい」
「いや、だっておまえ、大学行かないで女優になるって言ってたよな? それが高三の夏になって、急にどうしたんだ?」
里帆はキリリと表情を引き締めた。
「優弥さん」
「へ?」
「優弥さんにだけ教えてあげますね、わたしの秘密」
「いや、とりあえず名前で呼ぶのはやめてくれ。それで、秘密ってなんだよ?」
「わたし、タイムスリップしてきたんです」
「タイム……何だって?」
「タイムスリップとは、現在の時間とは別の時間に移動することです」
「いや、それは知ってるけど」
「ちなみにわたしは30歳から戻ってきたから、今の優弥さんと同い年ですね」
うふふ、と里帆は笑った。
「いやいや、なに言っちゃってんの? ていうか、名前で呼ぶのやめなさい。つまり、30歳まで生きたのに17歳に戻ってきたってことか?」
「正解!」
里帆はパチパチと手を叩いた。
「おまえなあ、ふざけてる場合か? もっと真面目に考えろ」
「ふざけてません。わたしね、優弥さん。最初の希望調査票に書いた通り、卒業してから女優になるために頑張ったんですよ。でも、芸能事務所に入ったけど、オーディションには受からないし、全然仕事がなくて、ずっとお姉ちゃんに甘えてたんです。だけど、お姉ちゃんが自殺して……」
「え?」
「前から躁うつ病って診断されてたんだけど、ちょっと目を離したすきに……。
男運は悪かったけど、仕事は順調だったし、仲のいい友だちもいたのに……なんででしょうね。両親が事故で亡くなってから二人で生きてきたのに、わたしのためには生きられなかったのかなあ。
そんなことを考え始めたら、だんだんわたしもおかしくなってきちゃって……眠れなくなって、食欲がなくなって、仕事をする気力もなくなっちゃった」
「吉村……」
里帆はここでカラリと雰囲気を変えた。
「わたし、すごくモテるんですよ。見た目がきれいだし、性格もいいしね! だけど、恋愛が長続きしないんです。独占欲が強いからかな。ヤキモチ焼きだし。先生、どう思う?」
「えっ」
「あ、名前で呼ばれなくてがっかりした?」
「しねえわ。べつに、好きな女がヤキモチ焼くのも独占したがるのも可愛いもんだろ。それだけ惚れられてるってことだし――」
気がつくと、里帆がじっと顔を見ていたので、なんだか気恥ずかしくなった。
「と、俺は思うけどな」
「ふふ。やっぱりいいですね、先生って」
里帆は嬉しそうに笑った。
「それでね、ある日睡眠薬をすり潰して大量に飲んで寝たの。人に迷惑をかけないように、ちゃんと遺書を書いて、すぐに見つけられるように鍵も開けておいた。仕事もあんまりなかったから、わたしがいなくなっても事務所は困らないはずだし、もういいんじゃないかなって。
ただ、暗闇に吸い込まれるような意識のなかで、先生のことを思い出したの」
「俺のこと?」
「うん。高校生のとき好きだったなって。あの頃先生には同棲中の恋人がいたし、わたしには女優になるって夢があったから、何も言えなかったけど……死ぬ前に後悔したんだよね。告白しておけばよかったって」
「え、待て待て。色々とぶち込んでくれたな。す、好きとか……あれ? 俺が同棲してるってなんで知ってんだよ」
「亮くんが教えてくれた」
「亮くん? 斉藤か? なんで名前で呼んでるんだ!?」
斉藤亮は数学の教師だ。小川の大学のときの友人で、偶然同じ高校に勤務している。
「優弥ったら、ヤキモチ焼いてるの?」
里帆が身体をくねらせて喜ぶ。
「呼び捨てにするな。あとヤキモチじゃねえ!」
「じゃあ、優弥さん。心配しないで。あの人、お姉ちゃん狙いだから。わたしがお姉ちゃんの男関係を教えて、亮くんが優弥さんの女関係を教える。そういう協定を結んでるだけ」
「俺のプライバシーどうなってるんだ……」
頭を抱える小川に、里帆が言った。
「優弥さん、わたしと付き合ってください」
「話の脈絡どこ行った? 付き合いません!」
「ええっ!」
「なんでそこで驚くんだ? しかもわざとらしいし。生徒と付き合えるわけないだろ。それに、一緒に暮らしてる女がいること知ってるくせに」
「
「なんで名前まで――」
「亮くんが」
「そうだったー!」
小川は机の上に顔を伏せて動かなくなる。
「おーい……先生?」
里帆が小川の頭をシャーペンでつつく。
「いてえよ。つんつんするな」
小川が顔を上げる。
「どこまで知ってるんだ? その、朱音のこと」
「ああ。島崎朱音さんは先生の高校時代の同級生で、先生が水泳部のときのマネージャー。高2のとき、先生が告白して付き合うことになったけど、大学に入学するまで肉体関係はなし。朱音さんは大学卒業後、親のコネで就職。一年半前に同棲を始めたけど、最近は忙しくて顔を合わせる時間もない。来月は――」
「わかった! もういいから……確かに、最近はろくに口もきいてないけど、俺はあいつと結婚するつもりだから」
「いや、それはない……いえ、なんでもありません」
「それ、なんでもなくないやつだよな?」
「いや、なくなくないやつです」
「何言ってんだ。吐け、コラ!」
「やだ、先生。こわーい」
「おまえ……」
「じゃあ、教えたらお願いごと聞いてくれますか?」
「はあっ、そんな恐ろしい約束できるか!」
「じゃあ教えなぁい」
「くそっ! わかった。約束するから教えろ」
「もうすぐ朱音さんの誕生日だけど、実はこの日、学校でちょっとしたトラブルが起きて、先生は帰るのが遅くなると連絡を入れます。でも、寂しそうな朱音さんが気になった先生は、速攻で問題を解決して早めに家に帰った。そこで見てしまうんですね」
「なにを?」
「朱音さんが、その、他の男といたしているところを……」
「は……」
「やっぱりやめときますか? いずれにしても別れるんだから、知らなくてもいいんじゃないかな?」
「今さら聞かなかったことにできるか! 責任持って話せ。相手は誰だ? まさか、俺の知ってるやつか?」
「しょうがないなあ……怒らないでくださいね。先生の友人の
「え、萩ちゃん?」
「ちなみに、萩原さんは高校のときからずっと朱音さんのことが好きだったんですって」
「嘘だろ、そんなの聞いたことないぞ」
「言えなかったんでしょうね。友だちだから」
里帆がしみじみと呟いた。
「現場を見た先生がどうしたか知りたいですか?」
「……教えてくれ」
「萩ちゃんを殴って追い出し、朱音さんを問い詰めて泣かせ――」
「えっ」
「ということはなく、そのままUターンしてフラフラと出て行ったそうですよ」
(わたしだったら往復ビンタ10発でも足りないけど。いや、そのまま裸で外に放り出すって手もあるか)
「なんだ、そうか」
(裏切られてショックだったろうな、未来の俺。でも、殴ったり傷つけたりしなかったんだ)
そのことに少しほっとしている自分がいた。
「まあ、そうだろうな。俺、ビビりだし」
「違いますよ。先生は優しいんです。最後は、二人の結婚式に出席して祝福してあげたんですから」
「あー、最悪だー! なに、いい人ぶってんだ、俺!」
「いい人なんだからしょうがないですよ。どうします? 今ならまだ間に合うかもしれませんよ。未来、変えちゃいますか?」
「いや、もう遅いだろ。もうすぐそうなるってことは、すでに何かが始まってるはずだ。それに、俺ももうそんな気にはなれない」
「そうですか」
「じゃあ、俺って誰と結婚したのかな」
「はあ?」
里帆は呆れた声を出した。
「な、なんだよ」
「どうして結婚してるのが当たり前だと思うのかなあ」
とイラついた声を出す。
「え、してないの?」
「はい、してません。朱音さんの事件後、先生は女性不振になり、結婚どころか恋愛もままならないと亮くんから聞いています」
「まじか……あれ? でもそれって、おまえが卒業したあとだよな? まだ亮と繋がってたのか? こら、口笛吹いてないで言いなさい!」
「知りたがり屋さんですね、優弥さんは。いいでしょう、教えてあげます。亮くんはわたしのお姉ちゃんと付き合うことになったんです。
卒業後のことはわからないから、亮くんとの協定をやめるわけにはいかなかった。だから、お姉ちゃんに亮くんを紹介したんです。彼、ちょっとヘタレだけど、顔はいいし優しいから、実はお姉ちゃんの好みのタイプなんですよ。お姉ちゃんと別れてからは薄い情報しかくれなくなったけど、先生の女性関係はだいたい把握してます」
「ええ、こわ……おまえ、色んな男と付き合ったんだろ? なんでいつまでも俺にこだわるんだ?」
「大丈夫ですよ。この身体はまだ未経験。キスもしたことありませんから」
「そういうこと言ってるんじゃ――え、キスも?」
「はい。優弥さんとするのがファーストキスになりますね」
「ばか! そういうことを軽々しく言うな」
小川の顔が赤くなる。つられて里帆も赤くなり、「すみません」と小さな声で謝った。
「お姉ちゃんみたいな絶世の美女はともかく、わたしくらいのレベルだと、変な男が寄ってきやすいんですよ。変態とかストーカーとか。教師にもたまに変なのがいますし。覚えてませんか? 高1のとき、美術教師にしつこく言い寄られて困ってたら、助けてくれましたよね? それからも、何かと庇ってくれてたの知ってるんですよ」
「なんだ、ばれてたのか。おまえは誤解されやすいからな。男はともかく、女にはもうちょっと愛想よくした方がいいんじゃないか?」
「嫌ですよ。今さら、勝手に妬んで陰口叩くような子どものご機嫌取りなんて」
里帆は鼻で笑った。
「そういやあ、中身は30だって言ってたな」
「見た目は女子高生、中身は大人。これってお得だと思いませんか? お付き合いするのは卒業してからで構いません」
里帆は小川にぐいっと顔を近づけた。
「この顔、好みじゃありませんか?」
(ぶっちゃけ好みだから困るんだよ)
小川の心の声は里帆には届かない。
「胸だって結構大きいんですよ。ほら」
小川の手を取り、自分の胸を触らせた。
「きゃあ!」
「あら、可愛い悲鳴」
「なにすんだ! おまえ、セクハラだぞ……なんだその、やれやれみたいな顔は」
「優弥さんて、一見チャラそうに見えるのに、意外と純情なんですよね」
「なっ、教師をからかうのはやめなさい……その、はいはいみたいな顔もやめろ」
「はいはい」
ほんとに可愛い人だなと里帆は思う。
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