第2話
「大河内教授、あの木が伐採対象になったのは本当ですか?!」
私は、研究室に駆けこんで、教授に詰め寄った。教授は、窓の外を見たまま、「ああ。事務局の決定だ。伐採は8月の初旬」と抑揚のない声で答えた。
「そんなぁ……。タツキ先輩が治療して、一度は花を咲かせたのに……」
「あの場所に立ち枯れているハルニレがあるのは、景観的によろしくないと言う話だ」
「そんなぁ!! 教授の力でどうにかしてくださいよ!」
教授は黙って首をふった。
「と、とにかく、なんとかしなきゃ!! 木を見てきます!!!」
私は、カメラと観察用のボードを持つと、研究室を飛び出した。
◇
タツキ先輩。
私より少し背が高くて、少し茶色がかかった天然パーマで、ジャニーズ顔負けのイケメン。声だって、膝が崩れるようなイケボ。おまけに性格は二重丸だし、研究熱心。
そんな非のない先輩が、私のバディの相手(大河内研は、院生一人と学部生一人がバディを組む)に決まったときは、めっちゃ嬉しかった。
そして、先輩の樹木に対する熱意とか、毅然とした態度が素敵だったとか、ミスった私を助けてくれたとか、徹夜明けの顔が可愛かったとか……、まあ、いろいろあって、意識せずにいられなかった先輩。
そして、そして……、一昨年の三月初め、逝ってしまった先輩。
その先輩の研究対象だったハルニレの木。私も一緒になって、肥料をまいたり、ニレノオオキクイムシがいないか丁寧に調べたりしたハルニレの木。
その木が伐採されるなんて!
◇
タツキ先輩と最後に言葉を交わしたのは、大雪で電車が止まってしまい、先輩と二人、研究室に泊まり込んだ夜。
『………、あのハルニレの木さ、かなり症状が重くてさ、一輪でも花が咲けばラッキーレインボーチョコってとこかな。…………、実はさ、僕、ちょっとばかし入院しなきゃいけなくなってね。アーヤ、僕がいない間、ハルニレを観察して、僕に報告してくれない?』
ちょっとばかし入院って言っていたから、たいしたことないんだろうって思っていたのに、タツキ先輩が研究室にもどってくることはなかった。
去年は、開花して結実したことは確認できた。実を採取することもできた。でも、他のハルニレの木と比べて明らかに葉が少なかった。「花を咲かせて実を結ぶことを優先したために、葉にまで栄養を残すことが出来なかったのだろう。もう限界だな」というのが研究室の見解。
去年は「タツキ先輩の遺志を引き継つごう!」って大河内研のみんなも手伝ってくれてたけど、今年は、世話をするのは私だけになり、……、ハルニレの木も力尽きたのか、いくら栄養剤を投与しても、土壌改良しても花さえも確認できなかった。
私はというと、タツキ先輩が亡くなった後も、ずっと、既読がつかないSNSに毎日、ハルニレの木の写真と観察記録を送り続けてる。
◇
私は遊歩道をのんびり歩くカップルたちを邪魔するように、その間をかき分けて走った。でも、もう少しでハルニレの木が見えるというところで、私は走るのをやめた。
だって、誰かが、ハルニレの木に抱きついているように見えたんだもの。
葉を踏みしめる音がしないように、そっとそっと歩く。やっぱり、誰かがハルニレの木に手を回している。
誰だろう?
背の高くてがっしりとした体形。タツキ先輩がよく着ていた白いパーカーと同じロゴがはいった黒いパーカー。
あれは……!
タツキ先輩と一緒に住んでいた……、ええっと、工学部の院生さんで、名前は確か ―― ヒロさん!!
「あの……、ヒロさん?」
おずおずと話しかけた私の声で、ハルニレの木から手を放し、男の人が振り返った。怪訝そうに私を見る。
「そうだけど、君は?」
警戒心を含んだ角張った声だ。
「私、農学部、大河内研、修士1年の平沢アヤネと言います。学部の時に、タツキ先輩とバディを組んでいました!」
『タツキ』という言葉を聞いて、ヒロさんの目が一瞬大きくなる。そして納得したようにゆっくりと口角をあげた。
「豆柴アーヤか」
「はい?」
「タツキが、『バディを組んだ女の子は、いつも尻尾をふって、僕のあとをついてくるんだ。昔飼っていた豆柴にそっくりで可愛いんだぁ』って」
あ、それで、豆柴アーヤね。喜んでいいのやら悲しんでいいのやら、複雑な気持ちになる。
「…………、プレゼントに豆柴のぬいぐるみをもらったことがあります」
「タツキはそういうやつだ」
「ところで、ヒロさんは、どうしてここに?」
「タツキと話がしたくなるとここに来るんだ」
その言葉を聞いて、私は理解した。この人も、私と一緒だ。まだ、タツキ先輩のことを想っている。
「………、ヒロさんって、タツキ先輩と一緒に暮らしていたんですよね?」
「ああ」
「も、もしかして、彼氏さんだったとか?」
茶化したつもりだったのに、彼氏という言葉に、ヒロさんの顔が少しだけ赤くなる。
図星かー。
「タツキ先輩ってほんと素敵な先輩ですものね! 惚れない方がおかしい!!」
繕うような私の言葉に、ヒロさんは素直に頷いた。
「あいつほど、表情がころころかわるやつはいない」
「人の気持ちに寄り添ってくれるっていうか、一緒にいて、心地よいっていうか……」
「だな」
「ですよねー!」
ヒロさんが優しく笑ったかと思うと、真剣な顔つきをして私を見た。
「今年は一輪も花はつかなかったが、去年はどうだった?」
「去年は、NO3の枝と、NO6の枝に花の塊を50ほど、実は137粒採取することが出来ました」
「……、君はずっと世話を?」
「はい! タツキ先輩との約束ですから!」
「約束?」
「毎日、ハルニレの木の観察をして、タツキ先輩に報告するって、約束したんです。でも、……」とハルニレの伐採の話をしようとしたら、急に感情がコントロールできなくなった。
「…………、なのに、………、なのに……うわあああああああ」
涙が止まらない。顔も心も頭もぐちゃぐちゃだ。
「お、おい、どうした?」と慌てた声が聞こえてくるけど、今まで、がんばってきた分、一度決壊した思いは止まらない。
「わ、わ、っ……わたし、タツキ先輩のことが、………、なのに、告白も……っ……、できなくて……、それでも、あきらめきれなくて……、なのに、みんな、……、タツキ先輩のことを忘れて………、っ……、ハルニレの木がなくなったら、っ……、……、先輩がいなくなってしまう……、大好きなのに、……、だいすきなのにぃぃ!!!……………」
私はヒロさんの前で大声で泣き続け、ヒロさんは黙って私の背中をさすり続けてくれた。
◇
どのくらい泣いていただろう。堰を切ったように涙がこぼれてしまっていたけど、少しずつ、少しずつ、冷静さを取り戻していく。
気持ちを落ち着かせて、ちゃんと説明しなきゃ。
私は、ポケットに突っ込んでいたタオルで顔をふいて、パンと自分の頬を叩いた。
「……、ハルニレの伐採が決まったそうです」
「伐採?」
「はい。だから、伐採されない方法を、一緒に考えてほしいです」
「ハルニレは立ち枯病なんだろ?」
「それでも! この木はタツキ先輩……!! 」
ヒロさんはじっと黙ってハルニレを見、そして、ゆっくりと目を閉じてから、大きく息をはいた。私はヒロさんが同意してくれるのをじっと待つ。
『ざわわ、ざわわ …………』
立ち枯れていて葉を一つもつけていないのに、ハルニレの葉と葉が擦れる音が耳に届く。幻聴かなっと思ったんだけど、ヒロさんにも聞こえたのだろう。そっと、ヒロさんを見ると、ヒロさんは口角をあげて「だよな」とすごく優しい顔をしていた。
そして、ヒロさんが、タツキ先輩のように私の頭を軽くなぜた。
「ハルニレを残すというのはすごく魅力的な提案だが、それは、俺達の身勝手なエゴだと思う。なあ、タツキ?」
『……ああ』
もう聞こえてくるはずもないタツキ先輩の声が聞こえてくる。私は慌てて、まわりをみたけれど、タツキ先輩はいない。ただ、目の前で葉を一枚もつけていなかったハルニレの木に葉が生い茂っている。
「夢?」
「ああ。夢だ。君があまりにも泣くから、ハルニレの木が君に見せる夢」
私の手をそっと握ってヒロさんが言う。ヒロさんも心なしか顔を紅潮させている。
そうか。夢か。夢でもなんでもいい。タツキ先輩の声が聞けるなら……。
『このハルニレも自分の役割を終えたんだ。だから、この場所は他の木に譲るってさ』
「タツキ先輩?? でも! それじゃ、このハルニレの木はなくなってしまいます!」
『アーヤにはハルニレのタネがあるだろ?』
「でも、それじゃ、私の気持ちは……」
『タネがあれば未来を作れるだろ? なあ、アーヤ、僕らを未来に連れてってくれよぉ』
「先輩!!」
『ざわわ、ざわわ …………』
ハルニレの葉と葉が擦れる音が、もう一度耳に届いたかと思うと、その葉たちはぱっと消えてしまった。
「今のは?」
私ははっとしてヒロさんを見ると、ヒロさんが静かに首を振った。そして、左の手首にはめている腕時計型端末に右手をそえながら言った。
「……、それで、君は、どうする? 」
わたしは、もう一度ハルニレの木を見た。
客観的に観察すると、このハルニレはもうその命を終わろうとしている。それを、無理に引き留めても、それこそ自己満足にすぎない。
「……………、私、ハルニレのタネを育てることにします! そして、また、ここにハルニレの木を植えます!」
季節は夏。タツキ先輩がいない二度目の夏。
タツキ先輩の望む未来のために、私、がんばらなきゃ!!
◇
「ところで、ヒロさんってどんな研究をしているんですか?」
「俺は、記憶の中に眠る声の再現さ。…………、タツキのタネを芽吹かせて、一緒に未来を掴むと約束したからな」
おしまい
春楡の木 一帆 @kazuho21
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