第15話 オリザの実
「ご飯だー!」
「メシー」
「まったく、はしたない言葉遣いを……」
太陽が中天に上るころ、お昼ご飯の時間となる。あちこちで歓喜の声が聞かれた。
災厄でインフラが破壊された場合の訓練を兼ねて昼食は学生だけで、使用人も使わずに準備することになっていた。
保存食で軽く済ませて作業に戻るグループ、狩ってきた鳥や獣を捌くグループ、馬車から準備してきた食材を取り出すグループなど色々。
僕やクリスティーナのグループは準備してきた食材を調理することに決めていた。
「……お昼」
「早く準備しますわあ」
「教会でのお手伝いで炊き出しを行うこともありますから…… 結構、得意ですよ?」
僕、クリスティーナ、クリア、カーラの四人でてきぱきと準備を進めていく。
土魔法でかまどを作り、風魔法で切り出した薪に火をつけ、持参した鍋に準備した食材や周辺で摂れたハーブを摘んで煮込み、即席のスープにした。
さらにその脇にこぶし大の石を乗せて蓋をした、もう一つの鍋を置く。
野外では鍋と水さえあればスープ系の料理が手っ取り早い。多くの食材を一つの食器でとれるし、何より具材に必ず火が通る。
丸太を切り出しただけの椅子を鍋を囲むように並べると、みんなはスカートの裾を折りながら腰掛ける。なんで女子って、座るときスカートの裾を折るんだろう? 可愛いからいいけど。
持ち込んだ主食のパンが全員にいきわたると、食事の合図をした。
「……食べる」
「……いただきます、ですわあ」
「この恵みを、神に感謝」
クリスティーナは最低限の言葉でいの一番に口を付ける。
クリアは意外と礼儀正しい。
カーラは祈りの言葉とともに胸の前で十字を切った。
僕たちは古くて硬くなったパンをちぎってスープに浸す。ふやけてスープの出汁がたっぷりとしみこんだそれを口へ運ぶと、幸せが体いっぱいに広がった。
半分くらい食べたところで、もう一つの鍋が噴きこぼれる。ミルクが沸き立ったような白い液体とともに、淡いけれど甘い匂いが立ち込めた。
僕の領地で苦労して育ててきた、僕の一番好きなもの。
「そろそろかな」
手をやけどしそうな湯気とともに僕は蓋を取る。乳白色の霧の中から、それはゆっくりと姿を現した。
「……それは? 初めて見る」
鍋の中には、指でやっとつまめるほどの大きさの細長い粒が無数に詰め込まれている。
鍋のふちから香る香ばしい匂いとともに、淡く甘い独特の香りが周囲に立ち込めた。
「これが、オリザの実を調理したものだよ」
僕は畑に植えるための種籾の他に、すでに籾殻を外して食べられる状態にしたオリザを持ってきていた。
地域によっては「コメ」とも呼ぶ。
空になったスープ皿に少しずつ、オリザをよそっていく。
オリザの味を純粋に味わってもらうために、付け合わせもおかずもなしだ。
クリスティーナにさえオリザを食べさせるのは初めてで、オリザをすくって口に運んでいくスプーンの動きから目が離せなかった。
思わず手に汗を握っていた。
でも、すべて取りこし苦労だと気が付いた。
何も言わず、それからもただ木のスプーンでオリザを食べる水色の髪の少女。
食べるときに無言になって食べる以外の行動をしなくなるのは、彼女が心の底から美味しいと思ってくれている証拠だ。
クリアは驚いたような顔で、カーラは丁寧にオリザを口に運んでいく。
その表情からも、行動からも、雰囲気からも嫌がっている様子は見られない。
オリザをよそったお皿が空になったころ、クリスティーナはやっと口を開いた。
「……ごちそうさま。美味しかった。今まで食べたことのない、独特な食感。もちもちして、噛んでいると優しい甘味が口の中一杯に広がる」
「まあ、なかなかのものですわあ。あくまで、なかなか、ですけどお」
クリアはほっぺたにオリザの白い粒を付けたまま、そっぽを向いてそう言う。
「穏やかな味、と表現したらよろしいでしょうか。あらたな恵みをいただけたことに、感謝を」
カーラはスプーンを置き、礼儀正しく十字を切る。
みんな、初めてオリザを食べた僕や家族と同じような反応だ。
心の底からほっとする。同時に、誇らしい気持ちが湧きあがってくる。
この姿を、北部の領地のみんなにも見せてあげたい。
みんなで作ったオリザの実は、中央の貴族も美味しいと食べてくれるものなんだって。
僕の家の領地は、北部の痩せた土地だった。北の海から吹く冷たい風のために冷害が多く、農作物の実りは少ない。
王都周辺はこの国一番の面積の平野と、良港を併せ持つ工業地・商業地。だけど北部の領地とは険しい山脈で隔てられ、交通の便も悪く商業も発達しづらい。
端的に言えば王国の北部は、貧しい田舎領地だ。
だけど。
「ぼっちゃん、オリザの実の出来はいいべなあ」
「んだ。やっと冷害に強い品種も、できてきただ」
土地は貧しいけれど人の心は豊かで。そして、泥にまみれたその手は高貴だった。
領主や譜代の家臣までも野良仕事をしなければならないくらいの、貧しい場所。
でもオリザの実の栽培に長年取り組んだ結果、徐々に収穫量も増え始めた。
火魔法を使い、暖かい水を流し込むことで冷害に対抗したり、人工授粉を重ね、寒さに強い品種の開発を行ったりした。
年月を経た木造の屋敷に板塀で囲われただけの領主の館の周りは、僕が物心つく頃には見渡す限りオリザの畑だった。屋敷の窓から日ごとに成長していくオリザを見て、畑から流れ込んでくるオリザの香りの風に身をゆだねるのが心地よかった。
五年前のあの年も、黄金色にオリザの畑は色づいた。はずだった。
その日。そこはかとなく嫌な予感がしたけれど、僕はいつも通りに畑を手伝っていた。
土魔法を使って雑草を根から引っこ抜いたり、手作業で害虫を取り除いていく。ふと泥の匂いに焦げ臭いようなにおいが混じっていることに気が付き、天を仰いだ。
王都と北部の領地を隔てる南の山脈に、黒い蒸気のようなものが噴き出ていた。子供の頃の僕には何が起こっているのかよくわからなかったけど。大人たちが青くなって、右往左往し始めたのだけは覚えている。
山脈の一つが噴火したのだと、後から聞かされた。悪くも季節は夏で、山から海がある北へ北へと風が吹く。
溶岩や火砕流が町や村を襲いはしなかったものの、火山灰が空を覆い日光を遮った。
最上位魔法の使い手はもともと少なく、小規模な火山にまではとても手が回らなかったのだ。
昨日まで青い空と白く輝く太陽の下すくすくと延びていたオリザの苗に、黒い布団をするように火山灰の雲が覆いかぶさる。
火魔法で冷害にある程度対抗することはできる。土魔法で雑草をある程度取り除くことはできる。
だがどんな魔法でも、オリザの成長に不可欠な太陽を作り出すことはできない。
すくすくと延びていたオリザの苗は立ち枯れ、根が腐り、やっと穂をつけた数少ない苗もほとんど実がないという有様で。
その年の収穫は、例年の三割ほどという大凶作。餓死者が出るだろうと、誰もが予測した。
おりしも手を差し伸べてくれたのが、万一に備え蒼き山から遠い北部の貴族と縁故が欲しいクリスティーナの家で。これが縁で、僕と彼女の縁談が進んだ。
冬になれば雪に閉ざされる山道に麦を摘んだ荷馬車が着いたとき、救われたと思った。領民の歓呼の声が沿道に響いたのを、今でも覚えている。
神様なんて、たいして信じてはいなかった。この瘦せた土地を、飢えた民を、どうにもしてくれなかったから。
でも最後の最後で、偶然にも手が差し伸べられて。
神様っているのかもしれない。と、子供心に考えた。
地震と火山とオリザの実 霧 @kirikiri1941
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