後編

 過去の記憶に浸りながら、母さんの部屋の片付けをする。とはいっても母さんは綺麗好きだったから、ゴミを捨てる作業なんてない。せいぜい使えるものといらないもの、残しておきたいものを振り分ける作業があるだけだ。


 強いて言うならば、この空気が辛かった。


 よく整理整頓された部屋の壁には、そこかしこに家族写真や俺の写真が飾られていた。単に画鋲で留められているのではなく、ほとんどが額縁に収められている。


 引き出しを開けて珍しくゴミが入っていると思ったら、高確率で俺が幼稚園あたりのときに描いた絵や、小学校低学年の満点のテストだった。綺麗なファイルには、いつ書いたのかわからない『母親への感謝の手紙』が入れられてある。


 育児日記なんてものもあり、そのすべてには俺の成長が拙いものの優しさの溢れる文章で綴られていた。


 ──どうして、母さんが死んで俺が生き残ってしまったのだろう。


 自分で自分の手に触れる。残酷なまでに温かい身体に、涙を流した。泣きたいのは母さんだったのに、勝手だ。


 母さんが死ねば、残りは仕事で忙しく、深夜まで帰ってこないことも多い父さんだけになる。父さんは俺がどのような進路を提案しようが口出ししないし、深夜まで帰ってこないのだからいくら友人と遊んでいようが怒ることもない。彼女だって何も気にせず家に連れ込める。


 母さんは頼んでもない、俺の大学進学費用を貯めるだけに働いていた。そのため、父さんだけになっても俺の小遣いに影響が出るわけではない。それに俺だってバイトしている。


 最高だと思っていた。すべて人生が思い通りに運ぶような、理不尽で脆い妄想を抱いていた。


 しかし、まったくの間違いだったのだ。


 これからどれだけ私生活が充実しようが、心にぽっかり空いた穴を埋めることなんてできない。


 家に帰れば、手作りの夕飯が俺を待っていた。母さんはいつも、俺の心を配慮した上で発言していた。大学進学だって、押し付けているわけじゃなく『進学したいと思えたときに実現できるよう』と言っていたのに、俺はその愛を無碍むげにした。

 思い出の品々は、どれも俺が幼少期のものばかりで、いちばん新しいものが中学校の入学式の写真だ。


 引き出しの探索を終えて、今度はタンスを見てみる。引き出しに入っているものは捨てられそうになかったが、服ならば処分できるものが多いだろう。


 そう考えながら、とりあえずいちばん上の段を開けてみる。しかし俺の想像とは違って、中には一枚の封筒が入っていた。


 へそくり貯金だろうか。……いや、それにしては薄いような。

 疑問を持ちつつ開けてみると、中には一枚の便箋が入っていた。何となく内容に目を通し──驚いた。


 差出人は母さん。宛先は、さとし──俺へだった。


 冒頭に一年に一回、こうやって何かあったときのため遺書を書いていること、死んでも俺は何も気にしなくていいということが書かれてあった。


 そこから幼少期の回顧が始まり、さまざまな出来事に対しての母さんの気持ちが綴られている。このあたりは育児日記である程度知っていたものの、俺に残す言葉として『この子は何があっても幸せに生きていけるようにしようと思いました』なんて書かれると照れ臭い。


 次いで進路については『智の意思を尊重しますが、特にやりたいことがなければ大学に行ってください』と締められている。『どんな未来を歩んでも、母さんは智のことを応援しています。でも、犯罪行為だけはやめてね』と付け足されてあった。犯罪をしでかすかもと心配させていたのか、と苦笑する。たしかに俺は不良の出来損ないみたいな日々を送っていた。


 これからは、どうしよう。


 迷いながら、次の文章に目をやる。そこに、俺の人生を一変させる言葉が書かれてあった。


『死ねと言われても、嫌いと言われても、母さんは智のことを愛しています。智が母さんに愛された子として人生を歩んでくれたら、これ以上幸せなことはありません』

 母より。


 手紙はここで終わっていた。手紙を置き、自らの手に触れる。母さんの遺伝子を半分受け継ぎ、何度も触れられた手に。


 今までの俺は、母さんや父さんに愛されていないような人生を送っていた。わかっていたのに、目を逸らしていた。


 ──人に愛されるような道を歩いていこう。


 手紙に触れながら決意する俺を、窓から差す光が照らしていた。

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愛が照らす贖罪の道 夏希纏 @Dreams_punish_me

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