いじめられロボット・下


 期末テストの日。ぼくは2か月ぶりに通学路へと足を向けていた。

 毎日欠かさず行っていたトレーニングのおかげで、確実に僕の身体はスリムになっていた。体重は6kgも減ったし、お母さんには「イケメンになったわね」なんて言われた。髪型もいじって、以前ロボットで試した少し髪を立てるスタイルだ。鏡で確認したところ、2か月前のぼくに比べてだいぶましな外見に変わったと思う。


 それでもやっぱりクラスメイトの反応は怖くて、恐る恐る教室の扉を開ける。その音で何人かが振り返ったが、みんなぼくをちらりとみやるだけですぐに視線を戻した。

 今までなら露骨に無視された感じだったのが、本当に関心が失せているという雰囲気だった。あるいは皆テスト直前の最後の勉強に必死で、ぼくなんかに構っている場合じゃないのかもしれない。


 昼食休憩の時も、ぼくに干渉してくる人はいなかった。いつも通り――ロボットが来る前と同じように――自分の席で弁当箱を広げ、黙々と口に運ぶ。他のクラスメイト達は机をくっつけたりして、数人のグループで食べていたが、総じて口数が少ない気がした。元からこんなもんだったっけと考え、昼食の時間は常に誰かに絡まれていてそれどころではなかったことを思いだす。今日は、ぼくにちょっかいをかけてくる人もいない。


 みんなどうしたのだろう。逆に、心配になってきた。ぼくのいじめられロボットがあまりにも対応がそっけないから、いじめるのをやめてしまったのだろうか。でもそれだけの理由なら、テスト期間中とはいえ昼ごはんのときぐらい、みんな好き勝手に喋ればいいのに。なんで今日はこんなにも無口なのだろう。


 異様な静けさは午後も続き、ぼくはいぶかしみつつも教室を後にした。そういえば今日は、机が汚されているということもなかった。ということはいじめはもうなくなったのかもしれない。

 だとしたら、いじめられロボットに登校を肩代わりしてもらう必要はなくなる。トレーニングする時間が取れなくなる分、体重はだんだん元に戻ってしまうかもしれないが。


 帰宅したぼくは、お母さんにテストの翌日も自分で登校してみたいと告げてみる。お皿を洗っていたお母さんは、ぼくの提案を聞いて顔を曇らせた。


「でも、大丈夫なの? 今日はテストがあったから何もされなかっただけかもしれないわよ」

「それを、確かめたいんだ」


 とぼくは答えた。


「今日、なんだかクラスの様子がおかしかったんだよ。誰も、何もしゃべらないんだ。ちょっとだけ隣の席の人と休み時間に喋ってる人はいたけれど、今までよりずっと静かだった。

 ぼくに対して色々言ったり、攻撃したりしてくる人もいない。だから大丈夫な気がするんだ。大丈夫じゃなかったら、また次の日からロボットに登校してもらうよ」


 ぼくが一日の出来事を思い返しながら答えると、お母さんは手を拭いて、ぎゅっと僕の肩を抱いた。


「ケントが大丈夫ならよいのだけれど。くれぐれも無理はしないでちょうだい。嫌なことがあったら、授業の途中でもすぐに帰ってきていいんだからね」

「うん、わかった」


 お母さんを安心させるために、ぼくははっきりと頷いた。ただ、なんとなくもういじめられないんじゃないんだろうかという直観があった。


 部屋に戻ったぼくは時間割を調べて、テスト明けの授業で使う教科書とノートを全部揃える。1度にまとめて通学カバンで持っていくのはけっこうな重労働だが、しょうがない。まずはテストを無事に終えなければならない。

 ぼくはもう一度教科書の山をちらりと見てから、日課となっているストレッチをすべく動画サイトを立ち上げた。


 ・・・


 期末テスト終了後。久しぶりの通常の登校日だ。ぼくは期待半分、不安半分で教室の扉を開いた。


 今日は扉の音に反応したクラスメイトは誰もいない。皆自分の座席に座り、無心に教卓の方を向いている。会話をしている人は皆無だ。なんだか不気味に思えて、ぼくはそろりと周りを見渡しながら1限目の授業の準備をした。


 授業が始まるなり、皆いっせいに教科書を取り出す。それ自体は普段通りの光景だ。だが次の瞬間、ぼくはさらなる違和感に気づく。


 隣の席の女子が、ノートを広げているにもかかわらず何も書いていないのだ。いや、手は鉛筆を握っているのだが、動かしているふりをしているだけでノートは白紙のままにみえる。

 ぼくは先生が黒板のほうを向くタイミングを見計らい、後ろの席の様子も確認してみた。彼もやはり同じように、鉛筆を持っているだけでメモをとるそぶりをみせない。その隣の人も同じだ。彼らは振り返ったぼくにリアクションをとることもなく、ただ無表情で前方を見つめている。


 ――もしかして、周りの人たちみんな、いじめられロボット?――

 数週間前、いじめられロボットの値段が安くなって入手しやすくなったというニュースをみた。もしかしたら、それでみんなロボットを手に入れたのかもしれない。でも、ぼくの付近の人たちはぼくをいじめこそはすれ、いじめられてはいなかったはずだ。なんで、皆ロボットを買ったのだろう。


 他におかしなところはないかと、先生に不審がられない程度に周囲を見渡してみる。すると、ひとりだけ人間っぽい動きをしている存在を発見した。


 タカシだ。ぼくをいじめていた筆頭格。殴る蹴るは自分でやるが、あとは暴言を吐くクラスメイト達をにやにやしながら眺めていた嫌な奴。彼だけは、頬杖をついて退屈そうに鉛筆を指で回していた。いじめられロボットだったら、そんな「人間くさい」動作はしない。きっとあいつはタカシ本人なのだろう。

 じっと観察していたので気づかれたのだろう。タカシがちらりとぼくのほうを見た。そして少し驚いたような顔をして、鉛筆回しをしていた手を止める。先に視線を外したら負けな気がして、ぼくはずっと彼を睨みつけていた。


「タカシくん。ハラグチ タカシくん。聞いていますか?」


 突然先生の声が割り込んできて、タカシはびくっとして前に向き直る。よって、先に目をそらしたのはタカシのほうだった。なんだか今までの借りをすこしだけ返せた気がして、気分がよい。ぼくは機嫌よく、1時間目の授業をこなした。


 終業を告げるチャイムが鳴るや否や、タカシがぼくの机のところまでやってきた。また蹴られるんじゃないかと身構えたぼくに、タカシはぶっきらぼうに問いかける。


「なあケント。ケントはいま、人間か?」


 はたから聞くと変な質問だが、直前までの授業風景を見ていたぼくには彼の疑問が理解できた。だから意図を汲んだうえで答えてやる。


「うん。今日は生身のぼくだよ」

「“今日は”か。なるほどな……」


 タカシはわざとらしく腕組みをして、うーんと唸る。


「中間テストが終わってから、お前が俺の言葉やらなんやらを全部無視するようになった。でもいつもどおりやってたら、だんだん周りの奴らも俺のことを無視するようになった。

 しまいには、俺以外のクラスメイト全員が俺のことを無視しやがる。壁と喋ってるみたいだ。なにも面白くねえから、最近は授業時間以外は他クラスに行くようになってたが……ケントお前、何をした?」

「ぼくは何もしてないよ」


 嘘はついていない。ぼく自身はいじめられロボットを使っていたが、だからといってクラスの皆にそれを強制したりはしていない。彼らがロボットを使用したのは自分の意志のはずだ。きっと、タカシのいじめに嫌気がさした人たちが、どんどんいじめられロボットに出席を肩代わりさせていったんだろう。


「嘘をつくなよ! 俺はわかってるんだからな。全ては、お前が俺のことを無視するようになってから始まった。お前が原因なんだろう?」

「逆じゃない?」


 ぼくは反射的に言い返していた。いつもなら縮こまって怒鳴られっぱなしでいるところだが、いまのぼくにはいじめられロボットがいる。ここでタカシを怒らせたとしても、明日からは代理登校してもらえばいいだけのことだ。そう思うと勇気が湧いてきて、ぼくは椅子から立ち上がった。


「ぼくがリアクションをとるのを疲れちゃったのと一緒で、周りの人たちもタカシに合わせるのに疲れちゃったんだよ。だからしばらくしてみんな元気になったら、戻ってくるよ。ふだん通りに」


 後半はぼくの推測だが、彼らがいじめられロボットを使っている理由がぼくの予想通りなら、タカシの暴政が収まったら皆元通り学校に来るはずだ。

 いじめられていたぼくでさえ、登校してみる気になったのだ。特にいじめられていたわけではない人たちなら、すぐにクラスメイトと話したくなるに違いない。


 タカシに殴られることを覚悟して言ったつもりだったが、彼から拳は飛んでこなかった。代わりに深いため息が耳まで届く。


「もう、俺も疲れた。他人と口をきかないってこんなに疲れるんだな。ケントお前、明日からも生身でいるっていうんなら、ちょっと話相手になってくれねえ? 今他の奴らに話しかけても、なんも面白くねえよ」

「タカシが殴ったり蹴ったり、怒鳴ったりしないならいいよ。そうしたらぼく、またタカシのことを無視するから」

「決まりだな」


 タカシはにやりと笑う。その笑顔は不思議と不快ではなかった。


 これまでのいじめを無かったことにするつもりはないし、ぼくが忘れることはないだろう。ロボットだらけになったクラスだからこそ、ぼくとタカシの会話は成り立つのかもしれない。それはたぶん、結構貴重で珍しい時間だ。だから、大切にしようと思う。


 明日からも、ぼくは生身の人間として登校する。そしていじめられロボットたちに囲まれて授業を受け、タカシと雑談をして下校するのだ。

 今までとは違う学校生活が始まる予感がしていた。そしてそれは、決して悪いものではないとも感じる。帰ったらお父さんとお母さんになんて説明しようかなと思いながら、ぼくは笑みを崩さず自席に戻るタカシを眺めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いじめられロボット 水涸 木犀 @yuno_05

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ