第6話 終わりの始まり

 佐々木講師から来たメッセージは次のような内容だった。真緒も全く同じ内容だったらしい。


「仮想通貨に大きな動きがありました。10時限終わったくらいにSlackのハドルに来られますか?」


 ハドルは前に質問のときにも使った音声チャット機能だ。10時限の終わりとは19時半ちょっと前くらいだ。

30分くらいに繋げば間に合うだろうと、涼太は思った。


「すみません、時間を取ってもらって。二人には大事なことだと思ったので」


 時間通りに接続すると、真緒はもう接続していた。早速、佐々木講師が切り出して、そのまま話を続ける。


「結論を先に言いますと、仮想通貨からは手を引いたほうが良いと思います。NISTアメリカ国立標準技術研究所のComputer Security Resource Centerが公開している連邦情報処理標準FIPSに新しいものが追加されました」


 涼太は暗号の授業でFIPSについて耳にした記憶があった。今ブロックチェーンなどで広く使われているSHA-256はSHA-2というアルゴリズムを元にしている。Keccak-256という新しいアルゴリズムを採用している仮想通貨もあるが、Keccakを連邦情報処理標準として採用されたのがSHA-3ハッシュアルゴリズムで、これはFIPSとして発表されている。SHA-3はSHA-2に名前が似ているが中身のアルゴリズムは全く異なるものである。


「MDXH多次元クロスハッシュと呼ばれていますが、問題はこのアルゴリズムの説明に量子耐性があると書かれている点です」


「えっと、量子耐性って?」


 真緒が戸惑った感じで聞いた。


「ここから先は私の推測になりますが……」


 佐々木講師は少し言いよどむ。


「量子コンピュータでプルーフがすぐ解ける的な話ですか?」


 涼太はこの前の聞いた内容を思い出しながら聞いた。ブロックチェーンは新しいブロックを作成するために、そのブロックに特定の値を加えてハッシュを計算する。例えば、そのハッシュの数字の先頭から0が4回連続するようになる値を見つけるために数十万回も値を変えてハッシュを計算する。それが現在のPoWの仕組みだ。量子コンピュータでは、それが1回の計算で済むかもしれないという噂を聞いたことがあった。


「そのとおりです。最先端の暗号は軍事技術に属しており公開されてないため実情はわからないと、先日お伝えしましたけど、おそらく米国は実用的な量子コンピュータを持っているのでしょう。そうでないとMDXHに量子耐性があると証明できませんから」


 推測に過ぎませんが、と佐々木講師は繰り返してから話を続けた。


「桜井さんのトランザクションが速くなっていると言う話で気がついたのですが、おそらくアメリカ以外の国が仮想通貨のネットワークに量子コンピュータを接続したのではないでしょうか。NISTはそれを確信できたので、民間の通信の保護のために量子耐性のあるハッシュアルゴリズムを公開したのではないかと思います」


「「で、手を引いたほうがいいというのは?」」


 と、涼太と真緒の質問がかぶってしまった。


「通貨の価値は信用にあると思います。私も専門ではないので詳しくは語れませんが、少なくとも仮想通貨についてはユニークであることがブロックチェーンによって保証されていると参加者が信用しているから、価値があると思っています。ところが量子コンピュータが接続した可能性があり、簡単に過半数の計算力を支配できる勢力があるという疑いがあれば、信用は簡単に失われると思います。サトシ・ナカモトの論文にあった51%問題はこの前説明しましたね。信用が失われれば同時に価値も失われてしまうということになります」


「じゃあ、じゃあ、ブロックチェーンのPoWの仕組みにMDXHを使えば?」


 涼太は真緒がマイニングした残高がいくらになっているのかしらないが、彼女は結構焦っているな、と感じた。


「試算してみたのですが、なかなか複雑なアルゴリズムでデータを多次元に構成して串刺し計算を行う必要があります。従来型のコンピュータだとSHA-256のおそらく1000倍ほどの時間がかかるのではないかと思います」


 涼太は暗算してみた。10分かかっていたものが約1週間かかる計算になる。電子送金よりも郵便で送ったほうが早いレベルである。


「じゃあ、量子コンピュータを使ったブロックチェーンは?」


 真緒はまだ諦めきれないようだ。


「量子耐性のあるブロックチェーンは、おそらく従来型のコンピュータでは非現実的な処理速度になってしまうでしょう。量子コンピュータについての情報が民間に公開されるのがいつになるかは分かりませんが、それまではどこかの勢力が量子コンピュータでブロックチェーンを乗っ取る可能性があるため、クローズドなネットワークでしか使われなくなるのではないでしょうか。手持ちの仮想通貨はすぐさま処理した方がよいでしょう」


「ありがとうございました! ではまた!」

 真緒はそう言い残すとすぐに抜けていった、今までマイニングで貯めていた分を処分するためだろう。


「あいつは慌ただしくてすみません。先生お忙しいのにわざわざありがとうございました」

 涼太はその時点では売りも買いも仮想通貨のポジションを持っておらず、落ち着いた気持ちだったので丁寧に礼を行って、音声チャットを抜けた。


 涼太は日が変わるまで仮想通貨の価格チャートを見ていたが、あまり大きな動きはなかったので、そんなもんかと思いつつその日は寝た。しかし、翌朝起きてスマホを見て目を疑った。ビットコインの価格が昨日の50%になっていた。グラフを見ると日本時間の5時、アメリカ西海岸の正午くらいに値段が下がり始め、1時間で半分になっていた。マーケット情報のニュースをみていると、理由は様々にこじつけているが他の仮想通貨も軒並み売られている、つまり仮想通貨を売って現実の通貨ドルなどに変えられているということらしい。

 涼太が母親の作った朝食を食べつつTVを見ると、仮想通貨謎の暴落、と少しだけニュースになっていた。ショートしておけばよかったと思いつつ、仮想通貨取引関連のTLを見ていると、涼太の使っている取引業者で仮想通貨の取引が停止して、ユーザー大激怒という状態らしかった。


「うわ、まず」


 涼太は思わず口に出して、母親に叱られつつ走って自分の部屋に戻り、PCで取引業者のサイトにログインしようとしたが、エラーでログインできなかった。仮想通貨のポジションは持ってないけど、預り金の日本円を入れてある。このまま倒産されたら建前上は保護されることになっているけれども、どうなるかわからない。


「激ヤバやん、これ」


 スマホで業者のアプリを起動すると、こちらは重かったがなんとかログインできた。取引停止に関するお詫びのメッセージなどは全部無視して預り金の全額出金を指定して確定ボタンを押した。とりあえず受け付けられたらしかった。出金指示を承りましたというメールが届いた。実際に銀行に入金されるまではドキドキであるが。


「大変なことになったね~」


 と、真緒からのんきな感じメッセージが届いた。涼太は、昨日はそっちが慌ててただろ、と思いつつメッセージを返す。


「あのあとどうしたん?」

「んー、マイニングしてた手持ち分を全部業者に入庫して、即座に円に変えて出金したよ~」

「素早いな」


 涼太は軽く返しつつ、価格チャートを見るとビットコインの価格がさっきは昨日の50%だったのが、もう30%になっていた。


「これ、ストップ安とかないのかな」

「株みたいに中央取引所で取引してるわけじゃないから、制限のかけようないんじゃない~」

「おいおい、他人事だな」

「換金して出金指示までしてるから、他人事ですから~」

「あー、AHでキャラダブってもNFTで換金できなくなるのかな」

「多分そうだね~」

「AHごと無くなることはないよなあ?」

「私、グラフィックボードが活かせるできるゲームやろうと思って、今度教えて~」

「お、おう」


 授業までだべっているうちに、価格のチャートは25%を割っていた。おそらく、これから取引業者が倒産したり、仮想通貨で破産した人のニュースなんかが出てくることになるのだろう。


 ピコンと、涼太のスマホにSlackの通知が来て、また佐々木講師かと慌てたが、ポーランドの留学生ドンさんからのメッセージだった。

彼女は日本語がまだ不得意なのでほとんどひらがなだ。


「マオは、むいしき?だと思いますが、なかよくなると、ことばのさいご、ごび?をのばすクセ? ありますよ。あまえているんでしょうか」

「えっ」


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ブロックチェーンの終わり えりちん @eliotnapa

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