第5話 まだ、いつものままの日常

 佐々木講師からの回答がなにやらグレーぽくなってしまったので、その場は礼を言って解散した。

 二人の学ぶ工業大学は10時限、19時10分まで時間割はあるが、ふたりとも8時限の17時20分で授業が終わったので、そのあとにSlackチャンネルに集まってだべっていた。


「そいえば、AHのイベントもうすぐだねえ~。課金て何にするの?」


 真緒から聞いてきた。AHとは二人でハマっているスマホゲームだ。正式名称はAncient heroes and heroines過去の偉人を召喚(ガチャで引いて)してパーティを組んで敵と戦うゲームだ。対人戦、PvPと呼ばれる他のプレイヤーと対戦するゲームモードもある。


「普通に有償石購入はブルジョアのやること、育成補助に課金してミッションで無料石をゲットするのだ!」

「おー、私は課金しないけどおんなじか。ミッションとかイベ達成率優先か」


 石とは、スマホゲーのプレイヤーにはおなじみだが、ガチャを回すためのコインのようなもの。ゲームによって宝石だったり宝玉だったりするが、まとめて石と呼ばれることが多い。概ね3000円くらいの課金で10回1セットのガチャが引けることが多い。課金して購入した石は有償石、課金意外にゲーム内で手に入れることのできる石が無償石と呼ばれる。価値は概ね同じだが、有償石でしか引けないガチャもある。

 涼太は、ゲーム用意されている別の課金要素キャラ強化などを使って難易度の高いイベントをこなし、その報酬の無料石をもらう作戦だ。課金予定の3000円で10連ガチャを1回引いても何も当たる気がしない。完全無課金の真緒もキャラ強化こそないがイベントで石をゲットしている。

 従来のスマホゲーではガチャで同じキャラを引いた場合、重ねる、つまり同じキャラを合成して能力をあげたり、石に交換したりしていた。しかしAHはNFTをサポートしており、仮想通貨取引業者のNFTネットワークで売り払って仮想通貨を得ることができる。その他、ゲーム内で入手したレアアイテムなどもNFT化できるようだ。NFTとはブロックチェーン技術を利用した非代替性トークン、つまり唯一無二のユニークさを保証された偽造不可能なデータであり、仮想通貨の基盤技術と密接に関連している。例えば、涼太がガチャで源頼光(化け物退治で有名)を引いたとしても、他の人にもガチャで源頼光は出ているからユニークではないようにも思えるが、その瞬間に涼太というプレイヤーが引いた源頼光はそれ1枚であり、NFTとして手放すとそのユニークさが保証される。ぶっちゃけて言うとゲームの運営がガチャで排出したキャラの総数は変わりようがない、ということのようだ。ただし、真緒も涼太もNFTで取引をしたことはない。税金関係が微妙な感じがしたからだ。


「で、次のイベでは誰が欲しいの? 源頼光を持ってたはずだから、渡辺綱?」


 と、真緒が聞いた。イベとはもちろんイベントの略だが期間限定の特殊なマップや敵が追加されるが、一番の目玉はそれに合わせて追加される新キャラだ。スマホゲームは新キャラクターを獲得し続けるためのもの、と言ってもいいかもしれない。


「もちろん中宮定子に決まってるだろ。清少納言持ってるし」


 中宮定子も清少納言も平安時代の人物だが、過去のヒロインということでAHのキャラクターとして登場している。清少納言は文を書き散らして、敵にダメージを与えたり、弱体化(デバフ)したりする能力が高い。また、味方の強化も得意。手に入れた当時は最強レベルのキャラだったのだが、すぐに紫式部と藤原道長が実装され、このコンビを相手にすると清少納言は激しく弱体化してしまう。紫式部と藤原道長をセットにすると清少納言を狙い撃ちしたような、才女貶め、というデバフ攻撃を行うことができ、対人戦での清少納言のパフォーマンスを著しく弱めるのだ。

 今回のイベントで新たに実装される中宮定子と清少納言をセットにすれば清少納言が強化され、紫式部と道長のコンビにも対抗できるという情報がゲームの運営から公開されている。中宮定子は平安時代の帝のお妃だった、いわゆる国一番レベルのお姫様。清少納言は中宮定子に仕えるための侍女として宮勤めをすることになったが、中宮定子のことを崇拝レベルで尊敬していたようだ。と、このような事情で清少納言強化のために、涼太はどうしても中宮定子が欲しかった。


「でも、すぐに中宮彰子が追加されて元の木阿弥じゃ? ローマ神話推しの私には関係ないけど~」


 真緒がちょっぴり意地悪そうな感じで突っ込む。

 清少納言が登場したときは、いままでにない言葉という属性での攻撃だったため、相手キャラクターの対処が難しく、無双状態だった経緯がある。運営はバランスが壊れたことを反省して、すぐに紫式部と藤原道長を追加した。紫式部単体だとそれほどでもないが、二人揃えると清少納言対策としては最強レベルになる。どっちか一人だと簡単に入手できるので、二人でないと機能しないようにして難易度を上げたところは運営も考えたようだが、清少納言に悩まされていたプレイヤーの課金が捗り、結構な数のプレイヤーがこの二人のセットを入手した。

 史実でも、中宮定子の父親である藤原道隆が急死すると道隆の弟の藤原道長が娘の彰子を中宮として入内させ、侍女として紫式部をつけた。紫式部は清少納言を猛烈に批判する文を残しているが、これは道隆の娘である中宮定子とその侍女である清少納言を貶めて、中宮彰子とその父である自らの地位を確立させるために、道長が紫式部に指示してやらせた、という説がある。

 中宮彰子は清少納言にとっての中宮定子のような存在なので、清少納言が強すぎるようであれば中宮彰子が追加されて紫式部がまた強化されるんじゃないの、ということを真緒は指摘しているわけだ。


「そしたら運営に道隆の実装を1万回お願いする。道隆さえ生きていれば道長なんぞ怖くないやい」

「微課金者がお願いしてもねえ~。あ、そうだ涼太将棋詳しい?」

「ん、なに? 常識レベルなら」

「ドンさんから、聞かれたことがあったんだけど、私じゃわからなくて~」


 真緒が、唐突に話題を変えたのはポーランドからの留学生、ドンさんからの質問があったからのようだ。ドンさんはユスティナ・ドンブロンスキーという名前で、将棋が趣味だ。彼女は日本語が苦手なので涼太はあまり話したことはないが、真緒は普通にやりとりしている。涼太も女性の愛称としてはどうかと思ったが、ドンさんという呼び方に落ち着いている。


「えっとね、機嫌のいい中央のルークって、なんで機嫌がいいのって~」

「はぁ?」

「将棋の戦法でそういうのがあるんだって、で名前の由来を知りたいって。あーちょっとまって、ルークって飛車? 飛車よね。縦横何マスも動けるの」


 真緒は将棋よりもチェスのほうが詳しいようだ。英語が得意からだろうか、と涼太は思った。


「中央の飛車、つまり中飛車?」


 涼太は、チャットを書き込みながら考えた。それほど将棋に詳しいわけでもなく常識程度の知識を持ってるだけだ。中飛車は古くからある戦法のはずだが、20世紀最後の頃に見直されたはずで、その戦法は。


「あー、機嫌がいいってあれか、ゴキゲン中飛車のこと?」

「うーん、そうかもしれない。ちょっとまってドンさんに聞いてみる~」


 真緒は自身なさそうに答えるとSlackの別のチャンネルでドンさんに連絡した。


「そうだって、なんでゴキゲンなの?だって」


 しばらく待った後、真緒から返事が来た。そのすきにWikipediaを検索していた涼太に抜かりはない。


「その戦法を開発した棋士の先生はいつも機嫌が良いから、将棋雑誌の人が、戦法名はゴキゲン中飛車でいいじゃんってなったらしい」


 と、検索したURLを送ってやった。


「おお、ほんとだー、ありがとう。ドンさんも喜んでる」


 真緒はドンさんが合掌してお辞儀している写真を転送してきた。涼太は何だそれ、と思ったがどういたしましてと返しておいた。


「あ」


 と、真緒が書き込んだ瞬間、涼太にも通知が来た。佐々木講師からだ。

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