エピローグ

 一週間後。

 朝の港をカモメが飛び交っている。いつもの光景だ。

 本土へ行く船を待つ人々の列に、文也さんと瞳さんが並んでいた。文也さんはTシャツとジーンズ。瞳さんはマリンブルーの日傘を差し、黒いワンピースを着ている。

 あたしと秀人は、見送りに来ていた。誰かの見送りはしょっちゅうで、特別な服は着ない。二人ともTシャツとかパーカーとか、普段の服装で、でも今日はそれを少し後悔した。


「よく晴れてよかったわ」


 瞳さんの日傘は青空の青を、そっくりそのまま切り取ったようだ。そういえば、瞳さんは日ごとに違う日傘を使っていたけど、一体何本持っているんだろう。


「本当にありがとう。このひと夏のことを、僕は一生覚えているだろうね。たぶん、死ぬ間際にも走馬灯で見るだろうな……それぐらい、濃い一週間だった」


 文也さんは、あたしと秀人とにそれぞれ握手をしてくれた。龍やリュークの存在を秘密にすることも約束してくれた。研究者として、世の中に事実を公開したい気持ちもあっただろうに、いろいろとおもんばかってくれた。

 その代わり、秀人に自分たちの記憶を消さないことを固く約束させた。


『いい? 時間差で発動する記憶消去とかもなしだからね。水鏡島のなかでは覚えていても、船に乗った途端忘れたりとか、日ごとに虫食いのように消えていくのも無しだからね? ちょっと、「その手があったか!」って目を輝かさないで!』


 ……というやりとりもあった。


「茶羅も、僕を、僕たちをずっと見守ってくれてありがとう。君との出会いは、運命だったと信じているよ」

「オレもフミヤに会えてよかったよ。オレのことを見つけて連れ出してくれた恩は決して忘れない。オレも! オレも運命だと思ってるっッス!」


 あたしたちの後ろから、茶羅がひょっこり顔をだして人懐こく笑った。

 茶羅は秀人の監視下のもと、七宝神社で暮らすことになった。奇跡的に、秀人のお父さんからお咎めもなく、水鏡島の龍からも合議の末に受け入れられたそうだ。


「てか、近いうちに東京に行くっス! それにオレの故郷、まあつまりはフミヤの故郷なんだけど、そこがどんな状況が気になるし。飛んでいくから、そのときはよろしく!」

「こらこら、自由すぎるだろ! そのときはおれも同行させてもらうからな」


 秀人が茶羅の頭に、軽くチョップを繰り出す。

 茶羅は別れが惜しいようで、文也さんにしきりに話しかけていた。

 見た目は同年代で、親しい友達のようだ。なんか、いいなあ。


「男子の友情っていいわよね」


 わっ。びっくりした。

 瞳さんはスマホを見ながら、二人と一頭の様子を見守っている。


「ああそう、しばらく忙しくなると思うわ。それはごめんね」

「?」

「私、実はフォロワーがわりと多いツイスタグラマーなのよ。この一週間が楽しくて、島の景色をたくさん投稿したら、たくさんいいねがついちゃったわ」


 瞳さんのスマホの画面は、写真も「いいね」を表すハートもいっぱいだった。

 えええ、すごい!!


「秀人くんとの約束通り、神社の写真は一切投稿していないの。その代わり、やしゅろのことは名前つきで紹介しちゃった。これくらいは許してね」


 瞳さんは小さく舌を出した。うわっ、その仕草はあざとすぎる。許した!

 画面のハートはぞくぞくと増え続けている。どれほど忙しくなるかは未知数だ。

 あたしは日ごろの来客数の何倍になるかを考えて、やめた。


「千夏ちゃん、彼女はいま起きてる?」

「いえ、いまは寝ています」

「そう。お別れを言おうと思ったんだけど」


 彼女とはるりのことだ。あの夜、水鏡湖のほとりで、時間による封印を解いたおかげで、いまやあたしたちを縛る時間はない。だがるりはこれまでが夜型だったせいか、昼にはあまり起きていない。

 起きたいときに起きる、気ままな龍となっている。


「また会えますよ」


あたしは文也さんと瞳さんとは、強い縁で結ばれていることをなぜだか確信していた。


「ええ、必ず。次に会うときは、るりちゃんも身体を持っているといいわね」


 瞳さんは日傘をくるりと回した。その眼差しは、変わらずに男子たちを見守っている。


「あの、聞いてもいいですか?」

「いいわよ」


 ここは女子だけの会話で、男子は聞いていない。

 あたしはずばりと切り込んだ。


「文也さんのこと、ほんとうは好きなんでしょう?」


 瞳さんは黙して、日傘をくるりとまた回した。青空が翻る。


「本音を言うと、分からないの。この気持ちが友情なのか、パトロンとしての肩入れなのか、恋愛感情か。私は大学を卒業したら、いずれ親が決めた男性と結婚と決まっているの」

「そのことを文也さんは……」

「知っているわ。雄津は龍と野球のことしか頭にない男よ。千夏ちゃん、私は雄津といると、誰かに優しくしようと思えるの。この気持ちがどこに落ち着くのか今は分からないけれど、いつか恋になるかもしれないこの気持ちを、宝物のように慈しんで生きていくわ」


 そう語って、瞳さんは今までで一番綺麗に、微笑んだ。

 文也さんがこの笑顔を知らないのはもったいないな。


「千夏ちゃんも自覚……いえ、好きな人ができたら教えてね。人生の先輩として、なにか力になりたいわ」

「はい! 必ず」


 あたしと瞳さんは固く握手を交わした。

 ポー、と汽笛が鳴る。出港の準備ができた合図だ。列に並んだ人たちが歩き出す。文也さんと瞳さんも、あたしたちの目の前から去って、ミラー丸に乗り込んでいく。

 携帯に登録した二人のメールアドレスと電話番号は、あたしのお守りだ。

 見送りに来た人々がハンカチやタオルを振る。


「ああ、我慢できないっス! やっぱりオレも一緒に飛んでいきたい!」

「ばっか、こんなに人がいる前で、龍が出現したら記憶を消すのが多すぎて大変だっての!」

 そわそわして、龍になろうとした茶羅は、秀人に首根っこをつかまれて止められた。

 秀人の錫杖は、現在修理中だ。修理中といっても、秀人は錫杖なしに術を使うことができるので、あまり影響はないらしい。大きな術をかけることは無理らしいけど。

 一生で一番、めまぐるしい一週間だった。

 東京からお客様がいて、龍と名乗るチャラい青年が現れて、あたしの双子の姉の龍も現れた。失った記憶をみんなの協力のもとに取り戻して、あれほど焦がれていた夜を見ることを叶った。なによりも、魂の繋がった龍の姉を得た。

 あれ、おかしいな。目の前がかすんで見えないな。

 ポー。汽笛がまた鳴った。出発するという合図だ。

 文也さんと瞳さんが甲板にいる。大きく手を振っている。

 あたしは、涙をこらえて思いっきり笑って、ハンカチを振った。


「お元気で! またね!」

「なにかあったら、すぐ飛んでいくっスよ!」

「お世話になりました! ありがとうございました」


 叫び続けて、ハンカチを振る。向こうも懸命に叫んでいる。聞こえなくても、あたしたちはずっと叫び続けた。

 ミラー丸はゆっくりと、進路を北に進み、遠ざかっていった。


「また会える」


 秀人があたしの頬を乱暴に擦った。


「……うん」


 茶羅は豆粒ほどに遠ざかったミラー丸に、ずっと手を振っていた。


「さて! おれは事後処理に家に戻る。父の了解は得られたとはいえ、まだまだ形勢は悪いから、まだまだ根回ししないと」

「頑張ってね……ん?」


 あたしは首を傾げた。

 分かりづらい変化だけど、秀人の目がいつもより笑っている。

 男子同士で話しているときに、いいことがあったのかな。


「秀人、なにかいいことがあった?」

「ナイショ」


 秀人はにひひ、と悪戯っぽく笑った。


「もう、なんなのよ! あたしにも教えてくれたっていいじゃん!」

「だめだめ、ひとりじめしたいから」

「ああ、それはフミヤが―――むぐむぐ」


 秀人は茶羅の口を慌ててふさいだ。


「言わないって言ったろ!」

「えー、いいじゃないっスか!」

「そうよ、教えてよ!」

『おい……有象無象が騒々しいぞ。氷漬けにしてやろうか』


 あたしの身体の中で、寝ぼけまなこのるりが欠伸をする。ごめんって。

 お父さん、お母さん、あたし、なんとかやっていけそうです。

 あたしたちの笑い声は、青空を突き抜け、どこまでも響いていった。

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離島の龍ガール 泉野帳 @izuminuma

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