雨虹みかんに清涼飲料を与えれば、それはまさしく鬼に金棒。

【はじめに】
 雨虹みかん様は、先日、小説を書くことをやめる、と言っていました。僕は悲しくて泣いてしまったのですが、彼女は圧巻の短編を書いて戻ってきました。そうです、あの『月光夜』です。

 幻想的な夜の世界、さらっと張られた巧みな伏線、思わずあっと口を開いてしまう結末。久しぶりに筆を握ったとは思えない程、洗練されていました。

 さて、本作『帰り道』は『文房具コーナーから始まる文通』と同じく、雨虹みかん様の代表作です。カクヨム甲子園2022ロングストーリー部門において、見事に中間選考突破を果たしています。

 本作を読み終えたのは結果発表後だったので、この作品で受賞できないのか、とロングストーリー部門のレベルの高さに委縮したのが懐かしいです。ただ、2022ロングストーリー部門の受賞作を読む限り、本作も引けを取らないと感じました。

 小説を書く上で顕著にその巧拙が露呈してしまう「比喩」という要素を、作品のコンセプトそれ自体に採用するという挑戦的な小説であると同時に、描写力は想像の斜め上を行き、物語を華麗にまとめあげているからです。

 雨虹みかん様は本作で何を伝えたかったのか。なぜ本作は、悪魔的なまでに僕に再読を促してくるのか。雨虹みかん様は、夏という季節に何を見るのか。そして、ラムネに何を見るのか。

 今から述べる【感想】及び【解説】で、それらを解き明かしたいと思います。

【感想】
 震えました。

『文房具コーナーから始まる文通』と雰囲気が少し異なっていたことも影響していたのでしょうが、同じ高校生がこの作品を書いているということを、信じたくありませんでした。

「たしかにあのとき、初めて本作を読んだとき、僕は言い表せない痒みを覚えたのです。それは雨虹みかん様の別作品である『帰り道』を読んだ際に、より一層強まりました」

 これは、前に雨虹みかん様の『文房具コーナーから始まる文通』に送ったレビューに添えた文章です。

『文房具コーナーから始まる文通』を読んだ僕の中には、認めたくない感情が薄っすらと立ち昇っていました。言葉にしてしまうと、まさしくそれは「負け」となる気がして、どうしようもありませんでした。

 そんなモヤモヤの中で彷徨っていた僕を完膚なきまでに打ちのめしたのが、本作『帰り道』です。

 一言で表すなら、それは「劣等感」でした。

 悔しくて堪りませんでした。『帰り道』を書くことのできた雨虹みかん様を、同じ高校生として認めたくありませんでした。

 恋人としても親交を深めた現在は、彼女が新作を書くたびに、憧憬を抱いています。劣等感を抱くことは無くなりました。いえ、もしかするとそういった感情もあるのかもしれませんが、少なくとも、創作をやめると言われて「先生~~~~~~(涙)」となってしまうくらいには彼女を尊敬しています。新作を読むたびにベッドの上で足をバタバタさせて心の中で先生先生と繰り返しているのは秘密です。

 さて、あの頃より少しだけ大人になった僕は今から本作を読み進めていくわけですが、既に涙目になっています。不思議ですね。もう何回も読んでいるのでキャラも描写も展開も全て知っているのですが、読む前から感動してしまうようになりました。

 リアルタイムで感想を書いていきます。

〈第1話 ミルクティー〉
『文房具コーナーから始まる文通』でも触れた、雨虹みかん様の冒頭の素晴らしさ。例に漏れず、本作も唸らされました。

 僕なら、いきなり高校生になったところから始めてしまいますね。小学生から高校生に成長するにつれ変遷した出来事に、帰り道はオレンジ色、ハート模様のピンクの鉛筆など、凝縮された「エモ」を含ませているところが好きです。

 そして僕が本作の中でもかなり好きな「右手には彼の手、左手にはさっき買ったホットミルクティー」の描写。

 これは実際に2023年5月6日に実現しました。とても心臓がうるさかったです。作中では12月ですが、あのときはとても暑かったのを覚えています。

 高校生の三年間で主人公の気持ちが彼とミルクティーを通して移り変わっていく、その過程を寂しさの香る文体で繊細に紡いでおり、参りました。「小学生の頃の私だったら声をあげて泣いている」のに、今は「人目を気にして声を押し殺して泣く」。それでも、彼に振られた悲しさで思わずあの頃が蘇り「気が付けば声をあげて泣いて」しまう。そんな「一人ぼっちの帰り道に見上げた空はオレンジ色」。

 主人公の小学生時代は、一人ぼっちだったのだろうかと考えました。

〈第2話 ラムネ〉
 この章以降は視点が変わり、佐藤寧々視点で展開されます。実は、寧々が恋をした葉山美久こそ、先程の第1話のミルクティーの主人公なのです。全て読んだあとにそれが分かるのですが、こういった工夫も好きです。気づいたときは思わず声を出してしまいました。

「会いたい、と美久に直接言えば塾帰りに会うことはできる。しかし、ラムネのガラス玉を取り出すことができないように、そんな本音は言えなかった」

 雨虹みかん様はラムネのビー玉をガラス玉と表現されます。儚さが詰め込まれたような言い換えが、めちゃくちゃ好きです。彼女の書くラムネのビー玉はガラス玉であってほしい。そう思います。

「私はあの日からよくラムネを飲むようになった」

 好きな人のことを真似しちゃうの、分かります。僕も雨虹みかんを真似して、携帯で絵文字を使うことがありますから。彼女はよく絵文字を使うのです。

「私は『久しぶり』と一言だけ言うとすぐ席に戻った」

 この「久しぶり」は、『文房具コーナーから始まる文通』の「久しぶり」の対極にあるような「久しぶり」だと、何回も読み返しているのに、たった今初めて気づきました。切ないです。

「きっと今体温計で体温を計ったら体温計は壊れてしまうだろう」

 好きな人を前にして、どくどくと脈を打つ感覚。熱が拡がっていく様子。それを体温計で表現しているところが好きです。

「私は残っていたラムネを一気に全部飲み干した。取り出すことのできないガラス玉がもどかしい。
 やっぱりラムネは恋の味がした」

 取り出すことのできないガラス玉とは「好きという気持ち」でしょう。素直になれないもどかしさを、一気に飲み込む。ラムネは恋の味、という描写も素敵です。

 僕にとっても、ラムネはありました。

 そう、あの5月6日です。

 5月であっても十分に夏でした。忘れられないラムネでした。

〈第3話 砂糖水〉
 僕のお気に入りの章です。

 もう好きじゃないと思っているのに、好きになっちゃだめだと諦めたのに、手を繋がれると思い出してしまう。ラムネと砂糖水の狭間で揺れる寧々の心の変化が、淡くて透明感の溢れる地の文によって丁寧に書かれています。好きです。

「もうあの夏は過去の記憶だ。もう今は好きじゃない。そんなことは自分が一番分かっている。なのに電流はなかなか止まってくれない。何かを期待してしまっている自分がいる」

 好きじゃないはずなのに、こういうときに限って、心臓だけは嘘をつかないのです。ドキドキしてしまっているなら、それは恋なのです。翻弄される寧々、好きを代弁するような花火、取り出せないラムネのガラス玉、少しプリンになった髪の毛。全てが切なかったです。

 中でも目を惹かれたのは、やはり最後の一文でした。この一文に『帰り道』の魅力が存分に表れていると思います。

「甘ったるくて爽やかじゃなくて、色褪せたただの水だから、また飲もうなんて思わないと思い込もうとしていたけれど、まだ残ってるラムネの香りが私をあの夏に引き戻すんだ。
 さようなら、飲み込んだ『大好き』」

「思い込もうとしていた」という表現に全てが詰まっている気がしました。もう好きとは伝えられないけれど、僅かに残っている淡い感情。それを思い出したくないから、寧々は「ラムネをもう飲まない」と決意したのでしょう。

 この夏で全て終わらせる。そういった覚悟すら感じさせる「さようなら、飲み込んだ『大好き』」が、とてつもなく刺さりました。

〈第4話 水飴〉
 この章は、寧々が美久に寄せる想いを少しずつ認めていく過程を中心に書いています。やはり、心情描写が際立っています。

 恋心を水飴に例えるシーンは感動しました。

「甘い記憶だけ美化されて、離さないと糸で縛ってくる。諦めようと、割り箸で練って気泡を潰すほど、すりガラスのように先が見えなくなる」

 水飴を諦めきれない恋と捉えているところが流石だなと感じました。雨虹みかん様は本当に比喩が上手です。こういう風に上から目線な言い方をしてしまうと色んなところから怒られそうですが、本当に上手なのです。美しいです。

 そして、話はぐんと1話まで遡ります。

 喫茶店でミルクティーを飲んでいた女の子は、美久でした。

「喫茶店の中に私が知らない美久がいて、私はずっと花火大会にいる」

 美久への淡い恋心がどうしても捨てきれない寧々と、彼氏と幸せそうにしている美久の対比が表れていますね。

 世間には、好きという気持ちを忘れるために相手のことを嫌いになろうと頑張る人たちが沢山いますが、寧々はそうではありませんでした。

「無理に嫌いになろうとしないで、『好き』という気持ちを大切にしてしまおうか。自分で自分の気持ちを受け入れたら、ガラス玉がしゅわしゅわと溶けていくように少し心が楽になっていった」

 ラムネを信じてもいいんだよ──そんな雨虹みかん様のメッセージが、心にすっと染み渡っていきました。「『好き』は生きる原動力になる」のですから。

「言えなかった『好き』の分、ミルクティーが甘くなるように水飴を溶かすから」

 今まで積もりに積もった好きの気持ちは、決して無駄ではありませんでした。「今までは自分の恋心を否定して、見てみぬふりをしていた」寧々は「友達として美久の一番側にいよう」と思えるように変化しました。

 最後には、壮大な伏線回収があります。

 Cafe・Bouteille en verre

 喫茶店の名前は「カフェ・ガラス瓶」だったのですね。

 寧々は「その看板に背を向け、知らない道で遠回りして家に帰」りました。最後に彼女が見上げた空は、何色をしていたのでしょうか。

〈番外編 ミルクティーキャンディ〉
 とうとう最終章です。雨虹みかん様はこの章が一番好きらしいです。

 美久と結ばれることは諦めた一方、あの頃の恋心を否定することなく肯定する姿勢が垣間見えるワンシーンです。

 美久に手を繋がれた寧々は、もうドキドキしませんでした。

「心臓は高鳴らなかった。今熱を測っても体温計もきっと壊れないだろう」

「『水でいいの?』
 美久が驚いている。
『水がいいの』
 私は、ふふ、と笑った」

 好きが色褪せても良い。思い出は消えない──そんな寧々の気持ちが伝わってきました。

 そして〈第1話 ミルクティー〉の伏線回収です。目を見開きました。

「『空、オレンジ色だね』
 
 美久がラムネを飲みながら空を見上げた。
 何色にも染まれる透明の水とボトルが夕日に照らされてキラキラと光った」

 彼女たちが帰り道に見上げた空は、遠い昔を思い出すようなオレンジ色でした。「何色にも染まれる透明の水」という表現が、大好きです。

 ここで、雨虹みかん様のエッセイから、一言紹介させて頂きます。

「暗くなる前に帰ってくださいね。
 見上げた空がオレンジ色をしているうちに」

 あなたの見上げた空は、何色でしたか?

〈after story 桜瑪瑙〉
 続編である桜瑪瑙の感想も書こうと思います。

 雨虹みかん様が得意である、さりげない伏線回収が見られて嬉しかったです。また、寧々の気持ちが安らかに変化していき、美久に好きと言えるようになったところが、ぐっと来ました。

「しゅわしゅわ湧き出るような爽やかさ。
 それに伴うほのかな甘酸っぱさ。
 ほんの少し舌に残るほろ苦さ。
 飲むとしゅわしゅわ弾けて、心も弾んで、目の前に炭酸が広がるような気がする。

 そんなラムネの夏の味が大好きだ」

 好きじゃなくなっても、ラムネに馳せる想いは変わらない。寧々にとっての夏は、ラムネそのものだったのではないでしょうか。

 圧巻の伏線回収は、桜瑪瑙の石言葉、勇気です。

 寧々は、香りを試すことなく桜瑪瑙の購入を決意します。

「うん、勇気出してみるよ」

 もうあの時点で、桜瑪瑙は寧々の背中を押してくれていました。

 そうして勇気を出すことが出来るようになり、とうとうラムネのガラス玉を取り出すことにします。

「今日はすごく楽しかった! 美久、大好き」

 恋情としての好きではなくても美久のことが好きなんだと、寧々が自分の気持ちに素直になり、日記帳の最後のページにロールオンを転がしたところで、胸を打たれました。

 寧々の心情の変わりようが、今度は清涼飲料ではなく香水をモチーフに、爽やかに描写されていて、とても好きです。圧巻でした。

【解説】
 本作の解説をしていきます。解説と言っても、解釈を述べる形になるかと思います。

 本作は、最後に掲載されている通り、元になった詩があります。詩を小説化しているのです。本作に溢れる叙情的な言い回しは、これが要因でした。

 まず、ミルクティーからです。

〈第1話 ミルクティー〉
「ハート模様のピンクの鉛筆
 私は絵本の主人公
 オレンジ色の帰り道
 賑やかな涙」

 これは美久の小学生時代を表現していると思われます。小学生の頃はまだ絵本を読んでいたし、シャーペンなんて使っていなかったのです。泣くときは「声をあげて泣いてい」ました。「不思議そうな目で見てくる通行人なんて気にしない」──つまり、賑やか、だったのです。

「透明色のシンプルなシャーペン
 私は小説の主人公
 星空色の帰り道
 音がない涙」

 しかし、高校生になるとシャーペンを持つようになり、絵本は小説に変わりました。オレンジ色の帰り道は星空色になり、泣くときは「人目を気にして声を押し殺して泣く」ようになりました。つまり、音がない、のです。

 見事な対比です。

〈第2話 ラムネ〉
 先程触れたように、この章以降は佐藤寧々が主人公です。雨虹みかん様は、なぜキャラクターの視点をわざわざ変えたのでしょうか。

 それは〈番外編 ミルクティーキャンディ〉に繋ぐためでしょう。

 雨虹みかん様はきっと、寧々の美久に寄せる想いが段々と肯定的に変化していく様を書きたかったのだと思います。そうなると、寧々が恋を諦めた描写をした後に、何かしらの形で二人を邂逅させなければなりません。美久と出会っても心臓は鳴らなかった、という描写が欲しいのです。

 そこで、最初の時点で美久が彼氏に振られたシーンを書いておけば、ラストでそこに行き着くことが可能であり、綺麗に「起と結が結ばれた物語」となります。実に上手いです(と考察しましたが、ミルクティーキャンディは創作合宿で書いたものらしいです。水飴で完結のつもりだったそうです)。

 寧々が美久と実質的には初めて出会った第2話では「この鼓動の正体に薄々気付いていながらも、この時の私は、自分の恋心を素直に受け入れることができなかった」と書かれています。つまり、好きを否定しようとしているのです。

 さらに、この章には、何か深い意味を含ませているような描写があります。

「会いたい、と美久に直接言えば塾帰りに会うことはできる。しかし、ラムネのガラス玉を取り出すことができないように、そんな本音は言えなかった」

 雨虹みかん様がお得意の比喩ですね。

 会いたいという本音が言えないことを、ラムネのガラス玉が取り出せないことに例えています。つまり、寧々にとって、ガラス玉は「隠された本音」であると考察しました。

「ある日の授業後、私は教室に残ってラムネを飲んでいた。私はあの日からよくラムネを飲むようになった」

 桜瑪瑙において、寧々はラムネを好きであることを自覚します。「たしかに美久との思い出の象徴でもあるけれど、それ以前に私はラムネのあの味と香りが好きだ」と。

 上記の文章は、その導入と言える心情描写の役割を担っています。

「私は残っていたラムネを一気に全部飲み干した。取り出すことのできないガラス玉がもどかしい。
 やっぱりラムネは恋の味がした」

 好きと認めてしまいたいけれど「自分が同性に恋をするなんて思いもしなかった」から「これは恋ではない、自分に必死に言い聞かせ」るのですが「しかし否定するほど想いは膨らんでしま」います。

 そんなどうしようもない葛藤の波に飲み込まれている寧々の気持ちを、取り出すことのできないガラス玉で喩えているのではないでしょうか。そう、この気持ちは「もどかしい」のです。

 他の女の子と一緒にいてほしくないという嫉妬、友達にも恋人にもなれない想い、どこか惹かれてしまうラムネの味。そういった危うい感情を紡いでいるのが〈第2話 ラムネ〉でした。

〈第3話 砂糖水〉
 美久に寄せる想いも落ち着きを取り戻し「今はただの友達」となった高校生活で最初の夏休み。

 でも、違ったんです。

 一度好きになった相手を、友達だなんて簡単に割り切れません。第3話は、そういう恋の切なさを書き切った章です。

「(前略)~美久は人混みの中で離れないようにと私の右手をつかんだ。右手からびりびりと心臓に電流が流れたような気がした。~(中略)もう今は好きじゃない。そんなことは自分が一番分かっている。なのに電流はなかなか止まってくれない。何かを期待してしまっている自分がいる」

 結局、好きという気持ちを忘れることが出来ていないのに、無理に今は好きじゃないと否定している辺り、寧々は強がりな性格なのかも知れません。僕には、まだ好きであるように映りました。

「さっき手を繋いだ時に心臓から聞こえた鼓動はきっと夏の暑さのせいだろう」

 夏の暑さのせいにすることで、なんとか誤魔化そうとしているのではないでしょうか。寧々の葛藤に胸を締めつけられました。

「人混みに飲まれて手が離れてはぐれたと思ったら美久が二本のラムネを買ってきた。また日記の一行がよみがえった」

 ここの日記の一行とは〈詩 『水飴』〉に登場する「ハート模様のピンクの鉛筆で日記に書いた『好き』の二文字」を指していると予測します。
  
「花火大会はもう終わったのに、まだ鼓動は止まってくれない。~(中略)夏の暑さのせいにはできないことなんてとっくに気付いている」

 夏の暑さというのは言い訳で、寧々にはまだラムネが残っていることがわかります。好きなのです、美久のことが。

「『私が男だったら寧々のこと好きになっちゃうと思うけどなあ』
 『えー? ありがと!』
 私は最後まで笑顔を絶やさなかった」

 どこまでもずるい美久の鈍感さに、寧々は心を動かされてしまいそうになります。しかし、男だったら、ということは裏を返せば、同性同士なら好きにはならないという宣告です。寧々はなんとか笑顔を作っていたのだと思います。

〈第4話 水飴〉
 髪色を染めてからプリンになるまでの時間で高校一年から二年へ進級したことを表現するシーンから始まる第4話。控えめに言って天才ですね。

「~(中略)好きな色が嫌いになるなら最初から透明のネイルにしておけばよかった、と今更後悔している」

 美久に褒められたから水色のネイルを塗る寧々は、まさしく美久を見てラムネを飲むようになった彼女そのものですね。こうして「今でもあの甘い水溶液に翻弄されている」のでしょう。透明のネイル、とはつまり砂糖水のようなものであると推測します。

「ある夜、買い物の帰りに喫茶店の窓越しに美久を見つけた。看板には『Cafe・Bouteille en verre』と書かれていた。美久の向かいに座っていたのは花火大会の日に見せてくれた写真の中にいた彼だった。白いティーカップに注がれた温かそうなミルクティーを飲みながら、楽しそうに彼と話している」

 この描写は〈第1話 ミルクティー〉における高校二年の美久ですね。

「小学生の時に美久とお揃いで買ったハート模様のピンクの鉛筆で、中三の夏に日記に書いた『好き』の二文字がよみがえった」

 前話の伏線回収です。詩にも出てきますが、本文にも出ていました。日記に好きと書けるくらいには、あの頃は美久を想っていたのでしょう。

 そして、彼氏と楽しそうにしている美久を見て、寧々の気持ちは変わっていきます。

「今までは自分の恋心を否定して、見てみぬふりをしていた。でもそろそろ自分に正直になってもいいのではないかと思えてきた。~(中略)大好きな人だからこそ、美久の恋を応援しよう。好きなのに、嫌いになることなんてできない。だったら私は友達として美久の一番側にいよう」

 好きになることを諦めるなんて、出来ないのです。でも、美久には彼氏がいる。美久と友達としての関係を続けることを寧々に決意させたのは、目の前に突き付けられた現実だったのかもしれません。

 ラストは先程も触れましたが、流石でしたね。美しすぎる伏線回収です。雨虹みかん様のエッセイ『雨虹みかんの日記帳』によると「英語にしてしまうと読者が自分の持っている知識で翻訳できてしまう可能性が高くなるので、あえて初見で読めないであろうフランス語にした」とのことです。

〈番外編 ミルクティーキャンディ〉
 清々しい終わり方が印象的な本章は、美久との再会シーンです。

「失恋ソングしかなかったプレイリスト。
 メッセージアプリの美久が入った非表示リスト。
 『失恋』が含まれた言葉ばかりの検索履歴」

 寧々はずっと悩んでいたのですね。そんなことで和らぐはずがないのに、失恋ソングを聞いて感傷的になってみる。好きを忘れるために、もう話さないようにと非表示にする。検索をしてなんとか恋を諦めようとする。そんな日々も「今では全てが遠い昔のこと」です。

「美久と手を繋ぎながら飲んだミネラルウォーターは、炭酸は入っておらず、甘ったるくもなく、爽やかでもなく、色褪せたただの水だった」

 ここでの色褪せた水とは、まさに寧々の内心そのものでしょう。全て、懐かしい思い出となったのです。

 最後には第1話に戻る形の伏線回収があります。本当に素晴らしかったです。

【おわりに】
 感想及び解説は以上となります。

 雨虹みかんは本作を「成長が書けなかった」と評していましたが、そんなことはなかったと、このレビューを書きながら再確認することが出来ました。

 なぜなら、寧々は好きを否定することのない少女に成長したのですから。

〈詩 『ラムネ』〉では「ラムネが私にとって特別なんじゃなくて、君が私にとって特別なんだ」と言っていたのに、桜瑪瑙では

「ミルクティーも、ラムネも、砂糖水も、水飴も、ミルクティーキャンディも、ミネラルウォーターも。

 全部、私の青春だった」

 と肯定できるようになっています。

 最初に、僕はこのように書きました。

「雨虹みかん様は本作で何を伝えたかったのか。なぜ本作は、悪魔的なまでに僕に再読を促してくるのか。雨虹みかん様は、夏という季節に何を見るのか。そして、ラムネに何を見るのか」

 彼女は「好きと言う気持ちを大切にするという大切さ」を『帰り道』に込めたのだと思います。

 寧々が美久にした恋は本物の恋です。思春期特有の揺れる想い、などでは無くて、それは本当の恋情だったのです。女の子が女の子に向ける真っすぐな、ひたむきなまでの「好き」だったのです。

 『帰り道』は夏を凝縮したような物語でした。雨虹みかん様にとっての夏とは、ラムネそのものなのではないでしょうか。ラムネ自体に何かの意味を見出しているのではなく、ラムネを飲んだり、買ったり──その行為が、特別なのではないでしょうか。

 彼女は寧々なのです。いつまでもラムネを愛する少女なのです。

 また読みに来ると思います。ラムネが好きな、あなたが好きだから。