文章に変えられないくらい美しい。

【前置き】
 初めに、僕はここのえ栞先生の作品が大好きです。今回レビューを書く「さよなら花緑青」以外のどの作品も、本当に好きです。その中でも、やはり僕に一番影響を与えてくれた本作に、ありったけの気持ちを込めたレビューを送りたいと思います。

 ただ、そんなに好きなら全ての作品にレビューをすれば良くないか、という話ではあります。もちろんそれは可能です。

 でもそうではなくて、僕がカクヨム甲子園を知ったこの夏、最も強く心を惹かれ、カクヨム甲子園に挑戦するに至るまで感化されたこの作品に、ここのえ栞先生の他作との関連性も織り交ぜながら、総合的にレビューを書きたいと思うのです。また、作品の感想だけでなく、魅力的な作品を書き続ける作家としての「ここのえ栞」先生にも迫っていけたらと思っています。ただ書き連ねても読みにくいだけですので、大まかに段落分けをしました。ところどころ感情が抑えきれていない文があるかも知れませんが、多めに見ていただけると嬉しいです。これでもかなり抑えているので。

【感想】
「さよなら花緑青」を初めて読み終えたとき、僕は涙を流すと同時に、とてつもなく大きな衝撃を受けました。

 まず涙についてです。あの感動を文章にしようと、どう頑張っても、僕の文章力ではとても表しきれません。ひたすら泣きました。ひたすら感動しました。だから、思い出しながら、読み返しながら、じっくりと書いていきたいです。

 初めて読んだとき、主人公(と言っていいのか分かりません。理由は後で書きます)の「私」に感情移入しすぎて、とても一喜一憂したのを覚えています。目まぐるしく変わる場面にとてもドキドキしました。でも、読むのを止められなかった。あまりに綺麗なこの文体をもっと味わっていたいのに、先が読みたくて読みたくてどんどん進んでしまうという、幸せすぎるジレンマに陥りました。

 なので、初めて読んだ際は、文体の美しさというより、内容に涙したのだと記憶しています。特に印象に残っている場面があります。思いを馳せている「彼」と彼の幼なじみの女の子がキスをしているのを「私」が目撃するところです。膨れすぎてしまった好きという気持ちを伝えるために、勇気を出して彼がいるであろう教室に来たのに、そこは「小さなチャペル」でした。一瞬で「場違いな存在」になってしまった私に心打たれました。あまりのショックに座り込んでしまい、愛用の眼鏡の代わりにせっかく入れてきたコンタクトまで涙でぺしゃりとなったシーンは、じんとくるものがあります。

 そして極めて美しい桜の描写と共に、ラストへと向かうのですが、あの最後を誰が予想できたでしょうか。向かってくる男の子は、確かに頬が赤く、男の子の口から出た言葉(正確には言葉ではないかも知れません。これも後で触れます)を読んだ時、涙腺が崩壊しました。クライマックスにかけて徐々に堪えるのが難しくなってきていた涙が、あふれました。

 もうお前何でも泣くやんって思われるかも知れないです。勘違いしないでください。ここのえ栞先生が天才すぎるだけです。普段はこんなに涙腺緩くないです。話を戻します。上手く言えないんですけど、最後のあの締め方は僕の心の中で凄く大きな感動と衝撃をもたらしました。こういうとき、僕は自分の語彙力を憎みます。あんなに心を動かされたのに、それを上手く文章に出来ない。それでも「さよなら花緑青」を読んでいると、不思議とそんな気持ちも和らいできます。言葉に出来なくても、自分の心に芽生えたこの感情は、きっと凄く大切なものだって、気づかせてくれる作品です。

 そうそう、憎むと言えば「冷えた春風を憎むことは傲慢で、落ちた花弁を悼むことは愚鈍だと、頭では分かっていた」という描写がありましたよね! 言い忘れていましたが、今から初めて読んだときの感想ではなくなります。あの描写がとても刺さりました。春風さえ吹かなければ、カーテンが舞い上がることはなかったのです。大好きな彼が他の子とキスをしているなんて”残酷”な光景は見ずに済んだんです。しかし、落ちた花弁は、躊躇なく私に「お前も祝え」と促してきます。それを表現しているであろう鮮やかな心情描写に、思わず浸ってしまいました。

 また、先程書いたチャペルの描写。あそこも凄く好きです。流れや文体が自然すぎて初めて読んだ際はその凄さと美しさに気づけなかったんですけど、あの場面を結婚式に例えているとは……本当に好きです。

 好きと言えば、冒頭の「髪がからかうように頬をくすぐる」も好きです。からかうようにって……思いつきます!? いやもう、えっ、て感じですよ。ここのえ栞先生が同年代と信じたくなかったです。衝撃すぎます。めちゃくちゃ優しい先輩でした。

 あっ、衝撃といえば、まだその話をしていませんでした。最初に言っていたのにすっかり。今から書きます。ちなみに、本作も含め、ここのえ栞先生の作品は綺麗すぎるので、僕がそれについて語り出したら文章が支離滅裂になりがちです。興奮しすぎて。

 初めて読んだときの衝撃は、それはもう凄かったです。何度もその酔いしれるほどの美しさには触れてきましたが「さよなら花緑青」を語るにおいてこの文体に触れないのは「紫人に梔子」を読んでタイトルの意味を考えないのと同じくらい間抜けです。

 まだ読んだことの無い方はぜひお読みください。ここのえ栞先生の「紫人に梔子」という作品です。神です。

 ここのえ栞先生ファンにしか伝わらない例えをしたところで、本題に戻ります。読み終えた皆様ならお分かりいただけたと思うのですが、この作品は描写がえげつないです。本作はカクヨム甲子園で奨励賞を受賞されましたが、今すぐにでも消えてしまいそうな儚い文体が、評価されたのかも知れません。というか、多分そうです。あと、先程書いた通りストーリー自体も神なので、こんな作品出されたら受賞以外ありえません。何の成果も残してないお前が何言ってんねんって話ではありますが、本当にそう思ったんです(本作の構成については後で触れます)。

 あとは、本作がショートストーリー部門に応募されていた作品ということです。というのも、カクヨム甲子園を何も知らなかった僕はとりあえず受賞作ってどんなのだろうって思って読みにいったんです。ショートとロングの違いも全く知らないまま、とりあえず歴代受賞作まとめのページから「何となくショートの方でいいか」という軽い気持ちでショートストーリー部門の方を開き、本作に出会いました。読み終えたとき、しばらく余韻に浸ってから、僕はぼんやりと考えます。「そういえば、俺ショートストーリー部門のページ開いたよな。文字数ってどのくらいなんだろう?」と。

 そして応募要項を確認し、4000字以内ということを知りました。「ん……? ちょっと待てよ、この作品4000字以内なの? え、短くない? 原稿用紙10枚以内って本当に言ってます? 読み終えた時絶対4000の感じじゃなかったよね? 嘘だ、こんなに凄い作品が、読み終えたときのこの余韻が、4000字以内なんて嘘だ」ってなりました。

 ただ、何度確認しても「さよなら花緑青」はショートストーリー部門の奨励賞受賞作品です。これも衝撃でしたね。

 さらに、先に最後の男の子のセリフにも衝撃を受けたと言いましたが、それは今から本作を読み解く過程で触れたいと考えています。

【本作の構成】
 次に、【感想】と重なる部分もあるとは思いますが「さよなら花緑青」の構成について見ていきたいと思います。

 本作には、カクヨム甲子園で受賞した他作品と、決定的に違う点があります。文体の美しさではありません。もちろんそれもそうなんですが「さよなら花緑青」の最大の特徴であり、特筆すべき点──それは、”会話がない”ということです。

 皆様は、初めて読み終えたとき、気づけましたか? 僕は、饒舌しがたい余韻に浸りすぎて、気づけませんでした。

 これには、ここのえ栞先生の絶妙な情景描写や心情描写が絡むと踏み、順を追って見ていきます。

 本作は、卒業式の後、好きだった「彼」に告白をしようとする「私」の一人称視点で進んでいきます。「実を結ばなくたっていい」から「一人静かに忘れ去る」には「大きく育ちすぎてしまった」想いを伝えるため、教室に向かう私には、まだ希望が残されていたように受け取れます。

 しかし、目の前で容赦なく視界を奪う、圧倒的な刹那の出来事に、私は思わず教室を去ります。そして「実らなくてもいい、なんて嘘だ」と自覚するのです。もう、私には希望の欠片も残っていません。

 泣きっ面に蜂とはこのことで、私は階段を駆け上がったところで、彼が拾ってくれたボールペンが無くなっていることに気づきます。落としたボールペンを「春風に溶けた」色と表現することが、私に残った恋心を彼と結ばれた女の子とは対照的な「花緑青」「人の手で作られた偽物の色」と表す隠喩になっています。

 さっきの気持ちは「傷つきたくなくて目を逸らしていただけだった」と、思わず冷えた春風や落ちた花弁に目が移ります。

 立ち上がり確認した硝子に映る自分は「想像以上に酷い顔をして」おり、髪を結ばなかった後悔や、彼が一瞬でもこちらを見てくれたらという願いが、憔悴しきった私を読者に分かりやすく示しています。

 そして、例のラストの場面です。近づいてきた男の口から発せられたのは「──────」というものでした。僕は、小説の最後に印象的な台詞を残して終わる種類のショートショートがあることは知っていましたが、このような幕切れの在り方が!? と驚きを隠せませんでした。何度も読んでいると、この終わり方以外の正解は無いと確信させられます。つまり、究極の完成形なのです。

 このように、本作は澄み渡る情景描写や心理描写が主軸となっており「私」は誰とも会話をしていません(これも後で触れます)。それが、先程、主人公と言っていいか分からないと書いた理由です。間違いなく、僕の中ではヒロインですけどね。

 最後の「──────」という言葉は、明確に何を話しているか書かれていません。なので、先程、正確には言葉ではないかも知れないと書きました。読んだ皆様の解釈に任せていいと思います、という意味を添えてそう表現しました。

「歩き方が何だかぎこちない。頬が、赤い」という様子を見るに、私に好意を抱いているように見えます。僕は、初めて読んだとき、私に対する告白なのではないかと考えました。

 ただ、私は途中でボールペンを落としているので、男の子は好意を隠しながらも拾ったボールペンを渡しているのかも知れません。

 さらに、男の子の正体は分かりません。もしかしたら「彼」なのではないかとも考えましたが、コンタクトを外した私には「クラスメイトだった男の子」と見えたようです。シルエットがぼんやりしていたとしても、好きだと想い続けた「彼」を「クラスメイトだった男の子」とは、思わないでしょう。

 無限の可能性を考え、勝手に楽しくなっている僕ですが、単純に僕が見落としているだけで、前の方に明確な描写があったのかも知れません。

 ただ、それもここのえ栞先生の作品の良さです。そうです、続いては「ここのえ栞」という作家について、その魅力を僕なりに伝えたいと思います。

【ここのえ栞作品の魅力】
 ここでは一人の作家としてのここのえ栞先生に注目してみたいので「先生」を略すことがあると思います。自分なりにかなり時間をかけて悩んだ上での決断です。そもそもど素人の僕が何を言っているのかと、気分を害された方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

 ここのえ栞作品は、本作「さよなら花緑青」や「はつこいの骸」に見られるように、読者の一人一人に違った解釈が生まれることが、魅力です。

「さよなら花緑青」に関しては、僕の読解力不足の可能性が高く、最後のシーンはもしかしたら僕以外の皆様は全員同じ解釈かも知れません。

 それでも、先程も書いた通り「さよなら花緑青」を読むと、自分の心に芽生えた解釈を大切にしたいと思えます。

 ただ「はつこいの骸」の場合、人によって解釈が異なる可能性が高いです。ここのえ栞先生が「言外に伝えるタイプの小説に憧れる」と話していますし、それを書き切ることに成功した作品だと言えます。「はつこいの骸」を読まれた方と是非語り合いたくなります。

 また、自明ではありますが、文体の美しさです。「さよなら花緑青」を語るにおいてそれに触れないのは間抜けと言いましたが、そもそもここのえ栞作品はどれも本当に綺麗で淡いものが多いので、どの作品を語るにしても重要です。作品を初めて読んだ時も、読み返す時も、その文体からはここのえ栞先生の卓越した知性や語彙に関する造詣が伺えます。

 ここのえ栞作品の描写には、色がよく使われています。「橙」は登場頻度が高く、景色をより一層、鮮やかにします。

「はつこいの骸」ではミヤモトの影、「さよなら花緑青」では教室に落ちる彼と彼の幼なじみの影、「椿の庭にて」では老女の嗄れた声の色として、使われています。「廓唄」にも「赤、橙、黄。青、藍、紫」のように多彩な色が登場します。

 さらに、ここのえ栞作品は、その幻のような文体に意識を持っていかれて気づかないことも多いのですが、”残酷”な場面を描写していることが多いです。”残酷”であるからこそ、美しさが際立つのです。

 例えば「紫人に梔子」は必読です。ここのえ栞作品の中では珍しく、ジャンルはSFとなっており、ここのえ栞先生の秀でた発想が遺憾なく発揮された作品となっています。ある種のミスリードを誘い、読者を脱落させないための読ませる工夫も感じられます。

「ただ一人の英雄よ」も非常にその色が強く表れています。色の配置も存分に楽しめます。哀しく、儚い物語です。だからこそ、美しいです。

 次に【本作の構成】のところで書くか迷ったんですが、「さよなら花緑青」の魅力の一つなので、この段落で書くことにしました。

 先程触れた、会話がないということです。僕は創作に詳しい訳では無いので、あまり分からないんですけど、小説では会話やセリフを上手く扱うことで、キャラクターの個性を際立たせることが出来るのかなと思います。

 そういった役割を果たす会話表現を最初から最後まで封じ、情景描写や心情描写、先程書いた展開や構成で勝負した結果、カクヨム甲子園で受賞されたことは、カクヨム甲子園に一つの可能性を示したのではないでしょうか。なぜなら、後にも先にも類を見ないほどの表現力を伴った、純文学の作風を評価されての受賞だと思うからです。「さよなら花緑青」は、今後、純文学でカクヨム甲子園に挑戦する方に、確固とした形で希望を与えました。

 また「さよなら花緑青」は純文学性を備えておきながら、エンターテインメント性も評価しない訳にはいかない作品です。つまり、カクヨム甲子園という舞台でその両方を書くことに成功した点において、完成された作品と言えます。

 最後にはなりますが、ここのえ栞先生の作品は、読む度に必ず自分の中で昇華します。疲れているとき、悩んでいるとき、苦しんでいるとき、ここのえ栞先生の作品を読むと、そこにはとても文章には変えられない感動があり、確かなカタルシスを感じることが出来ます。ここのえ栞先生の魅力が多くの方に届いたなら、幸いです。進化し続けるここのえ栞先生をこの先もずっと追いかけていきたいという、密かな願いを記し、終わりとします。