雨虹みかんという天才

【雨虹みかん様について】
 あなたが雨虹みかん様の作品を読むのは、本作が初めてでしょうか。カクヨム甲子園2022において、最も無駄のない構成と、洗練された文章、文字数。2113文字という短さの中で紡がれた、完成された起承転結。どの文も物語を構成する大事な要素となっており、短編小説の奥深さを知ることが出来ます。

 僕は本作に出会ってから、雨虹みかん様の作品に魅せられ続け、雨虹みかん様が書かれる全ての作品を読んでいます。全作品を何度も読んだ僕だからこそ、送ることができるレビューを書きたいと思っています。しかし、作品を何度も読んだからと言って、作品に込められたメッセージや背景を、自分の中に完璧に落とし込めている訳ではありません。これは断言できます。雨虹みかん様の作品は、そんなに簡単に解釈できるものではないからです。何度も読むから少しずつ分かってくる。何度も読む面白さがある。そういうものだと思うのです。

 今回のレビューでは、作品を解説する際に、雨虹みかん様のエッセイが多数収録された『雨虹みかんの日記帳』を引用させていただきます。また、カクヨム甲子園というコンテストが包摂する文学的要素を基に本作を紐解き、雨虹みかん様の作品の魅力に迫っていければと考えました。同時に、僕自身も、今回のレビューをきっかけに今まで以上に雨虹みかん様の作品を知ることが出来ればと思います。

【文房具コーナーから始まる文通を読み終えた感想】
 レビューというのは、本来は、初めて読んだそのときに書くべきものなのかも知れません。ただ、現実問題としてそれは不可能ですから、たった今、改めて本作を読んだ感想を述べたいと思います。当時の感想も、思い出しながら述べていきます。

 まず、冒頭の一文に、何度も本作を読んでいるというのに、ぐっと心を掴まれました。

「いつの日からか、好きという気持ちを忘れてしまった」

 天才なのだと思いました。雨虹みかん様は天才なのだと。こんなにキャッチーな冒頭を思いつく感性は、僕にはありませんでした。たしかにあのとき、初めて本作を読んだとき、僕は言い表せない痒みを覚えたのです。それは雨虹みかん様の別作品である『帰り道』を読んだ際に、より一層強まりました。後日『帰り道』のレビューを投稿するつもりですので、詳細はそちらで述べます。

 初めて本作を読んだときと言えば……このタイトルに触れないわけにはいきません。僕は本作のタイトルを初めて見たとき、素直に作品を読みたくなりました。文房具コーナーから始まる文通……とても気になるではありませんか。一体文房具コーナーで、どうやって文通が始まるんだ!? というのが、あのとき抱いた気持ちでした。率直なタイトルなのに、予想のできない展開。このタイトルには雨虹みかん様の常人ではありえない感性が詰まっているような気がします。後で本作を解説させていただく際、触れたいと思います。

 そしてやはり、花とマキが初めて顔を合わせる第四話は素晴らしいです。尊いです。

「明日も生きようって思わせてくれるもの見つかりましたか?」

「好きという気持ち」という曖昧な概念について、文字のみで互いに思いを巡らせていた彼女たちだからこそ生まれたセリフ。初対面にしてはおかしなセリフであるのに、二人の間では通じるというところが本当に好きです。

 そして、マキが変に戸惑うことをせずに「見つかったよ」と最低限のことしか言わないところも好きです。名前を聞くシーンにおいても、クールなマキと敬語を使う花の対比がすごく良くないですか!? 

 すいません。えっとですね。テンション戻しますと、実はこの展開は、物語をスムーズに進める効果を発揮している上、練りに練られた巧みすぎるキャラクター設定が関与しています。後で解説します。

 第五話で、連絡先を交換しなくても「何かに引き寄せられるように」会うのも、二人の性格や関係性を暗示しているようで、素敵です。お気づきの方も多いかと存じますが「連絡先は知らない」というこの一文が、後に物語にえげつない深みをもたらします。

「私は寂しいとき、遠回りしたくなるの 」

 このセリフも印象に残りました。雨虹みかん様は、炭酸を飲んだ後に喉に残り続ける甘酸っぱさのように、読者の頭の隅に残る表現をされるのが、とても上手いのだと思います。

 それは第五話の最後の三文にも表れています。

「陸上部に入っているということ。

 犬を飼っているということ。

 文房具コーナーで私から返事が来た日、本当は死のうとしていたということ」

 僕は最後の一文を初めて読んだとき、思わず目を見開きました。この書き方には、雨虹みかん様が意図的に施した工夫があるそうです。後で触れます。(いやもう早くしろって感じですよねすいません)。

 物語は佳境に入ります。マキは文房具コーナーでの花とのやり取りを通じて自分を見つめなおすことが出来るようになり、二人は文通をしていたときのお揃いの黒のボールペンを買いますが、とうとうマキは姿を見せなくなります。望みをかけて書いた「会いたい」という文字が、届く相手がいないために独り歩きをする場面は、切なかったです。

 しかし、物語は予想もしないラストを迎えます。僕は一本の映画を見終えたような感動を覚えました。まるでドラマじゃないですか。

「マキが来なくなったということは、帰り道に遠回りをしなくなったということ。つまり、寂しくなくなったということ」

 もう花はマキに会えないのかな……と思っていたらですよ。

 二人は、お互いが出会うきっかけとなった黒のボールペンで再会するという……。この二人を再会させた雨虹みかん様のセンスに脱帽です。ありがとうございます。

 作品を読み終えた瞬間、僕はある一つの疑問を抱きました。本作は全9話構成であり、カクヨム甲子園ショートストーリー部門史上、最も話数の多い作品です。しかし、文字数は約2000字であり、数少ない超短編でもあります。この二つの事象の間に生じる矛盾は何を意味しているのだろう? 何日経っても、僕の頭にはこの疑問が永遠と残り続けていました。ぼんやりと答えは見えているはずなのに、言語化できないのです。そんなとき、カクヨム甲子園2021及び2022で大賞を受賞されたしがない様が、本作の9話構成について言及されました。以下が、しがない様の見解です(しがない様から掲載許可は頂いています)。

「『文房具コーナーから始まる文通』の形式がなんでいいのか考えていたんですけど多分作中の短いやり取りを読者にも疑似体験させるからだと思いました」

 僕はしがない様の見解に強く共感しました。ふわふわと自分の中で漂っていた、言語化できないもどかしさがすっきり取れて、合点がいきました。

 話を細かく区切り、9話にもわたる構成にすることで、作中における文通をありありとした形に表現する。読者は、一つ一つの話は短いのに話数は多いという点に「文通」というテーマを連想する。この物語は、この構成以外ありえないと思います。9話構成という斬新な、Web小説だからこそ可能な形で工夫を凝らした、雨虹みかん様の感性に唸らされます。

 僕は『文房具コーナーから始まる文通』が本当に大好きです。本作を拾い上げてくれたカクヨム甲子園の審査員の皆様方、ありがとうございます。雨虹みかん様の才能が、カクヨム甲子園によって世に知らしめられたことが、とても嬉しいです。感想を以上とし、解説に移りたいと思います。

【解説】
 本作の奨励賞受賞には、一つ一つの短い文に内包された、雨虹みかん様による多くの工夫や仕掛けが関わっています。それぞれが複雑に絡み合い、連鎖し、繋がり合って、作品の魅力をぐんと引き上げているのです。しかし、冒頭で述べたように、当然一度読んだだけではそれらを汲み取ることは出来ません。雨虹みかん様の作品は、読み返す度に味が出る。毎回、違う味が染み込んでくる。その所以が、今から解説させていただく内容で皆様にも伝われば、幸いです。それでは、先程の感想で「後で触れます」と言及した部分を、一つずつ拾い上げていこうと思います。

 まず、見逃せないのは冒頭です。

 小説の冒頭の重要性というのは計り知れません。物語の世界を示すものであり、読者を物語の世界へと誘うものだからです。とりわけ短編小説では命とも言えるでしょう。

「いつの日からか、好きという気持ちを忘れてしまった」

 この一文は、読者を潜在的に誘導する効果を担っています。この物語は単に文通をする話ではないこと。哲学的な要素を含んだ物語であるかも知れないこと。恋愛要素があるということ。

 好きと言う気持ちを"忘れる"、という些細な違和感を伴う印象的なフレーズが、読者を引き付けるに違いありません。

 それは本作のタイトルからも読み取ることができます。

 小説のタイトルは、その物語を一文で言い表したものです。さらに、読む前にある程度内容が推測でき、先が気になるようなものである必要があります。かと言って、ラノベのような長文タイトルをつけてしまっては、カクヨム甲子園で受賞することは困難を極めるでしょう。ショートストーリー部門は娯楽的な小説が選ばれがちですが、受賞作を全て読めば分かるように、求められるのはラノベではないからです。求められるのは、4000字以内という文字数制限を最大限に活かした、構成が工夫された小説です。

 本作のタイトルはカクヨム甲子園と非常にマッチしています。物語の展開を真っすぐに示しており、非常に先が気になります。同時に、長すぎないため、ラノベ感がありません。完成されたタイトルと言えます。

 雨虹みかん様の作品は『帰り道』『綿菓子みたいな私たち』に見られるように、シンプルであるのに読んだ後にはしっくりくるような、読むたびに自分の中で色が付いていくようなタイトルが多いです。僕もそういうタイトルをつけられるようになりたいと思えました。そういった点において、雨虹みかん様の作品からは良い刺激を受けました。

 次に、キャラクター設定です。

 先程も感想で触れた、マキと花が邂逅する第四話。普通は、一度も"直接"話したことのない人に突然話しかけられたら、驚いたり、戸惑ったりするはずです。それに、花の第一声は「明日も生きようって思わせてくれるもの見つかりましたか?」というセリフです。この二人でなければ生まれないであろう初対面の在り方です。普通は「?」となるはず。しかし、マキは表情では驚きを見せたものの、それを言葉にはせず「見つかったよ」とだけ返しました。花を見て微笑む余裕すらあります。

 この展開は、物語を変に間延びさせることなくスムーズに進める効果を発揮しています。ポイントは、マキの心情を書き込みすぎていないところです。実際、雨虹みかん様も「短編が書きたいからこの作品を書いたのではなく、この作品に合うのがこの文字数だった」と語っています。ほとんどの人がギリギリまで4000字に近づけて物語に深みを与えようとしてしまうところを、そうはせず、テンポよく場面を切り替えていく描写の仕方が、やはりずば抜けているように思います。

 さらに、直後に名前を聞き合うシーンがありますが、注目すべきはこのシーンです。花は「山本花です」と漢字フルネームで名乗っていますが、マキは「私はマキ」と下の名前のみで、しかもカタカナで答えています。この意図は、雨虹みかん様が『雨虹みかんの日記帳』の『制作秘話~文房具コーナーから始まる文通~』において言及されています。以下がその一部になります。

「マキの漢字フルネームを登場させてないのも鍵である。自己紹介をする時に、花は「山本花です」と漢字フルネームを教えているが、マキは「私はマキ」としか言わなかった。漢字フルネームを知らないと、再会できる確率はぐんと下がる」

 物語の先を見据えた、雨虹みかん様の計算された仕掛けが光っています。また、さっぱりとしていてクールなマキと、敬語を使う花のそれぞれの性格をセリフに滲ませることに成功しています。

 小説において、キャラクターの色が最も強く顕れるのは会話(セリフ)です。しかし、4000字以内という文字数制限では、会話を展開しすぎると地の文を書く余地がなくなるため、キャラクターを作りこむことは非常に難しいと言えます。本作はそれを2000字の中で成し遂げています。「単なる二人の人間の文通」にはならずに、濃密な物語へと変容している所以は、ここにあるのかもしれません。

 続いて第五話の「連絡先は知らない」という一文です。この一文は後に二人の再会が難しくなる要素としての伏線になっており、雨虹みかん様がエッセイで解説されています。再び『雨虹みかんの日記帳』より『制作秘話~文房具コーナーから始まる文通~』から一部引用させていただきます。

「高校生になるとみんなスマホを持つようになるが中学生だとスマホを持っていない人も多い。二人にスマホを持たせてしまうときっとLINEやインスタを交換してしまうだろう。すると二人は放課後のあの時間以外でも関われるようになってしまい、放課後の時間が特別ではなくなってしまう」

 スマホを持っていないから、連絡先を交換できなかった。マキがいなくなった花にとっては「もうマキと私を繋ぐものはこの黒いボールペンしかなくなった」。再会は極めて難しい。だからこそ最後の9話が活きるのです。同じ高校に入学する、筆箱を忘れる、二人を繋ぐのはあの黒いボールペンのみ……重なり合った奇跡の先に待ち受けるマキの「久しぶり」。鮮やかなラストを読者の脳裏に刻み込むための巧みな構成は、流石としか言いようがありません。

 第五話の最後も、雨虹みかん様の才能が感じられる文章が続きます。彼女たちが公園で二人だけの時間を過ごし、マキのことが少しずつ明らかになる場面です。

 最後の三文はこのようになっています。

「陸上部に入っているということ。

 犬を飼っているということ。

 文房具コーナーで私から返事が来た日、本当は死のうとしていたということ」

 先程、感想において、この書き方は雨虹みかん様の意図的なものであるということをお伝えしました。

 雨虹みかん様は「文章を追うにつれて段々とマキの深い部分が表れるようにした」と語っています。確かに、よくよく見てみると、陸上部(部活)、犬(家庭)、自殺(心の内)というように、より詳細な情報が三拍子で提示されています。

 加えて、最後に「本当は死のうとしていたということ」を配置することは、読者に先を読ませる仕掛けになっています。当時、読んでいる最中の僕が、えっ? と思わず目を見開いたのは、雨虹みかん様の想定通りだったのかもしれません。まるでマキが文房具コーナーで花に話しかけられたときのようです。マキは驚いた声は出さなかったですが。

 解説はここまでになります。いかがでしたか。『文房具コーナーから始まる文通』の魅力が多くの方に届いていれば、大変嬉しく思います。僕自身も、楽しみながら本作を振り返ることができ、改めてその魅力を再認識できました。

【おわりに】
 末筆ながら、ご協力いただいた方々と読者の皆様にお礼を申し上げます。心優しく引用を許可していただいた雨虹みかん様、しがない様、ありがとうございました。そして、約7000字にもわたるレビューをここまで読んでくださった皆様方、本当にありがとうございました。ここまで読んでくださるということは、本当に『文房具コーナーから始まる文通』が大好きなのが伝わってきて、嬉しい限りです。

【解説】に関しては、拙い箇所も見受けられたことと存じます。一読者として最善を尽くして書きましたが、僕の語彙力では限界があるため、ここまで読んでくださった方は雨虹みかん様のエッセイ『雨虹みかんの日記帳』をぜひご覧ください。本作の解説、本作が生まれたきっかけ、本作に込める想いが詳しく書かれています。僕はこのエッセイを読んで、雨虹みかん様の鋭いメッセージが心に響き渡りました。以下は『制作秘話~文房具コーナーから始まる文通~』の一部です。

「物語の中で、花は「好き」という気持ちを「明日も生きようって思わせてくれるもの」と表現している。これは私、雨虹みかんなりの「好き」の答えだ。「好き」は生きる原動力になる。
 私は今、創作をするのが好きだ。文章を書くのが好きだ。このエッセイを書いている今もすごく楽しい。私はこの時間が好きなんだ、って思える。
 私は花でありマキなのだ」

 僕も、この時間が好きなんだ、って思えました。レビューをあなたに書いているこの時間が。

 雨虹みかん様を心から尊敬しています。作品に鋭いメッセージを忍ばすことができ、比喩が尋常じゃないくらいに上手く、読者の僕さえもあの夏に連れて行ってくれるようなみずみずしい文章を啜る雨虹みかん様を。

 ここから少し個人的なファンレターのようになってしまいますが、レビューなので大丈夫ですよね。

 レビューを書いていたら『雨虹みかんの日記帳』にある『わたし』の文章が思い出されました。

「私がかつて本に救われたことがあるように、私も誰かの心を救いたい

 私の作品が誰かの心に響いてほしい」

 あなたの作品に救われています。あなたの作品が響いています。あなたの作品を待ち侘びています。あなたの作品が、雨虹みかんの作品が、大好きです。

 文フリ東京、楽しみにしています。また僕を感動させてください。次は『帰り道』のレビューでお会いしましょう。それでは。

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