帰り道

雨虹みかん

帰り道

第1話 ミルクティー

 ふと、小学生の時を思い出すことがある。

「暗くなる前に帰るのよ」

 母の言葉と同時に玄関を飛び出し、夕方になったら家に帰る。そんな毎日を送っていたその頃の私は「帰り道はオレンジ色」と信じていたし、「星空色の帰り道」が存在するなんて思ってもいなかった。しかし、いつの日からか、可愛い雑貨屋で買った友達とお揃いのハート模様のピンク色の鉛筆は家の近くのコンビニで買った透明のシンプルなシャーペンになっていたし、図書館で借りる本は絵本から小説へと変わっていた。気が付けば私は高校生になってしまった。


 高校生になった私は恋をしていた。中学生の時から片思いしていた男子に告白されて、夏休み前から付き合い始めた。

 二人きりでお洒落な喫茶店に入るにはまだ早い私たちは、よく学校帰りに自販機で飲み物を買って飲んでいた。私はいつもミルクティーを選んでいた。いつまで経ってもコーヒーが飲めない私を姉はよく馬鹿にしてきたが、そういう時私は必ずこう答えていた。

「甘すぎるくらいがちょうどいいの」


 彼がぎこちなく左手を差し出してきた。右手には彼の手、左手にはさっき買ったホットミルクティー。十二月の夜の寒さと緊張で、繋がれた手はひんやりとしている。

 こんな時、世の中のカップルは「ミルクティーより君の手の方が温かい」なんてことを言うのだろうか。今私がそんな台詞を言ったら嘘になってしまう。左手の方が温かいということは今は秘密にしておこう。初めて嘘をつくときには、きっと私たちはお洒落な喫茶店でカップ入りのミルクティーを飲んでいるんだろうな、と私は想像して微笑んだ。


 付き合い始めてから一年経ち、高校一年生だった私は高校二年生になっていた。

一年前は名前も知らず「お洒落な喫茶店」と呼んでいた「Cafe・Bouteille en verre」は私たちの定番のデートスポットとなっていた。一年前よりも少しだけ大人になった私は気が付けばミルクティーを選ばなくなっていた。今は少し苦いくらいがちょうどいい。一年前はひんやりとしていた繋がれた手も今では温かい。ホットミルクティーよりも温かい、と言ったら嘘になってしまうけれど、そんな可愛い嘘をつける位、私たちは恋人らしくなっていた。


 しかし、そんな幸せな時間は長くは続かなかった。高校三年生になり、お互い受験勉強で忙しくなった頃、彼から別れを告げられた。数秒前まで「彼氏」だった彼は「元彼」になった。

 一人で帰るだけでこんなに心に隙間ができるなんて知らなかった。恋をする前よりも私の心は弱ってしまったようだ。幼く、弱くなってしまった私には「孤独」よりも「一人ぼっち」という言葉が似合う。いや、幼い頃の私の方が強かったかもしれない。きっと小学生の頃の私だったら声をあげて泣いているだろう。しかしここにいるのは人目を気にして声を押し殺して泣く私だ。


 私は急に淡いお砂糖の香りが恋しくなって、「Cafe・Bouteille en verre」を通りすぎて、自販機の前で立ち止まった。ガコン、とぶつかる音が付き合い始めた時の記憶を呼び起こした。どんどん涙が溢れてくる。最後に声をあげて泣いたのはいつだっただろうか。私は気が付けば声をあげて泣いていた。思いっきり泣いてしまおう。私を不思議そうな目で見てくる通行人なんて気にしない。どうせ涙で滲んで周りなんか見えていないから。

 一人ぼっちの帰り道に見上げた空はオレンジ色をしていた。

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