存在を継承する一族

海沈生物

第1話

 祖父が死んだ。祖父とは幼い頃に一度話したことがあったきり、以降は一度も話したことがない関係性だった。俺にとっての祖父は「家族」というより、まさに「他人」とでも表現するべき人だった。

 そんな俺と繋がりの薄い祖父であったが、俺が祖父に対して「無関心」であった一方、祖父は俺に対して多少なりとも「関心」があったらしい。どんな「理由」があってのことか不明だが、祖父は所有している膨大な金額のお金を母親や親類に分配した一方で「甥である翔太に、この屋敷の”全て”を任せる」と遺書に書いていたらしい。「らしい」というのは、その遺書が読まれた祖父の葬式に俺は出席していなかったのである。その時の俺は社員さんにコロナになってしまった(これはもう仕方ない)ことで大忙しになった職場に忙殺されていた。なので、そんな「無関心」だった祖父の葬式など、二の次でしかなかったのだ。


 さてどんな「理由」か祖父の屋敷を譲られてしまった俺だが、生憎その屋敷は山奥にあって交通の便が悪かった。周囲には一時間車を走らせた圏内にしかコンビニもスーパーもなく、その山では巨大な「化け物」の出没情報もあった。今の職はリモートワークができるものではないし、いざ病気になって倒れた時に電話で呼んですぐに救急車がやってきてくれない山奥になど住みたくなかった。


 そんな様々なネガティブな「理由」が重なったこともあり、俺はその屋敷と土地を不動産会社に売ることにした。しかし、母親から「売るのは構わないけどさ。アンタみたいな”無関心”な人間にあの屋敷を相続させたのは、何か大切な”理由”があったんじゃないのかしら」と屋敷を見に行くことを妙に強く勧めてきた。

 正直仕事が忙しいのでそんな山奥の屋敷なんて場所になんて一切行きたくなかった。しかし、俺の弱点をよく知っている母親から「見に行ってきてくれたら、一万円あげるわよ」と金銭をちらつかされると、俺の心はいとも簡単に逆方向へと傾いた。

 二つ返事で了承すると、早速父親の車を借りて、山奥にあるという祖父の屋敷へと向かうことに決めた。



# # #


 

 屋敷にやってくると、思った以上のデカさに腰が引けてしまった。「高い」建物など都会の高層ビルやスカイツリーで見慣れているつもりだった。ただ、その屋敷はそのような「高さ」とはまた異なった、「威圧感」のある……とでも表現するべきオーラを纏っていた。

 俺はそんなオーラを纏った建物に身体をびくびくと震わせながらも、こんな建物も売ってしまえば更地にされ、ただの土地になってしまうんだな……と思って、寂寥せきりょうを感じていた。


 古びたドアの鍵穴に母から受け取ったカギを差し込むと、押して中へと入る。すると、目の前の暗闇の中に甲冑がいた。思わず「わああああああぁぁぁぁ!」と叫んで尻餅をつくと、その叫んだ一瞬の内に甲冑の姿は跡形もなく消えていた。

 今のは、一体何なのか。現実であるのか、あるいは無意識に抱いていた屋敷に対する恐怖が質量のある幻覚という形で見えてしまったのか。俺は自分の目を擦って広いエントランスの中に誰もいないことを確認して立ち上がると、母から押し付けられた屋敷の見取り図をポケットに入れていたスマホのライトで照らす。

 その見取り図によれば、二階建てのこの屋敷は九の部屋によって構成されている。一階の「トイレ」「食堂」「キッチン」「使用人部屋」「倉庫」、二階の「旦那様と奥様(祖父と祖母)の部屋」「〇〇様(母)の部屋」「書庫」「お客様の部屋」の合計九部屋である。


 ミステリーでよく見るような部屋の見取り図だなと思いつつ、見取り図の中に「隠し部屋」なようなものがないことに気付いて落ち込む。それはそうだ。ここは現実でしかなく、ミステリーやホラーの現場ではない。さっきの甲冑みたいな幻覚を見ることがあったとしても、殺人が起こる可能性はない。それは大して面白いことなんて起こらないよな、と溜息をつく。


「縺ゥ縺?@縺溘??」


 背後から聞こえたのは、頓珍漢な音が鳴った時のリコーダーみたいな声だった。思わず振り返ると、そこには遠い昔に死んだはずの祖母が。しかしそう思った数秒後には、(祖父の死の数年前に亡くなっているのだが)寡黙だった父親の姿に。そして、ついには俺と瓜二つの存在に

 七変化するその「存在」に対する恐怖で、思わずまた尻餅をついた。じぃーと俺を睨んでくるその「存在」に対して「悪霊退散っ!」と叫んだ。しかし、その「悪霊」がこの場を立ち去ってくれることはなかった。地面に両手をついてわなわなと震える俺を見下げると、もう一人の「俺」はニコッと笑う。


「菴戊ィ?縺」縺ヲ縺?k縺ョ?」


「こ、殺さないで……な? 俺はただ、一万円に釣られてここに来ただけというか……その、すまん! 俺が悪かった! 悪かったから、呪い殺さないでくれ!」 


 「殺されたくない」という感情が先走った焦りから、自分でも自覚できるほどに言っていることがしどろもどろになっていく。開いていたはずのドアが「ガシャン」と閉まる音が聞こえると、俺はもうダメかと思った。このままこの悪霊に身体を八つ裂きにされ、屋敷の庭に穴を掘られて埋められてしまうんだ。そうして、俺の身を案じて様子を見に来てくれた人たちも同じように殺して、殺して、そして……それで……


「諤悶′繧峨↑縺?〒」


 もう一人の「俺」は尻餅をつく俺に近付くと、突然ギュッと抱きしめてきた。自分であって自分ない存在に抱きしめられるなんて、こんな変なことが人生であるのか困惑していた。ただ、そんな「抱きしめる」という行為によって、段々とそのもう一人の「俺」が、俺対して敵意がないことを理解してきた。

 俺の身体で俺の額に軽くキスしてくるのに悪寒を感じていると、不意に俺好みの「中性的な女性の姿」に変わった。これは……慰めてくれている、ということなのか。

 俺はそんな「存在」の優しさに気付くと、不意に笑みが漏れてきた。


「ありがとう、えっと……名前は」


「菴戊ィ?縺」縺ヲ縺?k縺ョ?」


「えっと……人間に発音できるように、とかできない?」


 その「存在」は俺を抱きしめたまま、少し悲しそうな顔をして頭を横に振った。俺の好みの顔でそんな悲しそうな顔をされると、思わず俺まで悲しくなってしまう。どうにか意思疎通をしてあげることができないか。考えていると、ふといつか一度だけ祖父から俺に対して言われた「言葉」を思い出す。


『いつか、お前は俺の死後に”見えざる存在”に出会ってしまうかもしれない。その時にはきっと、同じ”言葉”を使うことができず、コミュニケーションに困るだろう! しかし、そのような。そもそも、原初の人間は』


「……”言葉など持っていなかったのだからな!”、だっけ。そうだよな! 俺はできる人間だ! お前とだって”意思疎通”を取ることができるっ!」


 そんな「勢い」に任せて、俺は小一時間その「存在」と会話を重ねた。会話といっても、「言葉」によるコミュニケーションではない。お互いに「なんとなく分かる」共通のものであった「ジェスチャー」を駆使して、なんとか「意思疎通」をできるレベルまでこぎつけた。

 その頃には俺もその「存在」も、お互いの顔を見れば「今、俺と同じように疲れているのかもしれないな」みたいなことが少しだけ分かるようになっていた。俺の心は「原初の人間にできたことなのだから、今の俺にだってできるんだ!」という「自信」に満ちあふれていた。


「そういえば、お前は疲れてないか?」


「菴戊ィ?縺」縺ヲ縺?k縺ョ?」


 俺は少し考えると腰を曲げ、ぜぇはぁと息をついているジェスチャーを取る。今までのようにこれは分かってくれるかと思ったが、その「存在」は笑うばかりで、うんともすんとも答えてくれない。これは……「疲れない」と考えるのが正解なのだろうか。あるいは、ただ俺の意図が伝わっていないだけで、本当は「疲れる」のだろうか。

 小一時間もジェスチャーをしていた反動もあり、俺はもう考える思考能力を失っていた。どっちでもいいか。……いや、そもそもどうしてこの「存在」と”意思疎通”を取る必要があるのだろうか。俺はこの屋敷に、売れそうな金品がないのか調べに来ただけの人間である。わざわざ、この「存在」に対して付き合う義理は一切ないし、金品がないのならさっさと撤収するべきだ。家に帰って母親から一万円を報酬として貰える方が、合理的に考えれば絶対に良いだろう。


「……もう、


 そう徐に呟いた時、ふと俺の近くで笑っていた「存在」の笑顔が消えた。その「存在」は入口だけではなくあらゆる部屋ドアの鍵を摩訶不思議な力で閉めてしまうと、その「存在」は中性的な女性から形を変え、巨大な猫が現れる。その猫は尻尾が二又になっていて、またまた恐怖から尻餅をつく俺に対して、鋭い眼差しを向けた。


「蟶ー縺」縺溘i谿コ縺!」


 その言葉が何と言っているのかは分からなかった。ただ、強い殺気に満ちた表情をしていることが分かった。ただ、そんなことが分かったところで、どのような意味があるのだろうか。その巨大な猫は巨大な肉球で俺をその場に叩き付けると、「縺薙%縺ォ谿九k縺九≠縺ゅ≠縺ゅ=縺√=縺√=!」と鼓膜が裂けそうなほどの甲高い声で叫んでくる。抑え付けられていた俺は、もう意味なんて考えている余裕はなく、ただ呆然と「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と泣きそうな顔で謝り続けていた。


 こんなに謝ったのなんて、幼い頃にだった父親の頬を事故で殴った時に、血走った目の母親から「もうアンタなんか、うちの子じゃありません」と本気で怒られた時ぶりだろう。俺はまるで「神」のような存在と相対しているような気持ちでひたすら謝ち続けていると、いつしか巨大な猫の手から解放された。そうしてまた、俺好みの中性的な女性の姿に戻った。

 また笑顔を取り戻した「存在」の姿にホッとしながらも、ふと館の二階へと上る階段の所に歴代の俺の家の当主の絵が飾られていることに気付いた。その中にはもちろん、俺の曾祖父や祖父の絵がある。しかし、そこにはあるべきはずの「父親」の絵がなかった。代わりに、「母親」の絵が飾られていた。そして、その次。絵なんて描いてもらった記憶がないのに、その後に「俺」の絵が飾られていた。

 ふと「存在」の方を見ると、いつの間にか笑うのをやめていた。そして、俺の手を掴んで軽くキスをした。そして、ニコッとまた笑ったのだった。

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