下
津堅さんが所属している桃原公房は、裏手にエメラルドグリーンの海を臨む場所に建っていた。
制作物を売っているスペースに足を踏み入れて、受付の女性に自分の名前と訪問理由を伝えると、彼女は奥の方に引っ込み、初老の男性と共に戻ってきた。
「古崎さん、ようこそいらっしゃいました。桃原です」
「どうも。今日はよろしくお願いします」
よく日に焼けたその男性は、温かな笑顔で僕を歓迎してくれる。
それは嬉しいけれど、津堅さんはどうしたのだろうか? という不安が胸を過ったところで、工房長の桃原さんが説明してくれた。
「すみません、侑美は、急な用事が入って、ちょっと遅れるそうです」
「そうでしたか。構いませんよ」
急に会う約束を取り付けたのはこちらの方だったので、申し訳なさそうにぺこぺこする桃原さんを安心させるように、笑顔で返す。
津堅さんが来るまで、ここの作品を見学しながら待っていようかなと思っていたら、桃原さんから思わぬ申し出があった。
「侑美が来るまで、うちの工房を見学しませんか?」
「え、でも、お邪魔なのでは……」
「いいえ。見られながら作るのは、皆慣れていますから」
「では、お言葉に甘えて……」
琉球ガラスの作り方について、僕は見たことが無かったので、良い機会だった。桃原さんの後に続いて、彼が出てきたドアをくぐる。
一歩足を踏み出しただけで、熱が僕を包んだ。見えている窓は全て全開になっているようだが、あちこちで燃えている窯の火が、工房全体を温め続けている。
まず、一つの窯に原材料となる珪砂や石灰などを入れて、混ぜ合わせる。この作業には、一晩をじっくりかけるという。
続いて、熱で真っ赤になった琉球ガラスの元を、筒状の道具で形を丸く整える。玉のような形に出来るまで、何年もの訓練が必要だという。
その後に、ガラスを筒状の鉄の棒で吹いて、形を整える。これは、僕も映像や写真などで見たことある作業だが、新人だと専用の型を使っているらしい。この工程と、窯に入れる工程を何度も繰り返す。
想定通りの形に出来たら、棒とガラスを切り離すためのくびれを付けたり、ヘラなどで棒の付いていない底に当たる部分を平らにしたりする。この時点で、ガラスは冷えてきていて、真っ赤な色から完成形の色になっている。
だけど、これで完成ではない。今度は、熱したガラスが先についたもう一つの竿を底に付けて、反対側の口になる部分と切り離すと、もう一度窯に入れて固くなっていた口の部分を柔らかくする。
さらに、鉄製の大きなピンセットのような道具で、柔らかくなった口の余計な所を切り取り、形を整えていく。作るものによっては、この後に刻印を入れることもある。
最後に、「徐冷炉」という四角い箱のようなものに入れて、一晩を掛けて冷やしていく。「徐冷」という名前が付いているけれど、中身は五百度以上ある。ゆっくり冷やしていくのは、琉球ガラスが熱湯に入れると割れてしまうからだという。
桃原さんは、中に入っていた作品を一つ、取り出してみた。それは、透明を下地に青い色が鮮やかなグラスだった。自然に生まれる罅割れも気泡も、個性の一つとして残しているのだと、桃原さんは説明してくれた。
琉球ガラスの工程や、その桃原さんの言葉を訊いてから、余計に「ガラスのリノウ」への謎が深まっていく。津堅さんは、どうして一般的な琉球ガラスのイメージとは逸脱した作品を作ったのだろうか?
そんなことを考えている時に、桃原さんは僕の後ろの方を見て、「ああ」と声を零した。振り返ると、裏口のドアから、写真で見た津堅さんが中へ入ろうとしている所だった。
「桃原さん、ごめーん! 出発前に色々あって……」
「いいよー。古崎さんも、ここで琉球ガラスの勉強できたからねぇ」
「あ、そうです、ありがとうございました」
そう言いながらも、僕は津堅さんの方に目が釘付けになっていた。津堅さんは、小さい女の子の手を引いていたからだった。
その女の子は、純粋な瞳で、津堅さんのことを見上げていた。
「ママ、お仕事?」
「違うよー。今日はあのお兄ちゃんとちょっとお話するだけー」
「凛ちゃん、おじちゃんと海で遊ぼうか?」
「わーい!」
「桃原さん、お願いします」
女の子は桃原さんに右手を引かれて、左手は津堅さんに振りながら、工房の外の浜辺へと歩いていった。まさか、津堅さんが子連れで現れるとは思っていなかったが、娘を見送る穏やかな横顔を見ていると、「お母さんなんだなぁ」という月並みな感想が出てくる。
そして、彼女は僕の方に改めて向き直った。はにかんだ笑顔は、彼女を女学生くらいに若返らせた。
「お待たせしました。裏の方に、テーブルと椅子があるので、そこでもよろしいですか?」
「はい。いいですよ」
僕らも、工房の外へ出る。津堅さんの娘が桃原さんと、貝殻を拾いながら歩いているのが見える。
お互いの緊張をほぐすため、テーブルに着いた僕は、目の前の津堅さんの子供の話題を口にした。
「こういう自然がたくさんある場所で子育てできるのは、良いですね」
「いやー、そう言ってもらうのはすごく有り難いんですけど、不便なことも多いですよ? 病院やスーパーが結構遠いですし……」
津堅さんは苦笑交じりで返す。それは謙遜ではなく、本心のようでもあり、自分が迂闊なことを言ってしまったのではないかと後悔する。
気を取り直して、僕は自分自身のプロフィールを話す。画家として、沖縄の自然を題材にして描いていることを、自分のホームページの作品を見せながら、説明する。当然、今のスランプ状態については黙っていた。
「……その時に見た、津堅さんの作品が気になって、一度お話してみたいと思ったんです」
「ああ、『ガラスのリノウ』のことですね」
「それです。名前の由来を知りたくて」
僕は、高鳴る胸を何とか抑えながら、津堅さんの言葉を待った。
「リノウというのは、英語が由来の造語です」
「造語、ですか」
「ええ。無理にスペルを当てるとしたら、もう一度という意味のREに、知るという意味のKNOWですね。意味合いとしては、『温故知新』です」
「なるほど……」
頭の中で、「RERNOW」というスペルを浮かべてみる。「もう一度、知る」――確かに、温故知新と訳することが出来るだろう。
考え込んでいる僕に対して、津堅さんはにこにこしながら「古崎さんは知っていますか?」と尋ねてきた。
「琉球ガラスのルーツの一つに、米軍が出した空き瓶を加工したものというのがあるんです」
「そうなんですか。意外と新しいんですね」
「ええ。何もかも失った沖縄が、新たな工芸として立ち上げるために、捨てられた瓶を使ったんですよ」
「……」
津堅さんの言葉は穏やかで、顔も笑っているのに、僕は、何か責められているような気持ちになった。真っ直ぐな瞳は、僕を、いや、その奥にいる全てを、射抜いているような気がする。
告白してしまうと、僕は沖縄の歴史について、さほど詳しくない。むしろ、知るのを避けていた部分がある。この島の自然を描くにあたって、歴史の背景はノイズのように思えたからだった。
「米軍統治下の琉球ガラスは、今の形とは全く逆で、溶かした瓶に罅や気泡ができるだけは入らないように加工していくのが、高度な技術だったんです。それでも、廃瓶を使っている以上、不純物は入ってしまうものなんですが……。
あの作品は、敢えて、アメリカのソーダの瓶を加工して、作りました。当時の資料を漁って、出来るだけ製造方法も再現しました。でも、私の腕がまだまだなので、気泡がちょっと入ってしまいましたね」
「どうして、昔と同じような作り方にしたのですか?」
僕の質問を受けて、津堅さんはため息を吐き、肩の力を抜いた。目線は、工房が面した海に注がれる。浅瀬のエメラルドグリーンが、沖に行くにつれて段々と深い青色へと変わっていく、グラデーションが美しい海だ。
だけど、僕は、彼女が自分と同じ海を見ているとは思えなかった。常に変わらない海は、その一方で、沖縄の激動の歴史を内包している。
「子供が生まれてから、沖縄の現状について考えることが多くなりました。この島は、いつでも岐路に立たされています。そんな時、自分と同じガラス職人が、昔、どんな風に生きていたのかを知ろうと、色々調べて、彼らの手法を再現したいと思いました」
「……大変だったでしょう」
「ええ。失われかけたものを掘り起こすのは、とても大変でしたよ。完成しても、満足できる出来ではありませんでしたから」
津堅さんはそう言って笑う。それは、無理をしたものではない、零れ落ちたような笑い声だった。
「でも、一番反対したのは、桃原さん以外のガラス職人でしたね。こんなことをしても意味はない、もっと観光客にウケるものを作らないとって」
「そんな……」
「それを、古崎さんが見つけてくれて、嬉しかったんです。自分の挑戦は、誰かに届いたんだって思って。ありがとうございました」
津堅さんが頭を下げる。それに僕は慌てた。まず、お礼を言わないといけないのは、こちらの方なのに。
「いえ、僕の方も、色んなことを学びました」
僕も心からお礼を言う。津堅さんは、自分が目を背けてきたものを指摘しただけではなく、それと向き合うことを教えてもらえた。
「よろしければお土産を」と言って、津堅さんは立ち上がった。僕は、流石にいただくわけにはいかないので、お金を出すことを譲らない。
そんな二人のやり取りを見ていたのか、津堅さんの娘が、両腕に貝殻をいっぱい抱えて、走ってきた。その後ろを、桃原さんがゆっくりと歩いてくる。津堅さんは、振り返ると屈み込み、両手を広げて、それを待つ。
津堅さん親子が抱き合うのを、僕は温かな気持ちで見ていた。二人の笑い声が、波音に交じって、鼓膜に届く。
□
この前とは時間を変えて、あの森の中のガジュマルへと向かった。何度か通った道を潜り抜けて、ガジュマルの巨木と向き合う場所へ着いたのだが、僕は思わず「ああ」と声を漏らしていた。
木が逆光になってしまっていた。太陽の白い光を受けて、完全な陰になってしまっている。
幹も葉も全て真っ黒で、これでは何の木だか分からない。スランプ中で、あまりえり好みできる状況ではないのだが、流石に角度を変えてみようと、キャンバスを持ったまま、ここから動こうとした。
ガジュマルは根っこが大きく出る形で根付いているので、キャンパスが置けるように、僕はそこから距離を取った平らな地面の上に立っていた。ふと、その今の立ち位置に目を落とした時、ガジュマルの木の影が、僕の足に掛かっているのが見えた。
バチッと、頭に電流が走るような感覚がした。インスピレーションだ。その焦げた匂いを嗅いで、僕は冷静に思う。
縦横無尽に枝を伸ばしていたガジュマルの木の影は、地面に落ちていても、その形はそのまま保っている。そこから降りる気根も一緒に、黒く地面に刻まれている。
その樹影が、僕の足を絡め捕ろうとしているように見えた。この木が見続けてきた歴史を、その暗黒を、僕の方に引き摺り込もうと、あるいは、注入してしまおうと。
沖縄の、美しい部分しか見ていなかった。そこしか描きたくないと思っていた。だけど、沖縄で暮らしながら、描いていくのなら、そんなスタンスでいいのか? あの日見た、津堅さんの瞳が問いかける。
僕は、自分のすぐ真横にキャンパスを置いていた。鉛筆が、別の生き物のようにスムーズに動く。樹影の形を、全てきり抜いていしまおうと、張り切っている。
自分が戻れないことが分かっていた。脂汗が出てくる。しかし、強く興奮していた。自分に描けるものは、いや、自分が描きたかったものは、これだったのだと。
神々しい逆光が生み出た、地の底のように黒い樹影を、僕は歯を食い縛って、流れ続ける汗を拭わずに、描き続けていた。
逆光の樹影、ガラスのリノウ 夢月七海 @yumetuki-773
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