逆光の樹影、ガラスのリノウ

夢月七海


 目の前に立つのは、ガジュマルの巨木。絡まり合った何本もの幹や、頭上を覆う緑の葉、枝から垂れ下がる髭のような気根。どこを見ても、美しく、心が奪われる木だった。

 この木を描きたい。そんな気持ちに突き動かされて、鉛筆を握る。その気高い命を、この場所に立ち、見つめてきた歴史を、この筆で、写し取ってやる。脅迫めいた使命感に、僕は腕を必死に動かす。


 凸凹とした幹の重量感を、生き生きとした丸い葉を、青空を掴もうと伸ばしている細かな枝を、風に揺れる頼りない気根を、全て、完璧に描きとっている。その自負は確かにあった。

 ……次の瞬間、僕はキャンパスを真っ黒に塗り潰していた。スケッチは殆ど完成している。第三者が見たら、悲鳴を上げるようなバカげた行動だと分かっている。それでも、ぐしゃぐしゃと不規則に動く手を止められなかった。


 沖縄に移住して、もうすぐ一年。画家として身を立ててから、初めてのスランプに、僕は陥っていた。ガジュマルの木の絵が真っ黒になり、キャンパスに何があるのかが分からなくなってしまったのを眺めて、僕はため息を吐いた。

 どうして、この絵が気に入らないのかが、自分でも分からない。完成度で言えば、とても高い部類に入るスケッチだった。ただ、何かが足りない。


 約一年前、東京に住んでいた頃、とあるコンペで和宇慶わうけというカメラマンと出会った。変わった名字の彼は、沖縄から上京してきたばかりだと語っていた。

 様々な景色を見て、それを切り取れるようなカメラマンになるのが彼の夢だった。故郷のことを嫌ってはいないが、その為には、沖縄で留まり続けるのはいけないと思っていたのが、上京の理由だという。


 僕は、密かに彼の話を鼻で笑っていた。東京生まれの僕にとっては、あんなに美しい自然に囲まれた場所を捨てるなんて、ありえない選択だと思ったからだった。

 それならば、僕が代わりに沖縄の風景を描こうと思った。自分でもびっくりするくらいの行動力で、僕はすぐに沖縄へ引っ越した。


 沖縄の全てが、僕に素晴らしいインスピレーションを与えてくれた。ここで描いた絵は高い評価を得て、自分史上最高額で売れて、僕はこの選択が間違っていなかったのだと満足した。

 ただ、沖縄の芸術家からの評判は、芳しくないものだった。「綺麗」「素晴らしい描写力だ」とは言われるものの、作品の思想については言及されない。それが、ずっと気になっていた。


 それを見返したくて、必死になっていたのだが、それが迷宮に入っていくように、僕を惑わせていった。何を描きたいのか、どうして描きたいのかが、分からなくなっていく。

 森の中を散歩している時、開けた場所に立つこのガジュマルの巨木を見た時は、心が躍った。これを描きたいと、間違いなくそう思ったはずなのに、キャンパスに写し取った瞬間、ガジュマルの木は死んでしまったかのように黙り込んだ。


 初めてのスランプに、僕は困惑し、恐怖していた。画家仲間は、「スランプは誰にでもあるものだよ」と慰めてくれるが、自分の不安が上手く言葉に出来ない分、充分なアドバイスは得られなかった。

 ガジュマルの木に背を向けて、家路に向かう。これ以上描けないのだから、こうするしかないのに、まるで何かから逃げているかのように、居心地が悪かった。






   □






 とあるギャラリーで、伝統工芸品の展覧会があると小耳に挟んだ。二十代から四十代までの、比較的若い作家たちによる、ジャンル無関係の合同の会だという。

 近所だったこともあり、行ってみようかと軽い気持ちで思った。スランプの今、気晴らしになるかもしれない。もしもこれが絵画の展覧会だったら、突出した才能に打ちのめされる可能性があるが、工芸品には無頼漢だから平気だろう。


 初めて訪ねたそのギャラリーは、思ったよりも手狭で、その割にはたくさんの作品が飾られていた。こういう場所には作者が同席しているものだが、ここではその姿が見えない。きっと、作者がいない分、作品の数を増やしたのだろう。

 紅型、やちむん、芭蕉布など、名前しか知らなくて、作り方も見当のつかない工芸品を、一品ずつ眺めていく。どこがどう新しいのかが分からなくても、全ての作品から、何かを変えてやるという瑞々しいエネルギーを感じた。


 ギャラリーの奥の方に、こじんまりとした琉球ガラスのコーナーがあった。すぐそばの窓から入ってきた太陽光に照らされて、それぞれ光り輝いている。そのような展示方法のためか、この中の一つの作品に目を惹かれた。

 ここにある琉球ガラスのグラスの殆どは、僕もイメージしている鮮やかな青色で、気泡が入っていたり、一部が白く曇っているというデザインだったが、その作品はとてもシンプルだった。ちょっとくびれがある以外は、薄い緑色なだけのグラスで、気泡もとても小さなものが、ぽつぽつと入っているだけだった。


 琉球ガラスは触れることが出来るので、僕はそれを手にする。手のひらに収まるほどの大きさで、他のと比べると小さめのグラスだが、口周りは分厚くなっている。ずっしりと重たいのは、琉球ガラスの特徴の一つなのかもしれない。

 札によると、タイトルは「ガラスのリノウ」だった。作品の紹介文などが無いので、「リノウ」というのがどういう意味なのかが分からない。僕が知ることが出来たのが、「津堅つけん侑美ゆみ」という作者名と所属している工房名だっただけだった。


 そんな謎だらけの作品だからだろう。僕は、「ガラスのリノウ」のことが気になって仕方なくなった。

 「リノウ」とは何だろう? 他の作品と比べると、殆ど共通点が無いのだが、これも琉球ガラスなのだろうか? どうして、ここまで没個性的な作品にしたのだろう?


 「ガラスのリノウ」に込められた思想の部分が、気になって仕方ない。ギャラリーから出てから、すぐ「津堅侑美」と工房名をネット検索してみる。

 まず、東シナ海を望む位置にあるガラス工房がヒットした。そのホームページの所属する職人の一覧に、津堅さんの顔写真を発見する。僕と二三歳ほどしか変わらない二十代の女性のようだ。


 工房に電話をしてみたところ、代表である桃原とうばるさんが電話を取った。初老の男性の声に、僕はビビりながら話をしたが、「ガラスのリノウ」を作った津堅さんに会ってみたいと伝えると、あっさり許可を得た。

 土日は工房は見学者が来るため忙しく、僕の訪問は三日後の水曜日に決まった。電話を切って、自分が思ったよりもドキドキしていることに気が付いた。


 一つの作品のことを、突き動かされるかのように、深く知りたいと思ったのは随分久しぶりのことだった。プロとしてお金をもらうようになってからは、他者の作品も全て自分のライバルのように感じて、何の色眼鏡を付けずに見られなくなっていた。

 だけど、「ガラスのリノウ」との出会いが、僕の何かをきっと変えてくれる――。大袈裟なようだが、純粋にそう思っていた。




















































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