あやかし夜祭り(六)

 ぶるぶると震える河太郎の手と、緊張で引きつる河太郎の顔を、人間はじっと見つめていましたが、やがて、河太郎から金を受け取って、徐に立ち上がりました。

 机の下からつるつるの透明な袋を一枚取り出し、タライの中のキュウリを選んでは次々に袋へ入れると、河太郎の前にしゃがみこみます。

「毎度あり」

 差し出された袋には、大きなキュウリが四本も入っていました。

 ぽかんとしながら、河太郎が渡されるままに袋を受け取れば、ずっしりとした重みで腕ががくんと下がるほどです。

「こんなに?」

 人間は河太郎の疑問には答えず、ただ、優しく笑いました。

 隠れ蓑を引き寄せ、河太郎にすっぽりと被せると、彼は河太郎の甲羅を蓑の上からぽんと叩きます。店の前へよろけ出た河太郎が慌てて振り返ると、人間は片手をひょいと上げて見せました。

「来年も来てくれよ。勇気ある河童くん」

 目を丸くした河太郎の横から、人間の群れがぞろぞろと押し寄せて来て、河太郎はぶつからないように咄嗟に後ろへ飛び退ります。

 道を戻ろうとしても、次々とやってくる人間たちの波に呑まれ流されるうちに、いつしか、河太郎は鳥居の前へと戻ってきていました。

 先程の店がどこにあるのか、河太郎にはもう分かりません。結露した袋の口をぎゅっと握りしめて、河太郎は参道の真ん中で立ち尽くします。

 ほんの数歩向こうに広がっている祭りの景色は、まるでもう、遠い別の世界のもののようでした。




「遅ぇ」

 倒れた石灯籠いしどうろうにどっかりと腰を下ろし、短い脚で地面をぱたぱたと叩きながら、平吉が苛立たしげに呟きました。天彦も落ち着きなく、辺りをうろうろと歩き回っています。そんな天彦を鬱陶しそうな目で眺めながら、再び平吉が零します。

「あいつ、一体どこで油を売ってやがるんだ」

 河太郎が肝試しに出発してから、どれほどの時間が経ったでしょうか。どれだけ待っても、森の向こうにしつこく目を凝らしても、小さな河童の姿は一向に認められないのです。

 ガサリ、という物音に平吉と天彦が反射的に首を回せば、草の間から浮かない顔を覗かせた風子が、申し訳なさそうに肩をすくめます。

「こっそり祭りを覗いてみたけど、どこにも見当たらないわ。もっとも、隠れ蓑を着ていたら見つけようが無いけど」

「姿は見えずとも、どうにか匂いで探せないのか」

「無理よ。そこら中に色んな匂いが溢れてるんだもの」

 首を横に振る風子に、天彦は「そうか」と力なく項垂れて、焦れったそうに言いました。

「品が買えなかったなら買えなかったで、すぐに戻ってくればいいものを」

「臆病者だとかって、平吉が意地悪ばかり言うから、手ぶらじゃ帰れなくなっちゃったんじゃないの」

 ぎろり、と風子に睨まれて、平吉はばつが悪そうに顔をしかめました。しかしやがて、口の端を曲げてぽつりと言うのです。

「うまくやってこられれば、あいつも自分に自信がつくだろうと、そう思ったんだ」

 風子と天彦は顔を見合わせ、また平吉へと視線を戻しました。横柄な化狸は、むっつりとして、祭りの方角をじっと睨みつけています。反応に窮し、二匹は平吉を挟んだ左右に腰を落ち着けました。三匹揃って再び森の奥へ目を凝らそうとした、その時。

 平吉の首筋に、冷やりとした何かが触れました。

「うひゃあっ!」

 全身の毛を逆立てて飛び上がった平吉の悲鳴に、左右の二匹も仰天して尻を浮かせます。

 心臓をばくばくさせながら、三匹が背後を振り返れば、そこには、蓑を脱いで姿を現した河太郎が立っていたのです。

「驚いた?」

 そう言っておどけ、はにかむ河太郎の手には、たくさんのキュウリが詰め込まれた袋がしっかりと握られていました。

 三匹は暫くの間、身を固くしたまま呆然としていましたが、やがてその表情が弛緩したかと思うと、ふにゃり、と情けなく歪んでしまいます。

「――遅いんだよ、この愚図ぐず! どこほっつき歩いてやがった!」

「もう、心配させないでよ!」

 平吉と風子に怒鳴られながら抱きつかれて、河太郎は「ぐえっ」と雨蛙のような声を上げました。三匹の様子にうんうんと微笑ましく頷いていた天彦は、ふと、河太郎の戦利品に目を留め、「ほう」と感嘆を漏らします。

「美味そうなキュウリだな、河太郎」

 その言に顔を上げた平吉と風子も、袋いっぱいのキュウリに目を丸くして、おお、わあ、などと声を上げました。しかし。

「ん? キュウリは一本、百五十円だろ。どうして四本も買えるんだよ」

 目ざとい平吉が素早く算用して首を傾げると、風子が平吉とは異なる新たな疑問を口にします。

「なんでキュウリの値段なんて覚えてるのよ」

「四百円の烏賊の釣銭でキュウリを買おうとしたら、五十円足りなかったからな」

「平吉、主、キュウリに興味などあったのか?」

「そ、それは。臆病河童が何も買えないかもと思って、その」

 最後の方はごにょごにょと尻すぼみになりながら、視線を彷徨わせる平吉に、風子と天彦はこっそりと笑いを噛み殺します。河太郎もまた、三匹の顔を順に眺めて、照れ臭そうに顔を綻ばせました。


 森を抜けた向こう側には、まだ、赤い光が賑やかに灯っています。

 夜空では大輪の炎の花が轟音を上げながら次々と咲き誇って、河太郎の皿に溜まった水の表面に、色とりどりの鮮やかな光を散らしていました。






 Fin.

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あやかし夜祭り 秋待諷月 @akimachi_f

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