あやかし夜祭り(五)
パシャリ、という水音で、河太郎は意識を取り戻します。
背中の下で甲羅が不安定に揺れるので、仰向けに寝ているのだと分かりました。するりと肌を掠めていく夜風が、汗だくの体を冷やします。
パシャリ。再び微かな音がして、頭に水飛沫がかかりました。ぼんやりとしたまま重い瞼を持ち上げると、目に飛び込んできたのは、一人の人間の顔でした。
「お。気が付いたか」
河太郎の左横にしゃがみ込み、左手で団扇を扇ぎながら、人間はのんびりと言いました。
大きな体をした、やや年嵩の雄のようで、頭と首に白い手ぬぐいを巻いています。傍らには金属製の手桶が置いてあり、人間はそこから右手で冷たい水を掬っては、まるで打ち水をするように、河太郎の頭にかけ続けているようなのでした。
パシャリ。コツリ。水と一緒に、小さな氷の欠片が皿にぶつかって、河太郎は反射的に頭へ手を伸ばします。指先に触れたのは、まくら代わりに河太郎の頭が載せられていた、天狗の隠れ蓑のちくちくとした感触でした。
血の気が一気に引きました。
「にんげ、ぼ、見えっ!」
がばり、と身を起こし、河太郎はその場から逃げ出そうとしましたが、腰が抜けてしまったのか、立ち上がることすらままなりません。
人間はそんな河太郎を眺めながら右手を振って水滴を切り、膝を机代わりに頬杖をつくと、にんまりと笑いました。
「それだけ動けるなら、もう大丈夫だろう。河童は皿の水が無くなると力が出ないってのは、本当だったんだな」
からかうような声の響きに、河太郎は肩の力が抜けていくのを感じます。ぽかんとしているうちに、段々と気持ちが落ち着いてきました。
ぐるりと頭を巡らせれば、この場所はどうやら、たくさん並ぶ店の一つの、幕内のようです。
きちんと畳まれた蓑に視線を落とし、皿が濡れているのを確かめると、河太郎は改めて、傍らの人間の顔をまじまじと見つめました。恐る恐る尋ねます。
「助けてくれたの?」
人間は「よっこいせ」と呟きながら腰を上げて、三本脚の丸椅子を引き寄せて座ると、からからと笑いました。
「そんなものを被って、ふらふらになってまで、わざわざうちの店に来てくれたんだからな。放っておけないだろ」
河太郎はそこで初めて、店先に並んだ机の上に、氷水で満たされた大きなタライが置いてあることに気が付きました。中には、木の棒が刺さった瑞々しいキュウリが、緑色も濃く鮮やかに、ぎっしりと詰められています。きんと冷えたイボだらけのキュウリは見るからに美味そうで、河太郎はごくりと唾を飲みこみますが、同時に目に留まったのは、透き通った氷水の涼しげな煌めきでした。
「あ、あの」
こわごわと、河太郎は声を出します。小首を傾げて河太郎の次の言葉を待つ人間に、河太郎は右手を差し出し、握っていた拳を開きます。
「かけてくれた水のお金、これで足りますか」
水かきのある小さな掌の上には、一枚の貨幣が乗っていました。
人間は意外そうに目を見張って、銀色の大きな貨幣と、河太郎の決然とした表情を交互に眺めると、微苦笑しながら首を横に振ります。
「お代なんて取らないよ。ここで売ってるのは、水じゃなくてキュウリだ」
「だったら、このお金で買えるだけ、キュウリを売ってください!」
勢い込み過ぎて声が大きくなってしまい、河太郎は慌てて前のめりになった姿勢を戻しました。目を瞬かせている人間の顔色を窺い、しどろもどろに続けます。
「これで買えますか? ……ぼくでも買えますか?」
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