5−5
集中して作業を続け、ようやく全面に模様を彫り終えたことろで善は大きく息を吐き出した。完成した指輪を持ち上げ、とっくりと眺めてみる。特に気になるところはない。
「亙さん……どうでしょうか、これ」
善がおずおずと指輪を亙に差し出した。亙が指輪を受け取り、目を眇めてじっくりと見回す。善は緊張した面持ちで亙の返事を待った。
「……多少荒い部分はあるが、遠目で見る分には問題ない。初めてにしては上出来、といったところだな」
亙にそう評され、善は思わず相好を崩した。自分の彫刻など、亙からすれば拙い出来であるはずなのに、それでも認めてくれたことが嬉しかった。
その後全体を磨き上げ、光沢が出たところでようやく指輪が完成した。亙は自分の作品作りを再開すると言ったので、善は1人で兄妹の元へ向かった。兄妹は待ちくたびれたのか、肩を寄せ合って眠っている。善がカジを揺さぶると少年はうっすらと目を開けた。
「ほら、お待たせ。指輪が出来たよ。半分は僕が作ったから、下手くそだと思うけど……」
善はカジの眼前に指輪を翳した。途端に眠たげなカジの目がぱっと見開かれる。
「わー、すげぇ! あの店で見たのとおんなじだ! おいミオ! 起きろよ! 兄ちゃん達が指輪作ってくれたよ!」
カジがミオを揺さぶった。同じくうつらうつらしていたミオが弾かれたように顔を上げる。
「わー! きれー! おにーちゃんたちすごーい!」
ミオは善から指輪を受け取ると、全身で喜びを表すようにぴょんぴょん飛び跳ねた。自分が作った作品で誰かがこんなにも喜んでくれている。その事実を前に、善は誇らしさと暖かさが胸の内に広がっていくのを感じた。
「兄ちゃん……これ、ホントにただでもらっちゃっていいの?」カジがおずおずと尋ねてきた。
「あぁ、いいんだよ。亙さんもお代は入らないって言ってたし、僕自身の勉強にもなったからね。そのお礼だよ」
「わー! やったー! 兄ちゃん達ありがとう! 母ちゃんもきっと喜ぶよ!」
カジも嬉しさを抑えきれないのか、その場で両手を上げて飛び上がった。ミオは相変わらず兎のように飛び回っている。元気を取り戻した兄妹の姿を、善は目を細めて見つめた。
「あ、そうだ……。あの、もう1人の兄ちゃんのことなんだけど」カジがふと思い出したように言った。
「亙さんのこと?」
「うん……。俺さ、最初にあの兄ちゃん見た時、ちょっと怖いって思ったんだ。目つきすげぇ悪いしさ。
でも……ただでこんなきれいな指輪作ってくれたの見て、考え変わった。あの兄ちゃん、怖いのは見た目だけで、中身は全然ちがうんだな」
善は一瞬呆けた顔でカジを見返した。だが、すぐに表情を緩めると、ゆっくりと頷いた。
「……そうだね。僕も知らなかったけど……あれが亙さんの本当の姿なんだろうね」
その後、指輪を包装してから改めてカジに渡し、兄妹は善に手を振りながら帰って行った。夕暮れの中を歩く兄妹の顔は晴れやかで、最初に店に来た時の不安げな様子は少しも見られなかった。善は自分も手を振りながら、兄妹の姿が見えなくなるまでその背中を見送った。
「……奴らは帰ったのか」
善が店に戻ったところで、作業部屋から出てきた亙が声をかけてきた。作品が完成したのか、手には金色のブレスレットを持っている。いつ見ても惚れ惚れするほどの出来映えだ。
「はい。2人ともすごく喜んでいましたよ。亙さんにも感謝してました」
「……俺はただ、騒音の原因だった奴らを排除したかっただけだ。それがたまたま、奴らの願いを叶える結果になっただけのことだ」
亙が憮然として言ったが、それが彼の本心ではないことに善は気づいていた。カジの言う通りだ。この人は言葉と本心が全然違う。
「……何だ。にやけた面をして」
考えが顔に出ていたのか、亙が訝しげな視線を向けてきた。善は口元を緩めると、亙の方をまっすぐに見つめて言った。
「亙さん……僕、あなたのことを誤解していたみたいです。あなたは冷たくて、近寄りがたい人だと思ってたけど……実際はそうじゃなかった。あの2人のことだけじゃなくて、僕のことまで気にかけてくれて、本当に嬉しかったんです。あなたのおかげで……僕は彫金師として少しだけ成長できた気がします。だから……僕からもお礼を言わせてほしいんです」
亙は何も言わなかった。善は少し考えてから続けた。
「亙さん、僕……もっとあなたのことが知りたいです。あなたと一緒に行動して……あなたと同じ景色を見て、あなたのような素晴らしい作品が作れる彫金師になりたい。
だから……その、これからも僕の、もう1人の師匠でいてもらえませんか?」
亙はやはり答えなかった。善から視線を外し、足元に視線を落とす。善は固唾を飲んで亙の返事を待った。
「……次の定休日、火山に鉱石採掘に行く」
亙が唐突に言った。善がきょとんとして亙の顔を見返す。
「……俺と行動を共にしたいと言うのなら、好きにするがいい。もっとも、お前にその覚悟があればの話だがな……」
亙はそれだけ言うと、踵を返して作業部屋へと戻って行った。善はぽかんとしてその背中を見つめていたが、やがてその言葉の意味が腑に落ちてくると、胸の内にみるみる喜びが広がっていった。
「はい! もちろんです! 僕はこれからずっと、亙さんの背中を追い続けますから!」
この日を境に、善の中で亙という存在の持つ意味は大きく変わることになった。今までは畏怖の対象でしかなかったのが、その冷たい仮面の奥に隠された素顔を知ったことで、彼の本心を覆い尽くしていた黒き影は霧散した。
今の善にとって、亙はもはや近寄りがたい兄弟子ではなかった。
希咲と同じ情愛を感じられる、本物の兄と呼べる存在だった。
沈黙の竜姫 外伝 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara
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