5−4

 兄妹を店の椅子に座らせ、善と亙はまず指輪のデザインを聞き取ることにした。色や形、サイズを細かく聞き取りながら仕上がりのイメージを共有する。


 イメージが出来上がったところで、善と亙は奥の作業部屋に引っ込んだ。ここからの作業は主に亙が行う。

 まずは糸鋸切りを使って素材となる銀を切り取り、やすりで切り口を平らにする。次いで焼きなましという作業を行う。これは、金属をある温度まで熱してから冷却する方法で、これを行うことにより、金属を素手で曲げられるようになる。


 亙が慣れた手つきで一連の作業を行う様を、善は感心しながら見つめていた。亙は自室にこもって作業をすることが多く、彼の彫金の様子を見ることは今までなかったのだが、その動きは実に手際がよかった。


「……何をぼさっとしている」


 亙が銀を水で冷却しながら呟いた。善が慌てて姿勢を正す。


「あ、すみません……。あんまりてきぱきとされるものだから、つい見惚れちゃって……。僕なんて未だにあたふたしてしまうのに、やっぱり亙さんはすごいですね」


 善は心から言った。亙は自身を見習いと称していたが、善からすればとうに一人前に思える。3年後の自分が彼のようになれているのか、善には正直自信がなかった。


 亙は黙ったまま流水に浸る金属を見つめていたが、やがてぽつりと言った。


「……彫金を始めて半年に過ぎないお前が、俺の域に達していないのは当たり前だ。最初から俺と肩を並べられるなどと思い上がらない方がいい」


「そ、そうですよね……。すみません、失礼なことを言いました」


 善は縮こまったが、亙は小さく息をついてかぶりを振った。


「……お前は確かに経験が浅い。だが磨けば光る可能性は十分にある。問題は、お前がここで何をし、何を学ぶか? それだけだ」


「どういうことですか?」


 善は当惑して亙を見返した。亙は水道の蛇口を止めると、善に向き直って言った。


「お前が今すべきことは何だ? ただそこに突っ立って俺の作業を見ていることか? 違う。今自分が見ている動きを目に焼き付け、身体に落とし込むことだ。それが出来ないのなら、お前に彫金師の弟子を名乗る資格はない」


 亙はそう言うと作業台に場所を移した。今度は柔らかくなった銀の両端を接合した上で、ろう付けして固定する作業に入る。さっきまでの善であれば、亙を遠巻きに眺めながら、その手際のよさにただ感心するばかりだっただろう。


 だが、今の善は違っていた。自分も作業台の方へ飛んでいくと、亙の傍に屈み込み、貪るように彼の手元を眺める。

 善は気づいたのだ。亙の製作現場への立ち会いは、自分にとっての修行の場でもあることを。亙はあえて厳しい言葉をかけることで、彫金師の弟子としての自覚を善に取り戻させたのだ。




 鑞付けが完了し、形を整えたところでいよいよ彫刻に入る。兄妹が露店で見たという指輪はシンプルな蔦模様で、比較的彫りやすいデザインと言えた。


「ふぅ……何だか緊張しますね。あ、でも亙さんなら問題ないですよね。もっと難しい模様を何回も彫ってますし」


 善が言った。実際、亙の作品の紋様は驚くほど繊細で、その1つ1つが動き出しそうなほど生き生きとしていた。自分もあんな精巧な作品を作れるようになりたいと善は見るたび切望したものだ。


 だが、亙は手を動かさなかった。善がどうしたことかと顔を覗き込むと、不意に亙が善の方を振り返った。


「……善、彫刻はお前がしろ」


「え、僕がですか!? でも僕、彫刻はまだ教えてもらっていなくて……」


「俺が見ていてやるから心配するな。元々奴らの無理な注文を聞いて作っているんだ。多少質が落ちたところで文句を言われる筋合いはない」


「そうですけど……本当に大丈夫かなぁ」


 亙が空けた席に座り、善は震える手で鏨を握り締めた。亙が仕上げた指輪は美しく均整が取れており、このままでも十分プレゼントとして通用しそうだ。それなのに、自分が手を入れた途端、この秀作が台無しになるのでないかと思うと気が気でなかった。


「善、落ち着け。緊張は手元を狂わせる。彫刻に必要なのは集中力だ。今は他のことは考えず、目の前の作業に集中しろ。その指輪を待っている奴がいることを忘れるな」


 亙の言葉に善ははっと息を飲んだ。店で待っている幼い兄妹のことを思い出す。

 露店で美しい指輪を見つけていながら、小遣いが足りないために泣く泣く店を後にし、藁にも縋る思いでこの店に辿り着いたカジとミオ。自分1人ではどうにも出来なかったけれど、亙が彼らの願いを叶えるための手助けをしてくれた。

 そうだ、これは彫金師としての自分に与えられた最初の仕事なのだ。ならば迷って手元を狂わせるわけにはいかない。


 善は大きく息をつくと、そっと鏨を指輪の表面に当てた。完成形を頭の中に思い浮かべなかがら、慎重に彫刻を進めていく。傍では亙がじっとその様子を見守っている。あの鋭い眼光を前にしても、今は少しも怖さを感じなかった。

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