5−3
幸い、客はほとんど来なかった。『本日休業』の看板を目にすると、客は一様に残念そうな顔をして帰って行った。中には諦めきれずに店の扉を潜る者もいたが、希咲が夜まで帰らないとわかるとやはり残念そうに帰って行った。とぼとぼと帰路につく彼らの背中を見つめながら、善はこの街における師匠の存在の大きさを改めて感じ取っていた。
店を訪れる客はアクセサリーを買うのが目的の者ばかりではない。中には明らかに見窄らしい身なりの者もいて、彼らは希咲に話を聴いてもらいたくて店に足を運んでいた。作品を買う気がない客などさっさと追い返せばいいと善は思うのだが、希咲は誰が相手でも決して邪険にせず、彼らが納得するまで話を聴いてやっていた。時には暖かい食事でもてなし、少額の金銭を渡すことさえあった。
そんな人格者だったから、希咲は街の誰からも慕われていた。善は師匠を誇らしく思う一方、彼女が誰彼構わず親切心を振りまくのを面白くないと思う気持ちもあった。
(師匠は誰に対しても優し過ぎるんだ。貧しい人の面倒なんか見てる暇があったら、もっと僕に目をかけてくれればいいのに……)
善がそうして物思いに沈んでいると、不意に店の扉が開く音がした。また看板を見ていない客が来たらしい。さっさと追い返そうと善は顔を上げたが、そこで動きを止めた。入り口にいたのが2人の子どもだったからだ。
「……君達は?」
善は目を細めてその2人を見つめた。8歳くらいの男の子と、5歳くらいの女の子だ。男の子は不安げに善を見上げ、女の子は物珍しそうに店内を見回している。
「あ、あの、俺達、母ちゃんのプレゼントが欲しいんだけど……」少年の方がおずおずと言った。
「プレゼント?」
「うん。あ、俺カジって言って、こっちは妹のミオ。俺ら今日ここに遊びに来たんだけど、外の店できれいな指輪を見つけたんだ。そしたら、ミオが母ちゃんにそれあげたいって言い出して。でもお金がなくて売ってもらえなかったんだ。それで困ってたら、ここなら何か作ってくれるかもしれないって言われて来たんだ」
確かに希咲なら、この幼い兄妹のために採算度外視でアクセサリーを作ってやっただろう。だがあいにく希咲は不在だ。
「そうなんだ。でも悪いけど、師匠は今出掛けていて、夜まで帰らないんだよ」
「ええっ、じゃあ指輪作ってくれないの?」
カジがはっきりと落胆した顔になった。ミオにも状況が伝わったのか、親指を口に咥えてねだるような視線を寄越す。
「作る人間がいないからね。僕は見習いで、まだ1人でアクセサリーを作ったことがないんだ。何か他の物を探した方がいいと思うよ」
「……だってさ、ミオ。どうする?」
カジがミオに尋ねたが、ミオはぶんぶんと大きくかぶりを振った。
「やーだ! ミオ、ママにあのきれーなのあげるの! あれじゃなきゃやなのー!」
「でも俺らのおこづかいじゃ買えないぞ。絶対買わなきゃいけないわけじゃないし……」
「やーだ! ミオはかうのー! あのきれーなのかってかえるのー!」
だだを捏ねるミオと、何とかそれを窘めようとするカジ。平行線を辿る2人のやり取りを善は困り果てて見つめた。できれば外でやってほしいところだが、無理に追い出そうとすればミオはますます抵抗するかもしれない。どう収拾をつけたものかと善が頭を悩ませていると、奥の部屋から足音が近づいてくるのが聞こえた。
「……何だ、騒々しい」
そう言って現れたのは亙だった。その鋭い眼光を前に、カジが気圧されたように身を引く。
「あ、すみません亙さん……。この子達がどうしても指輪を作ってほしいと言うもので……」善が申し訳なさそうに言った。
「指輪?」
「はい。妹さんがお母さんにプレゼントしたがっているんですが、外ではお金がなくて買えなかったそうで、それでうちの店に来たんです。師匠は夜まで帰らないとは言ったんですが、納得してもらえなくて……」
亙は黙って善の説明を聞いていたが、不意に兄妹の方に視線を移した。カジがびくりと肩を上げ、ミオを自分の方に引き寄せた。ミオがだだを捏ねるのを止め、不思議そうにこちらを振り向く。
「……なぜ、そうまでして指輪を贈りたいんだ?」
亙がミオに向かって尋ねた。その鋭い眼光に射竦められ、善はミオが泣き出すのではないかと冷や冷やしたが、ミオは意外にも落ち着いた調子で答えた。
「ミオのママ、いっつもお外でいそがしそうにしてるの。だからあのきれーなのあげたらよろこぶと思ったんだ」
「父親はいないのか?」
「うん、ミオがうまれたときからいないんだって」
「……そうか」
亙はそう言うと、顎に手を当てて何かを考える表情になった。しばらく黙り込んだ後、決心した顔で頷く。
「……わかった。俺でよければ、今からその指輪を作ってやろう」
亙が兄妹に向かって言った。カジが目をぱちくりさせて亙を見返す。
「……いいの? 俺、お金あんまり持ってないけど……」
「あぁ、金はいらん。俺もこいつと同じで見習いの身だからな。大した代物は出来んが、それでも文句がなければ作ってやる」
「いいよ! 僕、お兄さんの作った指輪が欲しい!」
カジがぱっと顔を輝かせた。ミオにも会話の内容が伝わったのか、「おにーさん、がんばれー!」などと叫んでいる。
「亙さん……いいんですか ?今、作業の途中なんじゃ……」善が信じられないように亙を見つめた。
「構わん。どのみち、こいつらのせいで集中力が削がれていたところだ。指輪1つで気が済むのなら、さっさと渡して追い出した方がいい」
亙が無愛想に言った。だが善は、その冷たい態度の裏には違った感情があるのではないかと思えた。
女手1つで2人の幼い子どもを育てる母親。兄妹の状況は自分達とよく似ている。亙は兄妹の母親を希咲に重ね合わせ、母親のために指輪を作りたいと考えたのではないだろうか。
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