5−2
善は彫金師である希咲の弟子だが、彼がこの家にやってきたのは3年前で、彼女に弟子入りするよりも前のことだ。
善の両親は彼が7歳の時に離婚したが、どちらも彼の引き取りを拒否したため、知人であった希咲が善を引き取ることになった。
最初は頑なだった善も、希咲の人柄に触れるうちに次第に心を開き、今では実の母親以上に彼女を慕っている。それでも、希咲の息子である亙とはどうにも打ち解けられず、距離感を掴めないまま今日まで寝食を共にしてきたのだった。
「それじゃあ、私は出掛けるから、2人とも留守番をお願いね。もしお客さんがいらしたら、私が不在にしていると言って帰ってもらって」
希咲が亙と善に向かって言った。彫金の材料とする鉱石を採掘するため、希咲は1人で火山に向かうことになっていた。
「わかりました。でも師匠、どうして火山なんですか? 鉱石なら鉱山でも採れるのでは?」
善が尋ねた。街の付近には火山の他に鉱山もあり、大抵の職人はそこへ鉱石の採掘に行く。火山は耐火性の服でないと入れない上に、足元に溶岩が広がる非常に危険な場所であるため、誰も好き好んで行こうとは思わないのだ。
「ううーん、そうねぇ……。もちろん危険なのはわかっているんだけど、あそこの鉱石は質が違うのよね。純度が高い分、輝きが増して見えるというか……」希咲が顎に手を当てて答えた。
「そんなもの素人にはわかりませんよ。些細な違いのために命の危険を冒すなんて馬鹿げてます」
善がにべもなく言った。一見辛辣な物言いに思えるが、彼はただ、敬愛する師匠が帰らぬ人になることを心配しているだけなのだ。
「……素人考えだな」
亙がぼそりと口を挟んだ。善が亙の方に視線を向ける。
「俺達彫金師は、優れた作品を作るためにその命を捧げている。そして優れた作品を作るためには、その基となる鉱石も純粋なものでなければならない……。お前は経験が浅いから、俺達の考えが理解できないのだろうがな」
善はむっとして亙を睨みつけた。確かに自分は彫金を始めてまだ半年しか経っていない。亙は自分と出会った時点ですでに彫金を学んでおり、彼と自分の間に経験の差があることは事実だ。だが、作品作りのために命をも顧みないような発言をするなんて、善には亙が正気だとは思えなかった。
「ほら、喧嘩しないの。夜までには帰ってくるから、それまで2人で仲良くしてるのよ?」
希咲はそう言って息子達を交互に見つめたが、善も亙も互いに視線を合わせなかった。希咲は心配そうにため息をついたが、そのまま荷物を取り上げて店を出て行った。希咲が行ってしまうと、店の中にいっそう気まずい沈黙が漂った。
「……これからどうしましょうね。作業に取りかかりたいところですけど、店を空っぽにするわけにもいかないですし」
善が呟いた。希咲の店は住居の一角を店として改装しており、1階手前が店、1階奥が作業部屋、2階が居住スペースになっている。だから、善も亙も作業部屋に引っ込んでしまうと、店番がいなくなってしまうのだ。
「俺は奥にいる。お前はそこで作業をすればいいだろう」亙が店台の方を顎でしゃくった。
「また僕が店番をするんですか? たまには変わってくださいよ」善が不服そうに言った。
「表には閉店の看板を出しているんだろう? 間違えた客が来たとしてもせいぜい2、3人。大きな支障はないはずだ」
「そうですけど……」
「ならば話は決まりだ。客が来たらなるべく手短に追い返せ。静かな環境でないと作業が捗らんからな」
亙はそれだけ言うと、踵を帰して店の奥に引っ込んでしまった。善は大袈裟にため息をつく。
「……仕方ない。師匠が帰ってくるまで、お客さんが来ないのを祈るしかないな」
善は独りごちると、自室へ工具を取りに行くために階段を上って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます