△▼△▼青いビニールシート△▼△▼

異端者

『青いビニールシート』本文

 日が暮れてから随分経つのに熱気が収まらぬその日、私はタクシーで行くことにした。

 やけになって飲んでしまい足元はふらついていたし、流石に徒歩では遠すぎるからだ。

 タクシー乗り場で待っていると一台のタクシーが停まった。


「うわっ……なんだこれ!?」


 私はドアが開けられた時、タクシーの後部座席を見てそう言ってしまった。

 後部座席いっぱいに工事現場で使われているような青いビニールシートが敷かれている。

 内部からはエアコンの涼しげな空気が漂ってきた。

「お客さん、乗らないの?」

 運転席から冴えない中年男がこちらを見て、そう言った。

「乗る! ……乗ります!」

 私は慌てて後部座席に体を滑り込ませた。

「お客さん、どちらへ?」

 運転手は特に気にした様子もなくそう聞いた。

 私が行き先を告げると、車はゆっくりと加速して走り出した。

 良かった。普通の運転だ。おかしなタクシーではないらしい……今のところは。

「あの――」

「ああ、そのビニールシートですね」

 私が聞こうとすると、運転手が察していった。

「お客さん、こんな怪談を知ってますか?」

 運転手はこちらを見ずに話しだした。

 運転手が語ったのは型通りのよくある怪談だった。


 深夜、タクシーの運転手が女性を乗せて墓地へと向かう。

 女性は何を聞いても答えない。行き先を告げた後はだんまりだ。

 そして、墓地について振り返るといつの間にか女性は消えていて、後部座席は濡れている。


「それで、濡れないようにビニールシートを? まさか……単なるお話では?」

「いやいや、私も最初はそう思ってたんですがね。それが、あるんですよ――」

 運転手が言うには、自分もこの仕事を始めてすぐは信じていなかった。

 だが、実際に遭遇したという。

「それが一度だけだったら良いんですが、何度も……特に、盆近くになると多くなるんですよ」

 時には若い女性だけでなく、中年男性や小さな男の子の場合もあったという。

 行き先も墓地だけではなく、得体の知れない川辺や海岸だったこともあるという。

 厄介なのは、濡れたシートの掃除だった。

 単なる水で濡れているのではなく、何か生臭い、死臭ともいうべき臭いが残るのだという。

 同じ会社の先輩運転手に相談すると、回っている地域は特に「それ」が多いからと、夏場はこうしてビニールシートを敷くように勧められたそうだ。

「乗車拒否すればいいだけでは?」

「いやいや、それが……乗ってくる幽霊は人間と大して見分けが付かないんです」

 彼が言うには、ぱっと見ごく普通の人間に見えるのだという。

 ひょっとしてそうかもしれないと思っても、もし本物の人間で乗車拒否したら悪評になると、断るに断れないのだそうだ。

 もっとも、彼には霊感などない。彼が言うには、周囲の人間にも普通の人間と同じように見えているはずだという。

 その証拠に、タクシー乗り場で待っているお客さんはその人の後ろにちゃんと並んでいるそうだ。もし見えていないのなら、律儀にそうするはずがない。

「それで、乗せてそうだったら、居なくなった後ビニールシートは取り換えると?」

「ええ、そうです。畳んでゴミ袋に入れてしっかり縛ります」

 そうしないと死臭が凄いのだという。

「大変ですね。怖くは、無いんですか?」

「まあ、最初は怖かったですが……もう慣れましたよ。それになんだか哀れになってきましてね……」

 彼は続けた。

 人間は死んだら終わりだと多くの人が思っているが、本当はそうでもない人も居るらしい。そういった人間は、こうして現世をさまようしかない。

「実際、私が運んだうちの何人が無事成仏してあの世に行けたのか……同僚が見た幽霊話で自分が見た幽霊と同じ容姿の幽霊の話を聞くと、ああやっぱり成仏できないんだなって思いますよ……」

 彼の口調には本物の哀れみがあった。少なくとも話の種にして面白がっている風ではなかった。


 車は山道を登っていく。街の明かりがどんどん遠ざかっていく。


 路面が粗くなったのか振動が酷くなった。座席がガタガタと振るえる。

「やっぱり、やめにしませんか?」

 運転手が唐突にそう言った。

「何を……ですか?」

 私は内心ギクリとしたが、平静を装って答える。

「もう、聞いたでしょう? 死んだって、終わりじゃないんです」

 運転手がルームミラー越しにこちらを見ているのを感じる。

「お客さんは、きっと辛いことがあったんでしょ? でも、死んだってなにも解決にはならない……さっき言ったように、延々とタクシーに乗り続けることになるかもしれない」

 車は明かりのない山奥に入っていく。

「薄っぺらな説教はやめてくれ!」

 私はもういら立ちを隠そうとしなかった。

「説教……ですか。確かに、そう聞こえるかもしれません。でもね、死んだって解決にならないのは事実なんですよ」

「お前に何が分かる!」

「何も……何一つ分かりません。だけど、事情を知ったところで誰が分かるんです? あなたの苦しみはあなただけの物だ。他の誰にも完全に理解できる物じゃない」

 車は停まっていた。

 くそっ! あと少しでダムだというのに!

「料金なら払うから、言った通りにしてくれればいいんだ!」

 私はそう叫んだ。

「……分かりました。これ以上は言いません。ただ、死んだって終わりでないことは忘れないでください」

 車は再び動き出した。


 ダムに着くと、運転手には料金を払って早々に追い返した。

 私はダムの底を見下ろしながらぼんやりと考えていた。

 死んだって、終わりではない――か。

 ただ、それだけを考えていた。

 確かにそうではあるが、生きていたところで何を得るのだろう。

 かといって、死んだところでそれで平穏が訪れるとは限らない。

 私はそうして、何時間も思案し続けた。


 やがて東の空が白み始め、朝日が見えだした。

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