日本昔話「ワシの卵」

ゴオルド

未来永劫かわらぬ想い

 昔々、あるところに心優しい男がおりました。男には年頃の娘がおり、親子二人で仲良く暮らしておりました。


 ある日、男が畑仕事をしていたら、蛇がかえるを追い回しているのを見かけました。男は蛇に向かって、「こらこら、あまり蛙をいじめるな。おまえがもしもその蛙を見逃してやるのなら、うちの娘を嫁にやってもいいぞ」と声を掛けました。すると蛇は動きをとめたので、その隙に蛙は藪へと逃げこむことができました。蛇は鎌首をもたげて男を一瞥すると、蛙とは別の方向へと去っていきました。

 男は少し怖くなりました。自分が冗談のつもりで発した言葉によって、蛇が蛙を見逃してやったように見えたからです。

 しかし、「蛇が人の言葉などわかるはずもないから、ただの偶然だろう」と考えて、すぐにこのことは忘れてしまいました。



 ある夜のこと。娘のところに、見知らぬ若い男が尋ねてきました。その男の美しいことといったら、とてもこの世のものとは思えないほど。尋常ではない美男子ぶりでした。

 この男はなぎと名乗り、

「おまえを妻にしたい」と娘に言うのでした。

 会ったばかりの男にそんなことを言われてもと戸惑い、最初は拒絶した娘でしたが、凪は諦めることなく毎晩やってきては妻になれといって求愛するのでした。

 二人は毎晩たくさん話をしました。ときには近くの川辺を一緒に歩いたりもしました。凪の眼差しの熱さ、口元に浮かぶ優しい微笑みは、やがて娘の心を捕らえて離さなくなりました。凪に手を取られてともに歩けば胸は高鳴り、抱きしめられたら息が止まりそうなほど。そして何より凪の娘への強い恋情、それは執着と言ってもいいほどの強さでしたが、それほどに自分を想ってくれているのだと思うと、娘も悪い気はしないのでした。

 そうして、いつしか二人は深い関係となり、凪は昼夜を問わずやってくるようになりました。娘は凪に強く求められて驚きつつも、それを嬉しく思うのでした。



 これを心配したのは父親です。突然美男子があらわれて、平凡な農家の娘を熱烈に口説いているのですから、おかしいと思わないはずがありません。

 たまたま旅の易者が近くの寺に泊まっているとの噂を聞きつけ、父親はさっそく助言をもらいにいくことにしました。易者の男は、「その男は蛇の化け物だ。娘は妊娠している。人ではないものの子を身に宿しているので、このままでは娘は死ぬだろう」と恐ろしいことを言いました。嘆き悲しむ父親に、易者はこう続けました。「娘が助かる方法が一つだけある。近くの山にわしの巣があるから、卵をとってきて娘に食べさせるのだ。卵はその男に取ってこさせなさい」


 父親は家にとんで帰ると、娘にこう言いました。

「鷲の卵が食べたいと男に頼みなさい。男がおまえのために卵を持ってきたのなら、おまえたちの結婚を認めよう」

 娘はすっかり凪に夢中になっていましたから、父親から言われたとおりのことを男に頼みました。

 凪は「鷲の卵を食べたいというのか」と少し驚いたようでしたが、「それがおまえの望みなら、俺はどんなことをしてでも叶えてみせよう」と約束してくれたのでした。


 翌日、凪と娘は近くの山へと行き、1本の高い木のてっぺんに鷲の巣があるのを見つけました。うまいぐあいに卵もあるようで、親鳥も不在です。しかし、木はあまりに高く、とてものぼれそうにありません。

 すると凪は、「今すぐ取ってきてやろう。おまえはそこで待っていてくれ」と言うと、白い蛇へと姿を変えてするすると木をのぼっていきました。娘は驚きのあまり腰を抜かしてしまいました。まさか愛した相手が蛇の化け物だったなんて!

 白蛇はすぐに戻ってきました。口には卵を一つくわえています。

「ほら、受け取れ」

 そう言われて、娘が震える両手を差し出すと、凪は鷲の卵を一つ、娘の手に乗せてやりました。

「巣にはまだ卵があるようだ。もっと取ってきてやろう」

 白蛇はまたするすると木をのぼっていきます。その動きは蛇そのもので、娘はとても恐ろしく思いました。けれど、美しいとも思いました。白い鱗は日光を受けて艶やかに煌めいていました。凪はずっと人間の振りをすることもできたのに、娘の願いを叶えるために蛇の姿を晒したのだと思うと、一層美しく思えるのでした。

「さあ、また取ってきたぞ」

 凪は娘に卵を渡すと、再び木にのぼろうとしたので、娘がもういい、2個もあれば十分だろうと言いました。凪は、「では、最後にあと1個だけ」と言って、木にのぼっていきました。

 そのとき、バサッバサッという音がしました。嫌な予感がして空を見上げると、大きな鷲が木の回りを飛んでいるではありませんか。娘があっと思って警告するより先に、留守の間に卵を盗まれた鷲は怒り狂って白蛇に襲いかかりました。

 空から奇襲攻撃を受けては、妖力を持つ白蛇とはいえどうにもできません。まっさかさまに落下し、地面に叩きつけられて絶命していまいました。

 娘は白蛇の亡骸にすがりついて泣きました。泣いても泣いても涙がこぼれて止まりませんでした。



 日が暮れても帰らない娘を心配し、山まで探しに出た父親は、白蛇のそばで泣いている娘を見つけました。

「あの男は蛇の化け物だったのだから、もう忘れなさい」

 娘にそう言い聞かせて家に連れ帰ると、鷲の卵を茹でて娘に食べさせようとしました。しかし娘は食べることを拒否したので、父親は卵を細かくすりつぶして汁に入れて、ただの味噌汁だと嘘をついて飲ませました。


 娘はその日のうちに流産しました。


 愛する男をうしない、その血を受け継いだ子供までうしなって、娘の嘆きはあまりに深く、そして受けた傷はあまりに大きく、娘はこのさき一生笑うことなどないと思いました。


 父親は心配になって、再び易者のところに相談にいきました。

 易者は、「娘にはつらいことだったろうが、蛇も死んだし、おなかの子も死んでしまったので、もうこれで娘が命を失う心配はない」と請け負いました。ですが父親は浮かない顔です。

「うちの娘はあの蛇を愛してしまっていたようです。蛇が死んでからというもの、ずっとふさぎこんで部屋から出てきません。食事も喉をとおらないようで、日に日に縮んでいくかのように痩せていっているのです。心配いらないどころか、心配だらけです。ああ、一体どうしてこんなことになってしまったのだろう!」

「どうしてだと? 自分がしたことを忘れたのか」

 易者に厳しい視線を向けられて、父親には何のことだかわからず戸惑うばかり。

「おまえはあの蛇に約束したのだぞ、蛙を――この私を追いかけるのをやめたら、娘を嫁にやると」

「ああ……ああ、そうだ、思い出した。そうだった、そうだったのか……」

 父親は深く項垂れました。

「娘に顔向けできない。なにもかも私のせいだったなんて」

「すべての罪はおまえにあるが、時は戻らない。これからのことを考えねば」

 蛙はそう言うと、懐から酒の入った瓶子へいしと桃の枝を取り出しました。

「この酒に桃の花を浮かべて、娘に飲ませなさい。桃の霊力は蛇を祓うから、蛇との思い出を全部忘れてしまえるだろう」

「忘れてしまえば、娘は元に戻りますか。元気になるでしょうか?」

「……おまえは私の命をすくってくれた。その恩に報いることになればよいと願ってはいるが、娘には娘の心があり、想いがある。どうなるかは娘次第だ」


 父親は家に戻ると、さっそく桃の花の酒を娘に飲ませようとしました。しかし、娘は頑として飲もうとしません。鷲の卵の入った汁物を飲まされたせいで流産したことに勘づいているのです。この酒にも何か企みが隠されていると気づいているのです。だから、父親が勧めれば勧めるほど娘は強く拒絶しました。



 ある晩のことです。

 娘は妙にそわそわした気持ちになり、いてもたってもいられないような、どこかへ駆け出してしまいたいような、そんな奇妙な心を持てあましておりました。

 ――どうもおかしい。これはきっと何かの知らせに違いない。もしかしたら、凪と夢で会えるのではないだろうか。

 そう考えた娘は、早いうちから床につきました。

 そして期待したとおり、夢の世界では目もくらむほど美しい凪が自分を待っていたのでした。

「済まなかった」と凪は後悔に顔を歪ませながら、胸に飛び込んできた娘を抱き留めました。

「おまえには辛い思いをさせてしまった。もうこれ以上、苦しませたくはない」

 凪の顔を見上げた娘の頬に、涙がぽつりと落ちました。

「桃の酒を飲め。そして、俺のことはすべて忘れて、ほかの男と一緒になって幸せに暮らせ」

 娘は嫌だと言って、男の背中に回した手に力を入れようとしたけれど、両腕は宙をかきました。凪が消えてしまったのです。

「あまり長く一緒にいると未練が、断ち切れない。もう行け。目を覚まして、生きろ」

 凪の声だけは聞こえるのですが、姿は見えません。きっとすぐ近くにいるはずなのに、娘にはどこに愛する人がいるのかわからないのでした。

 娘は凪を探して夢の世界を彷徨いました。

「もう行けというのに。ここから帰れなくしてしまうぞ。ずっと閉じ込めて、俺だけのものにしてしまうぞ」

 それでもかまわないと娘は言いました。いや、言おうとしたのでした。ですが、言えませんでした。

 娘は目を覚ましていました。いまは一体何時ぐらいだろうかと空を見上げようとして、ふと枕元に瓶子と盃があるのに気づきました。盃はからっぽでしたが、濡れたふちには花びらが張り付いていました。瓶子にはまるで蛇でも巻き付いたような跡がくっきりと刻まれており、このような模様の瓶子がうちにあっただろうかと娘は不思議に思いました。


 それから数年後、娘は隣村の農家に嫁ぎました。その後の暮らしは苦労も多かったけれど、それなりに幸せだと感じることもあり、まずまずの人生であったと、そう思うのでした。ただ自分でも不思議に思うのだけれど、どういうわけか桃の花が嫌いでした。三月の桃の節句のとき、村人たちが酒に桃の花を浮かべているのを見かけて、理由もないのに絶対に飲むものかと思ったものでした。



 それからさらに数十年の時が流れて、ついに最期のときが娘に訪れました。

 魂はふるびた肉体を離れ、はるか彼方へと旅立ち、名もなき山に落されることとなりました。そこから徒歩で三途の川の渡し場へと向かうのです。

 あの世へ送られた魂は、振り返る人生の長さに応じて、どこの山に落されるのかが決まることになっています。若くして死んだ魂は渡し場の近くの山へ、長生きした魂は渡し場から遠い山へ。

 娘は、渡し場へ向かって一歩一歩進みながら、一つ一つ過去を振り返りました。嬉しかったこと、悲しかったこと、夫のこと、子供のこと、孫のこと、そしてとっくの昔に死んでしまった父親のことなどを思い出して、懐かしさと恋しさで胸がいっぱいになりました。

 思い出せることは全部思い出し、人生の回想が終わっても、なぜか三途の川の渡し場にたどりつきません。どういうことだろうか。まだ思い出していないことがあるのだろうかと娘は首をひねりました。けれど、何も思い当たることはありません。

 ――もしかしたら、お釈迦様だか観音様だかが間違えて少しばかり遠くの山へ私を運んでしまったのかもしれないなあ。

 そんなことを考えていたとき、「待ちかねたぞ」と見知らぬ男に声を掛けられました。ぞっとするほどの美貌を持った男でした。どうも娘のことを知っているようなのですが、娘には覚えがありません。

「では、行こうか」

 どこに、と尋ねる娘に、その男は「もちろん来世にだ。今度こそ夫婦として添い遂げよう」と言うのでした。

 今度こそ、という言葉が意味することがわからず戸惑う娘を見て、男は笑い声をあげました。とても愉快そうに笑いました。

「蛇は一度想った相手を未来永劫想い続けるのだ。今度こそおまえを離さないぞ。どうしても俺を遠ざけたいのなら、桃の花を浮かべた酒をみずから飲むがいい。そうすれば俺は二度とおまえの前にはあらわれないだろう」と言いました。


 娘は、この男が誰なのかはわからないけれど、どうして桃の花が嫌いだったのかは、やっとわかったのでした。


 そうして娘は男とともに三途の川を渡り、あの世での修行をやり遂げた後に、同じ時代の人間に転生させてもらい、ごく平凡な、だけれどとても幸せな夫婦になったのでした。


 <おわり>



関連作品

『ファラオの茹で卵』 三部作の二作目

https://kakuyomu.jp/works/16817139554642035006


『よろづせなのノ卵』 三部作の三作目

https://kakuyomu.jp/works/16817139557180497661

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