地上の穢れと不死の月

中国神話の「嫦娥奔月」を題材にした、月と地上を巡る物語です。
神秘的な神話の世界観が、非常に美しく描かれています。

日本の「竹取物語」からも分かる通り、人々は月に不死の象徴を求めました。
例えば、インド神話における聖なる飲料「ソーマ」は、のちに月と同一化します。不老不死の薬とも言われ、祭式で重要な役割を果たしました。

一方、我々の暮らす地上は、月の民にとっては穢れたところです。地上にとっての地下が穢れの溜まる場所であるように、月にとっての地上もまた穢れた場所なのかもしれません。

天の民や月の民が考えることは、地上の民には分かりません。例えば、鬼や妖精がそうであるように、我々と同じ価値観を抱くことはできません。嫦娥(姮娥)の行いを理解することはできます。しかし、その本質を知ることは、決してできないのです。神話がベースとなったこの作品には、ある種の「共感不能性」から来る美しさがあると感じました。

最後の場面で、夫の羿が嫦娥を想い、一人で「月見」を行います。月を見上げて想うことは、今も昔も変わらないのかもしれません。