1章
第1話 かしましい
──目が覚めるとそこには知らない天井があった。
なんだか昔観たアニメでこんなシーンがあったような気がする。
私が産まれるよりもずっと前の作品だったけれど、私の居た孤児院のライブラリにあったそれは、思春期の私には少し刺激の強いものだったからとても印象に残っている。
私は宮部愛奈。
幼い頃に両親を亡くし、頼れる親戚も居なかったので孤児院で育った。
それ以外は普通…だと思う18歳の高校生だ。
どうして私は今ここに居るんだろう。
ぼんやりとした頭に浮かぶのは、狂喜の表情を浮かべた老齢の男性。
「……そうだ、私は……。」
思い出すと体が震える。
人間をあれほど恐ろしいと思ったのは初めてだ。
状況がよくわからない私に、民族衣装のようなものを着た男性が説明をしてくれた。
その国は大国に隣接しており、とても難しい立場にある国なのだと彼は言った。
物流が盛んで、資源もあるが、その国力は充分とは言えないものであった。
しかし、先代の国家元首の人柄と辣腕によって長年大国とも対等に貿易を行い、人材の流出も防いでいた。
クーデターが起こるまでは。
そのクーデターによって元首に成った者が、大国に対し優位に立つために資源を封鎖、そして次に欲したのは軍事力だった。
軍事力の確保のために行ったのはその独裁者が遺跡から盗み出した秘法、悪魔招来の秘法だった。
だけど、それで呼び出されたのは私。
特殊な力も、地位も、特別な知識もない私だった。
いや…特殊な力はあったらしい。
同じクラスの結菜ちゃんが好きな本のような話だった。
その後も色々あった。
だけど何よりも印象に残っているのは茶髪の少年。
自分とさほど歳が離れていないと思われる少年が、私を助けた。
彼は何というか、その、イケメンで、たまに歯の浮くようなことを言うので勘違いしそうになる。
…私はこれからどうなるのだろう。
他に行き場もないから頼ってしまったけれど、本当に良かったのだろうか?
「でも…万が一日本へ帰れたとしても……。」
卒業間近の私には帰る場所なんてない。
…孤児院の後輩達のことは心配だけど、あの子達もいずれは私のように学校を卒業して、無難な職業に就いて、そうして早く自立する。
食い扶持は少なければ少ないほど良いのだ。
先輩達は皆そう言って施設を去っていく。
院長さんは優しいから、「いつでも帰ってきなさい」って言うけれど、私達は知っている。
いつもいつも少ない寄付金をやりくりして頭を悩ませていることを。
だから、いいんだ。
私は日本に戻れなくても。
充分優しくされたから。
──────
コンコン、と工房の受付にノックの音が響く。
「アイナさん、お昼過ぎてます。体調は大丈夫ですか?何か食べられますか?」
アルが応接室のドアに向かい話し掛ける。
アイナは起きていたようで、ゴソゴソと音がした後に返事が返ってくる。
「はい、さっき起きました。ありがとうございます。少し準備をするので待ってください。」
「ええ、わかりました。」
アルはそう言うと受付のソファーに座り、持っていたブリーフケースの中から書類を取り出して、書かれている文字に目を走らせる。
そうして5枚目の書類に目を通し終わる頃、応接室のドアが開いた。
「お待たせしました。その、改めてありがとうございます。」
「いえいえ、大変な世の中ですからね。お互い様ですよ。」
アルは柔らかな微笑みで応えるが、アイナは少し顔を逸らしてしまう。
「……や、やっぱり僕にはこういう振る舞いが似合わないのか…。」
と肩を落とすアル。
しかし彼には解らない。
祖母譲りの整った顔立ちが、彼女にとっては充分な凶器になり得ることを。
と、そんなやりとりをしていると、裏口のドアが開き入ってくる人影があった。
「おや?そちらが噂の?これはこれは可憐な女性だ。ふふふ、流石のアルバート君も東洋の神秘的な雰囲気にやられてしまったのかな?」
「アイリスさん!」
抗議するようにアルが声を上げるが、彼女は止まらない。
「おやおや?ふむ……なるほど、アルバート君が格好つけようとしたけれど、彼女には刺激が強すぎて結果的には失敗してしまったようだね?あぁ、わかるとも。だが、安心したまえよ。彼女は恥ずかしがっているだけなんだ。東洋の娘は奥ゆかしいからね。そこがまた可愛いと思わないかい?」
アイリスが現れたと思うと、言わなくてもよいことを矢継ぎ早に口走る。
その圧力にアイナは押され気味になりながらも「あ、あの……」とだけ言うが、その言葉すらも押し負ける。
「あぁ、すまない。君の疑問にも応えようか。レディ・アイナ。私はアイリス。アイリス・エスコットだ。この街でバーを営んでいる。アルバート君の父親であるエドワードとは昔馴染みでね。アルバート君のこともよく知っているとも。もはや彼の母親と言っても過言ではない。」
「昨日初めて会いましたよね?!」
「ふふふ、つれないことを言うなよ。なんなら君の妻でも良いんだよ?」
「この人怖い!押し売りなんてものじゃない!」
「ふふふふふ!本当に面白いなぁ!」
──────
か、会話が成り立ってるようで成り立ってない!
あぁ…アイナさんが目をぱちくりさせて………可愛い……じゃなくて!
「あ、アイリスさん!話が進まないので……!」
「おや?もう終わりかい?それは残念だ。だがしかし、うん、それが良いかもしれないね。レディを待たせてはいけない。」
「待たせるようなことをしたのは誰ですか……。」
「ふふっ!すまない。」
愉快そうにしているアイリスさんは手に持っている袋をアイナさんへと渡す。
アイナさんがその中を覗くと、中には衣類が入っていた。
「これは……?」
「君の着替えだよレディ・アイナ。君のその服装はこの街では少し目立ってしまうからね。エドワードに頼まれて調達してきたのさ。あぁ、アルバート君にはこれを。」
アイリスさんに渡されたのは領収書。
まぁ、うん……え?
ちょ、高くない?
え?婦人服ってこんなに高いの?
「さ、お風呂へ行こう。その様子だと全くそんな余裕は無かったのだろう?そのためにもこの着替えを調達したんだ。せっかくの美人が台無しになる。」
アイリスさんはそういうと工房に備え付けているシャワールームへとアイナさんを促す。
アイナさんが不安そうに僕を見るので、安心させるように努めながら落ち着いて声を出す。
「えぇ、大丈夫ですよ。僕もまだそこまでアイリスさんのことは知りませんが、変な人だとしても、変なことをする人ではないと思います。」
「ふふふふ!そうだね、むしろアルバート君が覗かないかだけが心配とも言える!」
なっ…!覗く……だと……?
その発想は無かった……!
確かに……!
「……意外とやらしいんですね。」
と、アイナさんが少し頬を膨らませていた。
かわいい。
じゃなくて、どうやら僕の考えていたことが筒抜けになるほど、わかりやすく顔に出ていたようだ。
「ふふっ、レディ…男は哀しい生き物なのさ。だけど、女性の躯に興味の少ない男は殊更につまらない。夜の生活が充実することはとても良いことなんだよ?」
ちょ……!
なんてこと言うのかな?!
男の僕の方が恥ずかしいんですけど!
「あ、あの、私にはよくわからないので……!」
赤面するアイナさん。
かわいい。
「え、えぇと…それでは、僕も少し用事があるので……。アイリスさん、使い方はわかりますか?」
話を逸らすように会話を繋ぐ。
そうでないと間が持てない。
「あぁ、わかるとも。私の店のものと同じのようだからね。それとも、魔蒸技師の技術をふんだんに使った特殊な機能でもあるのかい?勝手に身体を洗ってくれるとか?」
「いいえ?そんな機能は……いや、待てよ。面白そうだな……。」
全自動で身体を洗うってどうすれば可能になるんだろう?
ブラシを2本回転させて、身体を通せばいいのかな?
でもそれだと身体の小さい人や大きい人は通れないな。
ブラシの間隔を自分で調節出来ればいいのかな?
……うーん、それだと機械の耐久性や手間が気になる……。
そもそもその単純な機構だと人間の身体を傷付けない絶妙な力加減が難しいかもしれない。
そうなると風呂場に収まるような大きさにならない……。
いや?待てよ?
風呂場に収まらないなら、風呂場自体を機械化すればいいのかな?
例えば浴槽の底に回転するモップを取り付ければ水の抵抗と浮力によって絶妙な力加減が生み出せるのでは?
やはり僕は天才か?
これはすぐに設計図を描かねばなるまい。
──────
「まぁ大丈夫さ。なに、彼女のことは任せたまえよ。」
アイリスはそう言うが、アルは何か考え込んでいるようで反応がない。
「…………聞こえていないようだね。」
くつくつと愉快そうに笑うアイリス。
「あの…どうして皆さん見ず知らずの私に優しくしてくれるんですか?」
そう言い、考え込むアルを見つめながらアイナは呟く。
「そうだね…"血"としか言えないね。彼らの一族はとても面倒見が良いのさ。特にそれが顕著だったのは彼のお婆様だね。むしろ彼女が開祖と言っても良いかもしれない。凄まじい人だったよ。嵐のような時代に産まれ、嵐のように駆け抜けた女傑だよ。それを色濃く受け継いでいるのがアルバート君だ。まぁ、本人は人を遠ざけているつもりなのだろうけど、実際はそうじゃない。彼は困っている人が目に入るとああだこうだと言い訳をしながらも結局は人助けをするんだとエドワードがよく愚痴っていたよ。それが自分の身をどれだけ傷付けようともね。」
「自分の身を傷付けても……。やっぱり私は、ここには居ない方が良いんじゃないんですか?だってそうしないと…。」
「彼は自分を犠牲にしてでも君を守るだろうね。…でも、それが彼の望みでもある。彼は理性と行動に矛盾を抱えている。まぁ、ある意味人間らしいと言えばらしいんだけどね。人と関わりは持ちたくないが、愛想良くする。頭の中では世の中全員を救えないと解っているし、救おうとも思っていないのに、本当に困っている人を見ると、気になって見捨てられない。誰にでもある感情や考え方だと思うけれど、彼はその度合いが極端なんだ。」
アイリスの発言は、エドワードから聞いている状況に現在のアルの様子から導きだした推理に過ぎないが、説得力のあるものだった。
「まぁ詳しい生い立ちは仲良くなってから聞くといい。だが、まだ17歳の彼がそこまで背負う必要はないとも私達は思っているんだが……。」
「17歳……アルバートさんは、私よりも年下だったんですね……。」
「おや?そうなのかい?…失礼ながら聞いても?」
「私は18歳です。故郷ではまだ未成年ですけど……。」
「そうか。いや、すまないね。アルバート君よりも年下だと思っていた。」
「いえ……。」
「だけど、どうか彼を信じてやって欲しい。彼はまぁ…無茶をするが、決して悪い人間ではない。見た通り、時たま年相応の少年のような反応を示すが……育ちが辺鄙な田舎だったから若い女性もあまり居ない環境でね。多少のいやらしい視線は流してあげてくれ。いや、もちろん見られるのが歓迎なら言うことは無いんだけれどね?」
「み、見せません!……けど、はい。きっとアイリスさんの言う通りで、本当にただの親切心なんですね…。」
ぶつぶつとまだ何やら考え込んでいるアルを見つめながらアイナは言う。
「そうだとも。むしろ、彼らが親切にしたがっているのだから君は何も気にせずにそれを受け取りたまえ。なに、男所帯が嫌になったら私の所に来ればいいのさ!私は女性も大好きだからね。いつでも歓迎するよ!働き方から夜伽まで何でも教えよう!」
「よっ……!い、いえ!まだ大丈夫ですから!その!髪もベタベタするのでそろそろお風呂へ行きましょう!」
「ふふふ!それはとても魅力的なお誘いだね!いいとも!私の秘技は風呂場からすでに始まっている!」
「いえ、そうじゃなくて!」
「ふふふふふ!」
女性2人の愉快な会話の声は遠ざかり、必要のない機械をひたすら考察するアルの姿だけが残ったのであった。
魔蒸技師アルバート・ライト 根古千尋 @DUSTNEETMAN
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