最終話 生きる


 そして結婚を迎える前に彼と話し合い、不動産屋に足しげく通いようやくマンションを決めた。引っ越しの準備をしていた矢先だった。


 彼が事故に遭ったという知らせだった。私は急いで病院に向かった。手術中という赤いランプが不安をき立てた。


 私は心から真剣にすがるような気持ちで祈った。ランプが消え医師が出てきた。彼の手術は終わった。しかし意識は戻らず未だに危険といえる状況だった。彼は絶対安静で集中治療室へ入れられ面会謝絶となった。



 そして私は医師からこう言われた。


「生命維持装置をつけますか? つければ杉浦さんは生き続けます。現状では無理ですが、今後医療が発展し治療法が確立されれば意識が戻る可能性もあります。しかし維持費もかかります。生活に余裕がなくなれば、まぁ……」


と医師は口籠くちごもった。


 私は迷った。生活は普通に生きていくなら問題ないという程度で月十数万も払って生活していけるほどの余裕はない。貯蓄が減っていくのは目に見えている。


 でも。


 それでも彼に生きていて欲しかった。私は医師の申し出にうなずいた。 


 それから私は朝から会社で働き、夜も働いた。朝も昼も夜も働き心が休まるのは生命維持装置をつけた彼の前だけだった。


 私は彼の体をマッサージして刺激を与えたり話しかけたり良いといわれることは全てした。



 そうした生活が一年ほど経ったころだろうか。


 たまたま彼の母と病室で出会った。意識は戻りましたか? と期待しつつ半分絶望しつつ尋ねた。彼の母は首を横に振った。


 習慣のように繰り返した動作をして彼に話しかけた。大学の頃のこと、楽しかったこと、彼への想いを話しかけた。


 するといつもなら反応のなかった彼が「うぅぅ」と声をだしたのだ。苦しそうな声をだしたので私は大丈夫っ? とかけよった。


 彼の母は医師を呼びにいってすぐに戻ってきた。彼は苦しそうにしながら私に大丈夫といったように微笑み意識を失った。



 医師と看護師が激しく出入りした。彼の意識が戻った。もしかしたらと私は祈った。


 しかし心臓の規則的な音が一定音に変わり、


「17時48分。残念ですが」


 そういって医師はでていった。簡単なものだった。


 私はその言葉を何も思わず聞いていた。動かなくなった彼を見て、奇跡など起こらないものだと思った。


 そして彼にしがみついて泣いた。だが、それさえも彼の死の確認でしかなかった。



 数日が経った。彼の葬儀そうぎはつつがなく行われた。彼の死をいたむ人々が来てくれたがそれも私にとってはやるせなかった。


 彼は死んだのだと認めざるをえない状況が。私にとって周りは昔のモノクロの映画のようだった。


「元気をだして」   


 どうやって?


「気を強くもってね」 


 なぜ?


 私にとって人々の声はノイズだった。私はただお辞儀じぎを繰り返すだけの人形だった。だが、彼の母に手をにぎられ


「ありがとう」


と言われ私は泣いた。子供のように……



 私は無気力だった。


 彼の死は今までの努力は無駄だったと言われたかのようだった。それでも日々の生活は私につきまとい、生活のために働かなければならなかった。


 あれから彼が亡くなったことで仕事も減らした。しかし、生きていくための最低限の仕事はするが、私は彼が意識を取り戻すという目標を失い、何のために生きているのか分からなくなった。


 壊れてしまえた方が楽かもしれないと思った。


 何も考えずふっと彼のことを思い出し、いないと思い出し何度泣いただろう。涙はかれることはないのかと笑った。


 彼が亡くなり減らした仕事だったが、あえて仕事量を増やし、私はがむしゃらになって働いた。そう、何かに打ち込めば彼のことを忘れられるからだ。


 私にとっては仕事だった。


 理由を知る友人は眉をひそめ、


「大丈夫?」


と心配してくれた。私はうなずいて


「大丈夫だよ」


答えるのがやっとだった。


 重要な企画であればあるほどよく練り上げるため彼のことは考えなくなっていく自分がいた。



 2つほど季節が変わる頃、周りは彼のことを忘れていった。私だけが彼を忘れていなかった。忘れられなかった。


 これほどまでに彼は私の心の中で大きかったのかと思うと悲しかった。


 彼に似た名前、歩いている人の後ろ姿、知らない人のちょっとしたしぐさ、そうした周りにあるものが私に彼を思い出させるのだ。私は彼を憎んだ。その時、自己嫌悪じこけんおに陥り、私は死のうかと考えた。


 刃物を持ち手首に持っていき切るのをとどまり、死ぬ勇気もない自分が滑稽こっけいで仕方なかった。



一周忌いっしゅうき


 私は彼の母に会いに行った。私の思ってきたことをこう話した。そして忘れられないと。彼の母は黙って聞いてくれた。


「生きていた時の彼を見ていて思いました。彼が可愛がっていた飼い猫のカルーが事故で死んでしまった。その時のカルーへの接し方をみてただ死を遅らせるだけの延命治療はしない人なんだって」


 私は彼の考えが分かっていた。


「治らないと言われたカルーの治療をあきらめて連れて帰り、彼はごめんなってカルーにずっと謝り続けた。そして彼の腕の中で眠るようにカルーは安らかな死を迎えた。そんな彼だったから」


 そして一気に気持ちを吐き出した。


「私はずっとこの延命治療えんめいちりょうは彼が望んでないって分かってた! でも、ごめんなさい。私は……私は苦しんでいても彼に生きていて欲しかった……話ができなくてもいい! 息をしているだけでもいい! 意識を取り戻す可能性が0でないならばそれにすがった! 当時の私は、ただ彼に生きていて欲しかった‼ごめんなさい」


 私はずっと心にたまっていた後悔こうかいを叫び、泣きくずれた。彼の母は落ち着かせようとしたのか、そんな私の手を強くにぎりそして優しく話しかけた。


「あなたがあの子に生きていて欲しいと思ってもいいの。あの子が望んでなかったとしてもいいの。あの子が苦しんで死んだとしてもここまで想ってくれるあなたならばきっと許してくれる。私だって意識が戻る可能性にすがりたかった」


 そして


「私も忘れられない」


と話してくれる。


「本当に毎日のように思い出します。あの子の生まれた頃から、小学校、中学校、高校、大学時代、あなたに出会ったときのことを話してくれた時のはしゃぎよう、あの子の生きてきた想い出を」


 私の知らない彼の話だ。


「えぇ、本当に昨日のことのように。結婚すると決まった時のあの子のはしゃぎようはすごかったんですよ。本当に親ばかでねぇ。結婚のお相手が悪い人じゃないか心配だったんですけど。こんなにあの子のことを思ってくれる人に出会えたんですもの。

幸せものですよ。あの子は。それなのに、あなたがそんなに苦しんでいたとは。でも……」


「でも?」


「……そんなあなただったから、あの子は意識を取り戻しあなたに微笑ほほえみそして死んだの。私がどれほどあなたをうらやましかったか。あなたは見なかったのですか? 死ぬ間際のあの子の笑顔を」


 彼の母は目に涙を浮かべ、そしてゆっくりと私の気持ちを落ち着かせるように話してくれた。


「あなたに心配かけまいとするあの子の笑顔を、私はあんなに優しい笑顔は見たことがない。小さい頃からの記憶を思い返してみても見たことがない。そんな笑顔を向けられているあなたがうらやましかった」


 そう言われ私は抱いてしまった憎しみが、どうしようもない愛しさに変わっていくのを感じた。彼の笑顔を思い出して泣いた。今までのどんな時よりも嬉しかった。


 彼の母は泣いている私にこうささやいた。


「でもね。あなたは生きているの。どんなにつらいことも想い出になるから人は生きてゆけるの。だからあの子のことを……時々でいいから思い出してあげてね。私はそれで充分だから」


 彼の母は泣きじゃくる私の涙を優しくぬぐいながらこうも言ってくれた。


「あの子が死んで、あなたの努力は無駄だったと思ったかもしれない。でも、その苦しかった想い出や悲しかった想い出を乗り越えたとき、その経験はあなたがこれから生きていくのに、きっと大きな力をあたえてくれる。だから大丈夫。これからもがんばってね……」


 私はうなずくことしかできなかった。


 一周忌いっしゅうきがこうして終わった。



 三回忌さんかいきを迎える頃。


「現在の医療サービスや介護の負担を考え、以上のような補助装置ほじょそうちの使用をご提案いたします。何かご質問はございますか?」


「この補助装置ほじょそうちを使えば介護の負担は減り、きめ細やかなサービスをお客様にご提供できますね。ぜひ弊社へいしゃ購入こうにゅうを考えたいです。早速、自社に戻って上司と相談してきます。お時間をください」


「ありがとうございます!」


 私はあの頃に比べればおだやかな日々を送っている。そして彼のお墓参りと彼の母に、私は頑張っていますと報告しに会いに行くのだ。


 だから私は忘れない。彼への想いに苦しんだ日々を。彼と共に生きたそれ以上に楽しかった日々を。


 その想い出は彼が生きていた証、そして私と彼とのきずななのだから……





◆◆◆お礼・お願い◆◆◆


最終話まで読んで頂きありがとうございました。


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彼に結婚を申し込まれた私は結婚を決意する。けれどその矢先、彼が事故に…… 冴木さとし@低浮上 @satoshi2022

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