影の殺戮者

よぎぼお

影の殺戮者

 今日も教室の隅で僕はクラスメイトの影を殺戮さつりくする。僕の目の前を通ったその影をぐさりとペンで突き刺すのだ。するとその影は音もなく消滅する。この時血がぶしゃりと噴き出せばよいのになんて思いながら、そんなことがなくてどこかほっとしている自分がいる。

 この能力に気づいてからまだ一週間ほどしか経っていない。けれどもう僕の周りに残っている影はほとんどありはしなかった。僕はたった一週間でクラスメイト全員の影を殺したことになる。これにはメキシコのマフィアも驚きだ。僕はきっと世界一の殺し屋なのだろう。

 

 七月は僕が一番嫌いな季節だ。気の狂ったような暑さは僕の脳味噌のうみそを搔き乱す。全てを溶かしてしまう夏の熱気は僕の理性までも溶かしてしまう。クラスメイトの影だけではない。クラスの机や椅子の影にも手当たり次第に暇をみつけては僕はペンを突き刺していった。ついこないだまでクラスに落ちていた幾多あまたの影はここ最近は見当たらない。

 けれどもどうやったって僕は自分の影を消すことができなかった。何度も何度もペンを突き刺そうとしても、僕がペンを握るとコイツはひょいひょいと猫に追いかけられたねずみのように逃げるのだ。まるで僕の行動を全部見透かしているかのようにコイツは逃げ足が早かった。僕が本当に一番殺したかったのコイツの姿であったはずなのに――。



「ねえ」


 突然の声にびくっと身体を震わせながら振り向くと、そこにはいたのは同じクラスの東雲しののめさんだった。なぜ彼女がこんな僕に話しかけてきた分からず、まさか影のことがバレたのではないかと頭に一抹いちまつの不安がよぎり僕は少し身構えた。


「……なに?」


「ちょっと話があるんだけど」


 クラスが少しざわめくのが分かった。それもそうだ。彼女はクラスでも人気上位の女の子なのだ。彼女の綺麗な容姿と、それを鼻にかけない性格はクラス中の男子を魅了していた。そんな彼女が僕に話だなんて、クラスメイトの目には随分と異色に映っていることだろう。


「何の話?」


 僕は少し探りをいれた。ここで彼女が影のことを話せばもう僕は学校には来ないつもりだった。けれど彼女は表情一つ変えずに言った。


「向こうで話そう」



 教室から離れるときも、僕たちは互いに一言も喋らなかった。教室で僕たちのことをこそこそ言っている人がいたけれど僕たちは何も言い返しはしなかった。そして、僕は人通りがない屋上の階段にまで連れていかれた。意外にもここは掃除が行き届いていて綺麗だった。


「それで話なんだけど……」


 彼女はおもむろに口を開いた。


「貴方でしょ? 影を消しているの」


「……そうだけど」


 ああ、やっぱりかと思った。やはり彼女は知っていたのだ。

 影を消している犯人が僕だということを。

 

「なんで分かったの?」


「なんとなく」


 彼女はそういい、薄く笑みを浮かべた。


「それで、何の用? まさかその確認の為だけに呼んだわけじゃないでしょ」


「まあ、そうなんだけど――」


 僕がそう尋ねると彼女は少し言葉を濁した。

 やがて覚悟を決めたように口を開く。


「驚かない?」


「おそらく」


「それじゃあ……」


 彼女はそう少し言葉を溜めて告げた。


「私、吸血鬼なの」


「……え?」


「私、吸血鬼だから」


「えっと……それで?」


「最近、影が減ってちょー生き辛い」


 彼女はそう言って、ほっぺを膨らませた。緊張の糸が切れたような気がした。

 いつものクラスでみる彼女よりも今の彼女は少し幼くみえた。


「……それで僕に恨みが?」


「一言でいうと」


 僕の問いに彼女はそう返した。

 どうやら彼女曰く、自分は吸血鬼だから最近影を消しまくっている僕に恨みがあるということだった。

 確かに吸血鬼は日光を浴びると死んでしまうとどこかの昔話で聞いたことがある。だから影が少なくなると日の当たる時間が増え、生き辛いのだろう。


「……信じてくれるの?」


「まあ別に疑う理由もないし」


 彼女は僕が意外にも自分が吸血鬼だという事実を受け入れてくれたことに少し驚いているようだった。だけど僕からしてみれば吸血鬼が存在したところで何の疑問も抱かない。なんせ僕が影を消せる世界なのだ。吸血鬼のひとりやふたりいたっておかしくないだろう。


「でもよくそれを僕に言おうと思ったね。僕が学校中の影を消して、君を学校の外に追いやるとは思わなかったの?」


「……思わなかった」


 僕はそれを聞いて小さく溜息をついた。こういう人が将来詐欺でいいようにされてしまうのだろうと思った。


性善説せいぜんせつもいいところだよ。それにそもそも今までどうやって生きてきたのさ。もう教室に影は残ってなかったはずだけど」


 僕がそう尋ねると彼女は答えた。


「一時間くらいまでなら影がなくて光に当たっていても大丈夫なの。だから、授業が終わると急いでここまできて影を補給していたんだ。ほら、ここ暗くて影がいっぱいあるし私みたいな子にぴったりじゃない? 一授業の時間が50分じゃなきゃ、私死んでたよ」


 彼女はそう言って、はははと笑った。僕はいつも教室の中心で皆の注目の的になっている彼女がこんな暗くて誰もいないところ似合わないと思ったけれど、それは口には出さなかった。


「授業時間に恵まれたね。運がいいやつ」


「悪いでしょ、そもそもこんなよく分からない妖怪みたいなのに生まれてきちゃった地点で」


「それもそうか」僕は呟いた。


「大体、僕は吸血鬼は日光に当たった地点で死ぬと思っていた」


 僕が続けざまにそういうと、彼女は腰を折り曲げながら声を出して笑った。


「そんなの私のおじいちゃんのおじいちゃん、もっとうん百年も前の話でしょ? 吸血鬼も進化しているのよ」


 それに対して「そうなのか」と僕は少し感心した。


「凄いことだね。十字架とかもじゃあ大丈夫なの?」


「十字架対策のコンタクトをつけていればね。けど、ニンニクは駄目。餃子とかラーメンは絶対無理」


「それはただのJK女子高生さがでは?」


「そうかも」


 彼女はけらけらとまた笑った。

 そしてすぐに「違う違う、そんな話をしたかったんじゃなくて」と唇を尖らせた。

 僕をなんだかよこしまな目でみてくるので、「何?」と尋ねたら、「貴方といると、会話が進まない」とすねた表情で言った。僕は何を言えばいいか分からなかったので黙っていると、彼女は小さく溜息をついて言葉をつづけた。


「お願いがあるのよ」


「お願い?」


 一瞬、なんだろうと思ったけれどすぐに影を消すのをやめてほしいんだなと気づいた。それもそうだ。彼女にとっては生きるか死ぬかの大問題なのだ。だけど、彼女が言ったことは僕が全く予想だにしていないことだった。


「あなたの横にいさせてほしいの」


「……え?」


 彼女はすぐに「嘘嘘うそうそ。ちょっとカッコつけすぎたかな」と冗談めかしていったけれど、「まあ意味合いはおんなじだからあながち間違っていないんだけどね」と口元で小さく呟き言葉をつづけた。


「あなたの横にいさせてほしいっていうのは、休み時間のときとかにあなたの影に入れてほしいってこと。一々休み時間の度にここまで来るの面倒くさいし、ほら、もうクラスに残ってる影っていえばあなたの影くらいしかないじゃない。これから夏場は本格的になってきちゃうわけだし。もっと太陽の光が強まったりなんかしたら、私ここにくるまでに灰になっちゃうかもしれないのよ。でも、貴方の影にいれば私のHP体力全回復!」


 彼女は「ね! いい案でしょ!」というように目をぱちぱちさせた。

 

「……君は僕をどこかの回復センターだとでも思っているのかな」


「まあ、近いかも」


「影を消すのをやめてほしいと言われるかと思ってた」


「もう過ぎたこといってもどうにもならないしね。それより大事なのは未来よ未来」


 そういい、彼女は自信ありげにピースサインをしてみせた。

 どうやら彼女は自分がいった案を結構気にいっているようだった。

 けれど、本当に良いんだろうかと僕は思った。つまるところ、彼女が言っていることは、死なないためにも僕の影に入るくらいに近い距離で一緒に過ごそうねということだ。これでは変な噂が流れかねない。僕は構わないが、彼女に迷惑をかけてしまう。


「クラスの皆になにか言われるよ?」


「いいじゃない、別に」


 彼女はくるりと回ってそう言い切った。


「それに私、貴方に実際結構興味あるし」


 彼女は僕を覗き込むようにして僕と目を合わせてきた。

 僕は普通のふりをするだけで精一杯だった。


「……変わった趣味だね」


「大体、クラスの影消したの誰だか分かっている?」


「僕だよ」


「そ、だから私が生きるのを助ける責任が貴方にはあるの」


 彼女はそういい、くしゃりと笑って僕に手を差し出した。


「だからさ、よろしくね。これから」


「……分かったよ」


 そして僕はその彼女の手を掴んだ。

 彼女は嬉しそうに微笑んだ。




 

 ♢






 その日の夜。


 僕が机に向かって勉強していると携帯の音がブーブーと着信を知らせた。

 誰かと思ってみてみると着信主はあの吸血鬼の彼女であった。


日付ひづけ変わっているんだけどな……。吸血鬼だから夜行性やこうせいなのか?」


 僕はそうひとり呟き、電話を取った。


「もしもし」


『えー、こちら吸血鬼。貴方の血を奪いにきました』


「……お断りです」


 そう答えると、電話の向こうでけらけらと笑う声がきこえた。


『あはははは。引っかかった!? 冗談だよ~』


「冗談……ね」


 かなりのハイテンションにこれは夜行性の本性を現してきたなと思った僕は苦笑いを浮かべた。


『やっぱり反応がいいと面白いねぇ~。

あ、それよりさ聞いて聞いて。今日ね、うちのママがね……』


 話が長くなりそうだと思った僕は勉強をやめ、持っていたペンを投げ捨てた。

 ペンはくるくると回ってノートの影を突き刺したが、その影は消えなかった。


 僕はそれを見て少しびっくりしたけれど、もう影を消す気はなかったし、それよりも今は彼女の話のほうが気になっていた。電話口からでてくる音に耳を傾けると、楽し気に話す彼女の声が僕の耳に届いてきた。


 消したかったほどに憎んでいた僕の影の影だけど

 いまは一緒にハイタッチでもしたかった――











〔完〕

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