陽が差す雨の中、傘も差さずに歩くのは天の音が聞きたいから
KeeA
第1話
同じ授業を取っている友達――とまではいかないけれど挨拶はするし、たまに話もする間柄の男の子は、雨の日はいつも大学に来ない。けれど、授業をサボっているわけではない。
今のご時世、対面でもオンラインでも授業が受けられるようになっていて、彼は雨の日だけオンラインで授業に参加しているのだ。……顔は映らないから本当に授業を受けているかどうかは疑問だけど。
「
『はい』
スピーカー越しの
「ああ、今日は雨か。笠間、お前いつも雨だと来ないから分かりやすくて助かる」
そんな先生の冗談でクラスメイトがクスクス笑っている中、私は微塵も面白いと思わなかった。
「やっぱり今日も来ないんだ……」
誰にも聞こえないような声量で呟いたつもりなのに、前に座っている
「雨京のこと?」
「え……うん」
すると、莉那は猫のように目を細めた。チェシャ猫を連想させるような目だった。
「ふーん。気になる?」
「逆に気にならないの?」
「あたしは興味ないね」
そう莉那は素っ気なく返したけれど、私は気になって仕方がなかった。
「オンライン授業が導入された前も雨の日だけ休んでたのかな? 三回以上休んだら単位取れないのに? 梅雨とか確実に三回以上休むことになるじゃん」
「さあ? その辺はうまくやってたんじゃないの?」
「何か特別な事情があるのかな」
「いや、あれは来るのが面倒なだけでしょ、フツーに」
「全員出席、と。はい、これから動画流します。オンラインの人は画面共有するからちょっと待ってな」
先生の言葉で莉那は椅子に座り直した。
授業の終盤に入ると、次の課題の説明がされた。
「それでは、ペアを組んで課題をやってもらいます。来週には発表してもらうから、協力して準備するように」
ペアとなる組み合わせが次々と呼ばれていく。
「最後は笠間と……
……え、私?
すると、授業の終了を告げるチャイムが鳴った。
「はい、今日はここまで。また来週」
え、どうしよう。今回の課題は話し合いながらやった方が絶対に効率が良いものだった。でも雨京くんは大学へは恐らく来ない。なぜなら天気予報では明日も来週もずっと雨だから。いつやれば良いの? もしかして一人でやらなくちゃいけないの?
とりあえずスマホを取り出し、文字を打つ。
『課題のペア、よろしくね』
すぐに既読がつき、返信が来た。
『おう』
『雨京くん、明日も来週も雨だったら大学来ないよね? いつやる?』
「…………」
今度は、既読はついたけど返信が来ない。
というか、よく考えたら何で大学に来ないことを当たり前のように受け入れてるの? そして一人でやらないといけないかもしれないという発想に至ってしまった自分に嫌悪感。
「うわっ!!!」
突然、スマホが大音量の音楽を奏でながら手の中で震え出した。雨京くんからの電話だった。慌てて通話ボタンを押す。
「も、もしもし?」
『よお。今電話大丈夫だったか?』
「う、うん。大丈夫、大丈夫」
『この後授業とか予定ある?』
「うーん、特に無いかな」
『じゃあ、課題早く終わらせたいからさ、今から俺ん家来いよ。住所送るから』
「え」
『じゃあな』
そう言って雨京くんは一方的に通話を切ってしまった。
「えぇ〜……」
送られてきた住所に辿り着き、部屋番号を確認した。
こんなに気軽な感じで来て良かったのだろうか。仮にも一人暮らしの男の子の家なわけだし。だからといって何かが起こるわけじゃないと思うけど。
……何かって何。何を期待しているんだ、私は。
そんなことをグルグル考えながら覚悟を決めてチャイムを鳴らした。しばらくしてガチャン、と鍵の開く音がした。
「いらっしゃい」
Tシャツにジャージ。いつもセットしている髪は、今日は落ち着いている。
「……お邪魔します」
部屋の中は結構片付いていたが、ベッドの上だけがぐちゃぐちゃだった。さっきまで寝ていたのだろうか。年相応の部屋、という感じだった。
「そこ、座っていいよ」
雨京くんは座布団が敷かれた所を指差した。私は言われるがまま腰を下ろした。
「お茶とコーヒー、どっち飲む? あ、水もあるけど」
「お茶で」
「ん」
しばらくして私の前に麦茶の入ったグラスが置かれた。
「ありがとう」
「いーえ」
雨京くんは向かい側に腰を下ろし、お茶を飲み始めた。そして私は思わず聞いてしまった。
「雨京くんって」
「ん?」
「雨京くんって、何で雨の日だけ大学に来ないの?」
雨京くんは私の目をじっと見つめた。思わず目を逸らす。
「知りたい?」
「知りたいっていうか、気になるっていうか。去年はオンライン授業だったからいいけど、一昨年とか、その前は単位取れてたのかなーって」
しばらくの沈黙の後、雨京くんが口を開いた。
「……実はこの辺で降る雨、俺が降らせてるんだ」
「えっ」
「雨降らすと疲れるから、休んでる」
雨京くんはいたって真面目な顔で淡々と語った。
え? 本当に? 雨京くんってファンタジー的な存在だったの?
「…………」
「なんてな、冗談だ」
「っ……」
一瞬本当に信じかけた自分が恥ずかしい。……でも、雨京くんならできそうだとも思った。
「つーか去年はともかく、一昨年のことまで気にする? 気になりすぎだろ」
そう言いながら雨京くんはケラケラ笑っていた。
「特に理由はねーよ。雨の日ってジメジメしてて濡れるわ暗いわ滑るわで出掛けんの面倒くさいし髪型決まんないし。特に大雨の時は最悪。あと、何か嫌なこと思い出しそうでユウウツになるし。自分の名前に『雨』っていう字が入ってるのが恨めしいくらいだ」
かなり大した理由だ。
「……嫌な思い出とか、あるの?」
「いや、無いんだけど、何となくな」
「そっか……私は結構好きだけどな、雨」
「マジ?」
「うん……雨の日に大学受験合格したからかなぁ」
「……へえ?」
その日は雨だった。みんながそうするように、私は受験結果を確かめに大学へ訪れた。想像以上に人が多くて、人の波に揉まれていたら手に持っていたはずの受験票を失くしてしまった。辺りを見ても落ちている様子がなく、困っていたら少し離れたところで「陽向天音さーん」と私を呼ぶ声が聞こえた。声のする方へ行くと、一人の男子高校生が受験票を二つ手に持っていた。
「あの」
「
「あ、はい」
「すみません、すぐ拾ったんすけど受験票、ちょっと濡れちゃいました」
そう言って彼は少し湿った受験票を差し出した。
「いえ、気になさらないでください。そんなに濡れてないですし。あとはもう番号確認するだけですから」
「そうっすか。合格してると良いですね。そうしたら俺たち、同じ学科なんでまた会えるかもしれないっす」
両目の下にある、涙みたいな黒子が印象的な子だった。
これが笠間雨京くんとの出会いだった。
「まあ、良い思い出があって雨の日が好きなのは分かるけど、俺はそういうの無いからなぁ」
「もちろん、それだけじゃないよ。雨の音聞いてるとさ、全部シャットアウトしてくれる感じがするんだよね。無心になれるっていうか。それが良くて。だから雨が降る夜はちょっとだけ窓を開けて雨音を聞きながら寝るの」
「……俺は聞いてると不安な気分になるけどな」
そこで会話が途切れ、静寂が訪れた。雨粒が窓を優しく叩く音がよく聞こえた。
「……あっ、もしかして砂嵐に似てるからじゃない?」
雨京くんは目をパチクリさせた。
「ああ、音の話か。砂嵐というと……テレビの?」
「うん。あれ聞いてると落ち着かないよね」
「あーそうかも知れないな。いや、それだな」
「あと雨の良いところは……日焼けしにくいことと……あ! 涼しい!」
「ふふっ……」
「え、なんかおかしいこと言った?」
雨京くんはかぶりを振った。
「いや、何でもない。……うん、涼しいのは間違いない」
「雨もそんなに悪くないでしょ?」
「まあ、そう考えれば」
そして再び沈黙が流れた。無機質で規則正しい時計の音がやけに大きく聞こえた。すると、
「不思議ちゃんってよく言われない?」
と、唐突に聞かれた。
「言われたことは……あんまり無いかな」
「ふーん」
「でもちょっと頭のネジ飛んでるなって自分で思うことはある」
「自覚はあるんかい」
雨京くんはそう言ってくくくっ、と笑った。
「っし、そろそろ課題やるか」
「そうだね」
そしてそれぞれのノートパソコンを開き、作業を開始した。
話し合いを終え、しばらく黙々と個々の作業に没頭していると、ふとこちらに視線を感じた。
「どうしたの?」
「……今日来たの、何で?」
「え?」
「今日、何で来たの?」
「何でって……雨京くんが来いって言ったから……?」
「俺じゃなくても行ってた?」
「……?」
「『家来いよ』って言ったのが、俺じゃなくても、そいつの家に行ってた?」
え、なにその質問。どういうこと? と、思う前から既に口から言葉が出ていた。
「い……」
「…………」
「行かなかった。雨京くんだったから、来た」
それを聞いて雨京くんは微笑みを浮かべた。
「だって、課題のペアが雨京くんだから。特に用もない人の家にはお邪魔しないよ」
「ふーん……」
そう言うと、雨京くんは作業に戻ってしまった。
すると、徐々に暖かな日差しが部屋に差し込んできた。
「あ、晴れてきたみたい」
「いや、」
雨京くんは立ち上がり、窓を開けた。
「天気雨だ」
所々青空が顔を覗かせ、雲間から差す光が雨粒に反射してきらきら輝いていた。
「わあ……綺麗……」
遠くの方で二本の虹が空を横断していた。
「こういう雨は、好きかも」
私はつい嬉しくなって雨京くんの方をパッと見た。
「雨、好きになった?」
「ふっ……いや、雨自体はまだ好きじゃないけど」
雨京くんはこちらを向き、続けた。
「この雨は天音に似てるから」
「…………」
「雨降ってるのに晴れてて、運が良いと虹も見れて。全然予測できなくて、きらきらしてて、天音みたい。だから、好き」
……お天気雨が私に似ているから、……好き?
「……
そう呟くと、雨京くんは微かに笑った。
「……やっぱり、天音は面白い」
雨京くんの瞳の中には、私が映っていた。
「さーて、ちゃっちゃっと課題、終わらせますかー」
そう言いながら気持ちよく伸びをすると、網戸を閉めた。
「雨京くん」
「ん?」
「また……来てもいい?」
「いいよ、雨の日だったら」
「……晴れの日は?」
「晴れの日は……外で会おう。せっかく晴れてるんだから」
「……うん」
小さく返事をして私は雨が上がった空を見上げた。
微かな蝉の声が、夏の訪れを告げた。
陽が差す雨の中、傘も差さずに歩くのは天の音が聞きたいから KeeA @KeeA
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