第2話 シロツメクサ

 あの時、暑さが気になって本から目を離したら、教室の中心で笑うあの子が目に入った。ぼんやりとした頭であの子を眺める。本格的に夏が始まったら、話すことも、あの子の目に入ることさえ出来なくなってしまう。今日、動かないと絶対に後悔する。放課後に気持ちを伝えようと決心した時、急にガタンと立ち上がったあの子の体がぐらりと傾いた。


「海野さん、大丈夫?」


消毒液の独特な良い匂いがする。わたしはこの場所が好きだ。貧血で倒れた海野さんに付き添って、ずっと彼女の側に居れるし、眺めることが出来るから。でも、今日が最後。最後だからいつもより長く眺めていても罰は当たらないと思った。悲しい夢を見ているのか、ベッドに横たわる彼女の目からはいつも一粒の涙が零れ落ちる。その涙を拭おうと顔を覗き込むと、彼女の寝起きで霞んだ目にぼんやりとわたしが映った。

「あ。」

ずっと眺めていたのがバレてしまったかもしれない。後ずさって咄嗟に保健室を飛び出した。少しだけで幸せだったのに、欲張った罰が当たったんだ。後悔に塗れた頭で教室まで走り抜けて、ハッと我に返った。

「…変に思われても、どっちにしろ今日で最後、か。」

誰もいない教室で、海野さんの席に座ってみる。片隅でも良いから、彼女の記憶に残りたいなんて我儘を許してくれるだろうか。彼女は優しいからわたしを突き放したりしないだろうけれど。ふと外でカラスが鳴く声を聞いて、目を閉じると事の初めが頭に浮かんだ。一番初めは、体育の授業中だった。朝から体調の悪かった彼女は体育に出たくて無理をして。わたしは保健委員だったから、彼女を保健室に連れて行った。体育が五時間目だったこともあって、ベッドで休む彼女が起きるまで待っていよう、と長い間眺めていた。夕日に照らされる彼女はとても綺麗で、でもどこか苦しそうで。


「海野さん、大丈夫?」


と問いかけた。夕日を浴びながら目を開けた彼女はキラキラと輝いて見えて、わたしは何度もその光景を鮮明に思い出しては、彼女をまた好きになる。

「…このままじゃ駄目だ。」

そう思い直して保健室まで走って戻ってみたけれど、海野さんの姿はない。

「先生、海野さんは…」

「ああ。海野さんだったら、向こう側に歩いて行ったわよ。」

「ありがとうございます。」

一つ一つの教室を小走りで確認していくが見当たらない。もう帰ってしまったのかなと思った時、一番角の人気の無い階段に彼女が座っているのを見つけた。


「海野さん。」


何度呼びかけても反応がないので、耳元で呼びかけた。やっと気付いたらしくこっちを見て驚いている。

「一緒に、帰ってもいい?あのね、話したいことがあるの。」

目線を落として躊躇いがちに言うと、


「私、白峰さんが好き。」


と。唐突なその言葉に今度はわたしが目を丸くして驚く。海野さんと目が交わった。わたしは呆然とした後、顔が段々と赤くなっていくのを感じ顔を背ける。そのままの意味なのか、それとも、

「ごめん!今の忘れてっ。帰ろっか。」

急いで立ち上がろうとするので、ぎゅっと腕を掴んだ。今言わなかったら後悔する。

「…わたしのこと、“皐月”って呼んで欲しい。“日向”って呼んでもいい?」

彼女はあの時と同じ顔でわたしを見つめている。

「わたしもね、海野さんが好き。でも、わたし…今日で転校するんだ。転校しても、好きでいてくれる?」

溢れ出しそうな涙をグッと堪えて彼女を見つめる。

「勿論。白峰さん──皐月がいつまでも好きだよ。未来のことは分かんないけど、ずっと好きだろうなってことだけは分かる!」

必死になって言う彼女を見てわたしは、

「わたしも、ずっと好き。」

と涙を零しながら幸せな笑顔でそう言った。

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向日葵とシロツメクサ たき @rahisaki

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